クリスチャンが「一番」大切にすべきものって何ですか?

2018年8月2日木曜日

教会生活あれこれ

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 クリスチャンが「一番」大切にすべきものって、何でしょうね。
 聖書? 神様? 教会? 礼拝? 家族や仲間たち? 自分自身の信仰?
 これは簡単そうで、案外難しい問いかもしれません。順番を付けるとなると、特に。
 でもあえて「一番」を決めるとしたら・・・という視点で、今回は書いてみたいと思います(もちろん私見ですよ)。

☆ ☆ ☆

 全国的な猛暑日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今年は熱中症による救急搬送が例年より随分多くなっていると聞いています。十分注意してほしいものです。

 ところが先日、「着ぐるみ」でショーに出演していた男性が途中で倒れ、死亡してしまう、という痛ましい出来事がありました。重度の熱中症だったようです。心からお悔やみ申し上げます。

 私も教会で頑張っていた若い頃、着ぐるみで子ども向けの劇に出演したことがあります。出番の少ない脇役で、ほんの短時間でしたが、それでも暑かったですね。ちょうど夏の盛りでしたし。
 あの着ぐるみの中の温度が何度だったかわかりませんが、相当高温だったはずです。水分を摂らずに長時間続けていたら、あれはかなり危険だったと思いますね。

 今回亡くなられた男性が具体的にどういう状況だったかわかりませんが、そのあたりのリスクマネジメントは、為されていたのでしょうか。為されていなかったのではないかと想像します。

 その死亡事故のあと、ワイドショーなんかが「着ぐるみ内の温度を検証する」みたいな企画をやっていましたが、嫌な気分でした。そんなことしなくても暑いのわかるよね? と思ったからです。いや、でも、わからないのかもしれません。自分が同じ目に遭わないと、気づかないのかもしれませんね。

 このあたりに、想像力の欠如を感じます。
 私だって想像力豊かな方ではありませんから、偉そうなことは言えませんけれど。

 私は看護師ですが、看護師の仕事の一つに「リスクマネジメント」というのがあります。起こりそうなリスクを予測して、未然に防ぐ仕事です。たとえば転倒しそうな患者さんがいれば、転倒しないように事前にいろいろ策を講じます。文字通り、リスクをマネジメントするわけですね。

 でも看護師でなくたって、同じような視点は自然に持っているはずです。
 たとえばヨチヨチ歩きの子が車道の近くにいたら「車に轢かれないかな」と心配にならないでしょうか。手が震えている人が包丁を持っていたら「指を切ってしまわないかな」と心配にならないでしょうか。猛暑の中、着ぐるみで働いている人がいたら、「暑くて大変じゃないかな」と心配にならないでしょうか。なると思うんですけどね。

 でも似たような想像力の欠如は、わりと教会にも蔓延しています。

 たとえば牧師から陰湿なイジメを受けた信徒が、他教会の牧師やクリスチャンに相談に行きます。するとこんなことを言われてしまうことがあります。
「牧師先生だって人間なのだから、許すべきです。許さないあなたの方が問題です」
「牧師先生との間に何か誤解があるのでしょう。もう一度、よく話し合ってみなさい。裁いてはいけません」
「牧師批判なんて言語道断です。祈って悔い改めなさい」

 こういうのを聞くと、だいぶ想像力が足りてないな、と私は思ってしまいます。クリスチャンって、隣人愛を行うはずですよね。それがそんな貧弱な想像力でどうするのでしょう。もうちょっと気遣いとか、配慮とか、あってもいいと思うのですけれど。

 着ぐるみで頑張っている人を見て「ちょっと水分とって休んだらいかがですか」と声を掛けるのと、教会で嫌な思いをした人に「お茶でも飲みながらゆっくり話を聞かせて下さい」と声を掛けるのは、根本的に同じです。同じ気遣い、同じ配慮です。

 もちろんクリスチャンと言ってもいろいろな人がいて、いろいろな立場があって、いろいろな考え方があります。それはわかっています。でも少なくとも私個人にとって、クリスチャンとはそういう気遣いを一番大切にできる人たちです。
 つまり私が考える「クリスチャンが一番大切にすべきもの」は、「他者のことをよく考え、想像してみる心」になりそうです。

 だってそういうのが一番じゃないクリスチャンに、いったいどんな魅力があるのですか?

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