18分くらいの長めの動画ですが、一番注目したいのは11分0秒から11分30秒までです。
TBSの『モニタリング』という番組で、EXILEグループの関口メンディーくんと白濱亜嵐(しらはまあらん)くんが騙されるシーンですね。
ニセ気功師が「気」だけで相手を倒す、というのを実演します。EXILEの他のメンバーは「気」を感じたフリをして倒れるのですが、ターゲットであるメンディーくんと亜嵐くんは(当然ながら)何も感じず、倒れません。
でも事前に「これは重要な収録だ」と言われているし、プロデューサーにずっと睨まれているし、皆ニセ気功師に倒されて「すげー」とか言ってますから、「感じない自分がおかしいのでは」と考えてしまうのですね。
でもメンディーくんは正直なので、「感じないものは感じない」という姿勢を貫きます。
一方の亜嵐くんはいろいろ気を遣うタイプなのでしょう。空気を読んで、最終的に「感じたフリ」をします(その最初のシーンが動画の11分0秒から11分30秒です)。そしてそれ以降、亜嵐くんは「感じたフリ」に徹します。ニセ気功師の「気」で動けなくなったり、倒されたり、棒で叩こうとして「気」に阻まれたり。完全に演技なのですが、たぶん本人は「こうしなければならない」と思っているのでしょう。
その心理がよく伝わってくる「実験」だと私は思いました。
☆ ☆ ☆
これを見ながら私が真っ先に思い出したのが、聖霊派教会での「聖霊の働き」でした。
「聖霊に満たされて」泣き出すとか、「聖霊の圧倒的臨在」で倒れるとか、喜んで踊り出すとか、「異言」が溢れてくるとかですね。
ちょっとこの動画も見てみて下さい。気持ち悪いので、4分30秒から4分45秒あたりだけでいいです。
手を置かれた人たちがどんどん倒れていくシーンが映っています。
この手の集会では「アッシャー」と呼ばれる奉仕者たちがいます。倒れる人をうしろで支える係ですね。そのまま倒れると危ない場合に、よく配置されます。
つまり「祈られて倒れる」というのが、習慣や文化になっているのです。「倒れるのが当たり前」「倒れるのは聖霊に敏感な証拠」みたいな感じで。
私もそういう教会にいましたから、同じような経験を何度もしています。でも私はメンディーくんと同じタイプだったので、倒れたことがありません。何も感じなかったし、倒れる理由がなかったので、倒れなかっただけなのですが(笑)。
でも周りの人たちは、やはり次々と倒れていくのでした。
今思うと、あれは亜嵐くんと同じような「演技」だったのではないかな、と思います。
ちなみに周りの皆が倒れているのに、自分だけ残って立っているのは、なかなか辛いものがありましたね(笑)。
では何も感じないのにどうして倒れるかと言うと、たぶん「聖霊の働きを感じたい」からです。または「自分の信仰レベルはそれを受けるにふさわしい」と思いたいからです。あるいは「周りの皆が倒れているから、きっと自分も何か感じて倒れるはずだ」と思い込んでいるからです。
こんなことを言う私は、「不信仰」なのでしょうか。
聖霊派教会でバンバン倒れている人たちはきっとそう言うでしょう。
でも冒頭の動画で亜嵐くんが「感じたフリ」をしなければならなかった心理は、たしかに存在します。それを否定することはできません。 そして亜嵐くんの「感じたフリ」と聖霊派の人たちの「感じたフリ」を明確に区別する根拠は、何もありません。
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さて前述の通り、私はいくら按手されても祈られても倒れない口でした。牧師も無理に倒そうとはしませんでした。当たり前ですが。
しかし長い年月が過ぎて、牧師にも変化がありました。按手の時に、明らかに力を加えて、私を倒そうとするようになったのです。押されれば、そりゃ倒れますよ。
でも私はやっぱり素直でしたので、「人に押されて倒れても、それは聖霊によるものではない」と思いました。だから牧師に押されても、何気に抵抗していました。踏ん張って倒れないようにしていたのです(笑)。
これ、傍から見ると面白い光景かもしれません。一見「按手の祈り」なのですが、実は互いに押し合っているという。
何やってんだって感じですね(笑)。
私も、そっち系の教会で倒れてました~
返信削除溢れるほどに霊が注がれている感?
があるように思ったんですよねぇ
その教会は、礼拝説教で
「牧師に従うことが神様に従う事です、皆さんで言いましょう。さん、はい」
と、言わされていたので牧師が絶対権力者でしたね。
余りにも信仰が混乱して数年で出ましたが、
「牧師の言うことに疑問を持つなんて私は信仰が足りないの?」
という恐れがありましたし、
色々あって教会不信です…
あひるさん
削除コメントありがとうございます。
多分あひるさんも私と同じような教会にいたのでしょうね。その意味ではお仲間かもしれません(笑)。
でも真面目な話、いろいろ大変な思いもされたのではないでしょうか。今あひるさんが教会不信に陥ってらっしゃるのは、あひるさんの責任ではないですよ。不信仰なのでもありません。もし自分自身を責める気持ちがおありでしたら、そんなものは不要ですから、さっさと捨てていただきたいと思います。
ところで説教中に「皆さんで言いましょう。さん、はい」というのは容易に想像できる光景ですね。私の教会も同じようなものでしたから。幼稚園かよって感じですが(笑)。
スマイルです。
返信削除なんだかなあと思います。そんなに奇跡や不思議な現象が大事なんですか?
以前○ル・ルポ○ド氏のなんとか聖会って言うんですか、行きましたけど、何にも起こらなかった。それだけならいいんですが彼に癒されたという人がシレーっと車椅子で出てきたのには開いた口がふさがりませんでした。
祈って倒れるってカナダ・トロントの集会が発祥ではなかったかしら。トロント・ブレッシングという名で聞いたことがあります。
いずれにしても聖書の記述やイエスが教えている事柄とは遠くかけ離れたものにしか感じられません。
今日夜にNHKスペシャルで見た、オウム真理教の特集と重ねていろんなことを考えさせられました。
スマイルさん
削除コメントありがとうございます。
聖霊派の一部の人たちには、奇跡や不思議な現象が大切なようですね。彼らは「何が起こったか」で自分たちの信仰レベルを測ろうとします。だから「何も起こらない」なんてことは、あってはいけないのでしょう。
クリスチャンは「自分が何をするか」が大切なはずですが、彼らは「自分が何をしてもらうか」にしか関心がないようです。
おはようございます・・・
返信削除キリスト教にかかわっている人が見れば
「ああ~、そっち系ね」で済むでしょうが
俗世間の人が見たならもはや怪異です
問題なのは、その印象がめぐりめぐって宗教行為全般への
偏見に発展してしまうことなんですよ
この動画のような光景を見て、魅せられるか、警戒するか
圧倒的に後者ではないかと思います
別に、したければ好きにすればいいんです
こういうヨロコビを享受できる特権を与えられた
シアワセなヒトタチなんだろうと
日本に限ってみれば、彼らのような人々もさすが馬鹿ではないので
公安ににらまれるようなことはしないようにしつつ
強制はせずに強く呼びかけるギリギリの線を攻めているのでしょう
公安の怖さは、知っている人は知っている!!(冷汗笑)
おはようございます。
削除たしかに一部の過激な人たちの行動が、その宗教そのもののイメージを悪くしてしまうというのはあります。たとえば「霊の戦い」などと言って、外部に打って出る教会とかですね。
それに比べれば、教会の中で倒れている方がまだ無害と言えるかもしれません。ただそれでも彼らが騙されていることに変わりはないのですが。
実に面白いです。私が所属する教会の神父さん曰く、旧約に出てくる霊は空気、風のことです。インフルエンザのような病気は空気感染しますから、昔の人は悪霊の働きだと考えたのでした。それに対して病気が治るのは、良い空気、風にあたると免疫力が増して病気に打ち勝つことができたので、良い霊、聖霊の働きと考えたのです、となかなか説得力のある説明をされていました。
返信削除日本人は、とりわけ、その場の空気を読んで従うように社会的に教育されていますので、おかしいと感じても、その場の空気に合わせることが良いことだと考えるのです。あわさない奴は、空気の読めない奴だと言われ批判されるわけです。
その場の空気に合わせている内に、洗脳されて、それが普通になってしまうのです。
エホバや勝共連合(原理教会)などカルト教会の洗脳のための常套手段というわけですね。
kametaniさん
削除ありがとうございます。
「空気」を「霊」と表現するのは面白いですね。ヒポクラテスは「水」が人間に悪さをすると言いましたが、それと似たような考え方かもしれません。
おっしゃる通り、日本人は「おかしい」と思っても、その場の空気を優先する傾向があります。それがカルト宗教の温床になっていると私も見ています。
今はインターネットでこういう人たちの礼拝・集会などの動画が見れるのはよいことですね。むかしは限られた情報しかないので実態が分かりませんでした。よく名前が知れている人の場合は、集会でのメッセージや本に書いている内容はまともだから・・・みたいな意見も多かったように思います。
返信削除私は、アメリカのある有名な伝道師の癒しの集会の映像を初めて見たとき、これは聖書の信仰とは何ら関係のないショー、エンターテイメントという印象でした。また、数百人の死人を生き返らせたというアフリカの牧師が、死んだ少女を生き返らせる集会の動画を見たときはジョークとしか思えませんでした。
これらがすべてキリストや聖書の名のもとに行なわれている事実を考えると、とても笑えないですし他人事と思えないのです。
Teoさん
削除ありがとうございます。
そうですね。今はネットで様々な情報を入手できますから、適切に使えばカルト被害を減らせるように思います。
ちょっと脱線しますが、先日のオウム真理教の件で、再びカルト宗教が注目を集めていますね。でもこれはたぶん一過性のものだと思います。そうでなくある程度定期的な形で、「対カルト教育」みたいなものがあった方がいいのではないかな、と私は考えています。
そうすることで、「宗教行為と言うよりエンタメ」という実態を明らかにできるかもしれません。
20数年前にペンテコステ教団に所属していた頃を思い出します。
返信削除その場の空気を読んで倒れたこともあった。しかし、その場の空気を読まないで立っていたら思いっきり頭を押された。でも倒されないで立っていたこもあった。
やはり、20数年前だったが、ベニー・ヒンの集会が大阪の野外音楽堂で行われた。私は来場者の誘導係をやらされていたので、ステージに近い中央の通路で見ることが出来た。ベニー・ヒンが観客に向かって手をかざすと手の方向の観客がバタバタ倒れていくのを思い出す。
その時の司会者は、今も有名牧師です。ベニー・ヒンが司会者に手をかざすと、司会者は倒れまいとして、後退りしていたのを思い出す。今思えば、下手な怪談話より寒気がする。
匿名さん
削除コメントありがとうございます。
私と同じようにペンテコステに属しておられたのですね。「祈られて倒れる」以外にも、いろいろなことで空気を読まなければならなかったと思います。心中御察しします。
私もかつてはベニーヒンの本を真剣に読みましたが、今思うとほとんど詐欺のようなものです。でも今なおそういうものに夢中になっている人々がいるのですね。かつての私もそうだったのですが・・・。少しでも多くの人が、おかしいと気付いてくれればと願ってやみません。
私も沖縄のペンテコステ派単立系のおかしな教会にいたのですが、牧師の推薦するベニ・ヒンの「聖霊様おはようございます!」を読まされました。ベニヒンの目って怖いよね。聖書に目を見ればその人の心が健全かどうかがわかるという箇所を思い出したのを覚えています。個人的見解ですが、私から見たらベニヒンもローマ法王もヘンリーグルーバーもネタニアフ首相も皆同じ怖い目をしている。
削除ベニヒンは不倫、お金まみれでハリウッドセレブのような家4つ、所有していることが村上密ブログで見たことがあります。ああいうのを見ると、途中から崩落したのか最初から詐欺まがいで金儲けのためにこの世界に入ったのか理解し難い。
この人を通して霊にもいろいろあるんだとわかりました。うちはツラノの訓練校で聖霊、聖霊ばかりをうたっている教会でしたが、まさか内側の人(クリスチャンを掲げている人)から聖霊じゃないもので人々を惑わすことがあるとは夢にもおもいませんでした。神をおそれない人の本もメッセージなんか聞き入れるな。いかに自分が神に選ばれているかの選民思想と繁栄の神学ばかりを語っています。みんな彼にだまされるなー。ちなみにうちの牧師はその昔自分でも「私は2回詐欺に引っかかった」と自他ともに認める見極めきれないリーダーだったけど、今でもベニヒンだのチョーヨンギだの新たな詐欺に引っかかっているやないかーい。
「聖霊様おはようございます」は私も読みましたよ。私の教会の必読書でしたね。聖霊様と最低一時間会話しようとか、朝晩ちゃんと挨拶しようとか、いろいろ狂ってました(笑)。
削除こういう話であまり聖書を引用したくありませんが、「ニセ教師が大勢現れる」みたいなことが書いてありますから、むしろ問題は教会内部から起こるのだと思います。外部から来ると言うより。
そういう人たちって人(ご近所)や身内にはあいさつしなくても聖霊にはおはようやおやすみをいうんでしょ? そんでもってベニヒンの策略どおり神様やキリストよりも聖霊に力をおいて聖霊を偶像にして頼るんでしょ?占いの結果みたいに早く答えてくれると思って。聖書のどの部分にも聖霊を聖霊様って呼ばないけれど、何から何までおかしい教会は神よりも聖霊を朝から晩まで崇拝してる。例えば聖霊様来てください。とか聖霊様語って下さいとか、何々の霊降りてきてくださいとか、下手したら、最初から最後まで聖霊様、聖霊様ばかりでキリストの名前出てこない礼拝も成立したぞ。キリストよりも聖霊を崇拝させるベニヒンの策略と思考は恐ろしい。それに魅せられ惑わされるクリスチャンも気お付けたほうが良い。
削除おっしゃる通り、「聖霊様おはようございます」は言っても、ご近所さんにはろくに挨拶をしない人たちがいるかもしれません。要は聖霊に何かしてほしい、恵んでほしい、というご利益主義だと思いますが。
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