死刑が執行されれば、カルト問題は解決するのですか?

2018年7月10日火曜日

雑記

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 7月6日、オウム真理教の元代表・麻原彰晃含む幹部7人の死刑が執行されました。
 それによって「カルト宗教」がまた注目を集めているようです。様々な人が、(死刑制度の賛否含めて)様々な意見を口にしています。

 カルト宗教の危険性は、もっと広く周知されるべきです。だからこの注目が一過性に終わるのでなく、定期的な「対カルト教育」に繋がってくれればいいなと、私個人は願っています。

 またオウム真理教による一連の凶行の被害に遭われた方々、そのご遺族、その関係者の方々は、今なお苦しんでおられると思います。今回の死刑執行も、何の慰みにもならないのではないでしょうか。心よりお見舞い申し上げます。

 私の教会(すでに解散しています)は酷い教会でしたが、オウムのような「破壊的カルト」ではありませんでした。いろいろ偉そうなことを言っていましたが、あくまで内輪で騒いでいただけです。

 それでもその被害に遭った元信徒や関係者らは、今も傷を抱えたままだと思います。何の解決も見ていませんから。あれからだいぶ年月が経ちましたが、私たち元信徒は多かれ少なかれ、「時が止まったまま」の部分を持っているのではないかと思います。仕事が変わり、生活が変わり、いろいろ変化して「前進」しているのだけれど、ふと気づくと、教会のことであれこれ葛藤している自分を発見する、という。
 カルト被害には、そういう側面があると思います。

☆ ☆ ☆

 おそらく元信徒の中には、「もう何もかも忘れたい」と思っている人がいると思います。全部なかったことにしたい、と。
 でも一方で、「あれが何だったのか、ちゃんと正確に知りたい」と思っている人もいると思います。

 私自身は後者です。
 私の教会が解散する頃、本当にいろいろなものが混乱していました。次から次へといろいろなことが起こり、いろいろな人がいろいろなことを言いました。何が正しくて何が間違っているのか、わからなくなりました。

 だから私はこんなふうに願っていました。
 誰かものすごく詳しい人に来てもらって、ちゃんと説明してほしい。「この教会で起こったことは〇〇でした。その中であなたの立場は△△というものでした。だからあなたは、これから××として生きて行くべきです」みたいに。

 そういうふうに全ての問題を可視化・言語化してくれて、今後の方向性を教えてほしかったです。そんなことは自分で考えろ、と言われればそれまでなのですが。

☆ ☆ ☆

 さて、カルト問題とは、どのようにして解決していくのでしょうか。
 全ての不正が暴かれて、加害者らが法の裁きを受ければ、解決でしょうか。
 今回のオウム真理教のように死刑が執行されれば、解決でしょうか。
 おそらく解決はしないと思います。

 じゃあどうすれば解決なんだ、と言われても、残念ながら私にもよくわかりません。
 ただ一つ言えるのは、教祖が死んでも何一つ解決しない、ということです。特に、彼本人から何の反省の弁も聞けなかったらなら、尚更。

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