ダビデの幕屋の礼拝、それでもやりますか?

2018年6月26日火曜日

「ダビデの幕屋の回復」に関する問題

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 今『キマジメくんのクリスチャン生活』では、「50時間の祈り」というイベントが進行中です。
 50時間ぶっ続けで「霊的礼拝」をする、というクリスチャン版「24時間耐久レース」みたいなものですね。狂気の沙汰だと思われるかもしれませんが、現実の話です。残念ながら。

  もちろんごく一部の教会の話ですが。

 これは「ダビデの幕屋の礼拝」の亜種みたいなものです。
「ダビデの幕屋の礼拝」も24時間365日ぶっ続けの礼拝を売り(?)にしています。
 でもこれ、文字通り24時間365日拘束されるものではありません。たくさんの「礼拝チーム」があって、各チーム2時間くらいずつ、分担しているのですね。だから礼拝としては24時間続くのですが、人はどんどん入れ替わっています。

「50時間の祈り」も基本的にそれと同じです。
 奉仕者は自分の担当時間にだけ舞台に上がりますが、あとは自由です。食べたり飲んだり眠ったり、時間があるなら家に帰ったり。そういうのが全体として50時間続きます。だから実のところ、24時間耐久レースのような過酷さはありません。そこまで狂気の沙汰ではないと。あ、それでも十分狂気ですか(笑)。

 ではなぜ「50時間の祈り」をするかと言うと、「霊的打ち破り」とか、「霊的刷新」とか、「霊的大勝利」とか、まあそういうものの為です。私が実際に見たもので言うと、「日本を背後で縛る悪霊たちを打ち破るため」でした。
 そんなアホな、と思われるでしょうが、やっている人たちは大真面目です。

 実を言うと、私は「50時間の祈り」に参加したことがあります。
 そのときの経験を『キマジメくん~』で生かしていますから、そのリアルなところは同小説を読んでいただければと思います。

 実際に私が参加したのは、日本人と台湾人とアメリカ人とが入り混じった、なかなか大規模なものでした。教会に入りきらなくて、近くのライブハウスを3日間借り切りました。会場は日本語と中国語と英語が入り混じったカオス(笑)。
 ちなみに通訳は、英語の講師がしゃべったものを、日本人が通訳し、続いて台湾人が通訳する、という形でした。時間が3倍かかるから、遅い遅い(笑)。

  それはさておき、50時間という長丁場のためか、「主の臨在に憩う」という考え方がありました。
「この世」は悪霊の激しい攻撃に晒されているけれど、「ダビデの幕屋の礼拝」を行う場所は、完全に守られている。悪霊たちはこれを見つけ出すことができない。だから普段「霊的」に戦っているクリスチャンは、ここでゆっくり休みましょう、という考え方ですね。
 それで具体的にどうするかと言うと、みんなして「寝る」わけです。

  台湾の一部の教会群では、「ダビデの幕屋の礼拝」が盛んなようです(私の教会も台湾から「ダビデの幕屋の礼拝」を輸入しました)。だからそこにいた台湾のクリスチャンたちは「50時間の祈り」もやり慣れていたようです。彼らは始まると同時に寝袋とかタオルケットとか持ち出して、豪快に寝はじめました。牧師なんか大の字になってイビキをかいていましたからね。どんだけ「憩う」んだって(笑)。

 ☆ ☆ ☆

 それはさておき、「50時間の祈り」を経て、何が変わったのでしょうか。「霊的打ち破り」が起こり、日本の「霊的勢力図」に何か変化があったのでしょうか。そして現実世界に、それとわかるような変化が起きたのでしょうか。何も起こっていないように見えますが。

 でも真面目にやっている人たちは、こんなふうに言うでしょう。
霊の領域ではとんでもない変化が起こっている。まだそれが見えないだけだ
 じゃあ、いつになったら見えるのでしょうか?

 台湾の人たちは「ダビデの幕屋の礼拝」をずいぶん長くやってきたはずですが、台湾の現実世界には特段変化は起こっていないようです。もしかしたら、こんなふうに言うかもしれません。
霊的な働きは5年や10年で実を結ぶものではない。20年後、30年後、40年後、もしかしたら私たちの子供たちの世代までかかるかもしれない

 なるほど、時間がかかる、ということですね。
 であるなら、喫緊の課題である「日本を背後で縛る悪霊たち」は、どうなるのでしょう。40年以上放っておいて、大丈夫なのでしょうか。逆にそれくらい放っておいても大丈夫なら、そもそも退治しなくてもいいのでは?

 するとたぶん、こんな答えが返ってくると思います。
私たちにもわからないことはある。神の御旨は深く、計り知れないのだ

 なるほど。
「ダビデの幕屋の礼拝」とか「50時間の祈り」とか、細かく具体的に「示されている」わりに、その結果については「何も示されない」のですね。
 だとしたら、ずいぶんと無責任な「神様」ではないでしょうか。
 あるいは、そこまで人間に戦わせておいて、結果を出すのに何十年もかかるのなら、とんでもなく軟弱な「神様」ではないでしょうか。神様は全知全能のはずですが? こんなちっぽけな島国を縛る悪霊を追い出すのに、何十年もかかるのでしょうか?

☆ ☆ ☆

 何の実も結ばない「ダビデの幕屋」とか「50時間」とか「霊の戦い」とかに時間を費やすくらいなら、駅とか道端とかで、困っている人にたった一回でも声を掛ける方が、はるかに有益だと思います。それが隣人愛ではないでしょうか。

 さて、「ダビデの幕屋の礼拝」や「50時間の祈り」の、本当の目的は何なのでしょう。
 建前でなく、本当の本当の目的は?

 少なくとも、「霊的打ち破り」ではありません。
 じゃあ何でしょう。お金でしょうか。でもお金も儲かりません。
 私が思うに、それは「プライド」のためです。「自己満足」のためです。自分たちが盛り上がって、何かを成し遂げた気になって、満足するためです。でもそんなの神様と関係ないし、キリスト教とも関係ありませんよね。

 それでもまだ、ダビデの幕屋の礼拝とかやりますか?

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