決して認めない人たち

2016年8月13日土曜日

教会問題

t f B! P L
 この記事に腹を立てている。

「ビュン牧師セクハラ訴訟、判決確定を受けて教団が声明『納得がいかない結果』」(クリスチャントゥデイ)

 女性信徒へのセクハラで訴えられた牧師が、セクハラ行為を認定された。そして賠償責任を負う判決が確定となった。それを「納得がいかない」と言っている、という記事。

 もちろん、セクハラ被害が事実認定されたのは良かった。被害者の方々もこれで少しは報われたのではないかと思う。当然ながらその受けた傷は深く、回復にはまだまだ長い時間がかかると思うけれど。

 私が腹立たしく思うのは、こういう事件を牧師が起こしたのはもちろんだけど、その張本人が(事実認定されたにもかかわらず)事実無根だと言い続けていることと、当該教会も「納得がいかない」とあくまで牧師を擁護していることと、挙句の果てには「背後に『巨大な悪』が働いている」とかいう陰謀論を主張して、完全に責任転嫁していることだ。

 加害者が被害者ヅラする、という状況。

 聖職者はイメージが命だ。聖書に反しない「品行方正」な姿を維持しなければ、仕事を続けられない。だからセクハラ訴訟を起こされて事実認定されてしまったら、通常なら牧師としては終了である。それを避けるためには、とにかくセクハラなんて事実無根だと主張し続け、裁判のやり方に問題があると言い張り、原告(被害者)側を悪にし、背後に「巨大な悪」が働いていると言わなければならない。

 そういう事情があるから、問題を起こした牧師たちは、皆そのように言い逃れようとする。私が知っている問題牧師たちも、悪事がバレるとまずは無罪を主張した。言い逃れできないとわかると隠蔽工作に走った。隠せないとわかると被害者にも非があると言い出した。そして最後は「悪霊の働き」を持ち出した。決して自分の非を認めず、あるいは一部認めても、自分以外のいろいろなものにもっと大きな非があると言い張った。

  もう一つの問題は、こういう牧師を擁護する取り巻きがいる、という点。牧師1人が追い込まれれば状況は変わるけれど、仲間がいると責任追及が難しくなる。被害者が少数だったら尚更だ。下手すると牧師から被害を受けただけでなく、それを訴える過程で、更なる被害に遭ってしまう可能性もある。だから牧師の悪事を追及しようと思ったら、しっかり考えて、準備しなければならない。

■その必要がある場合

 もし牧師の悪事を追及しようと思うなら、やはり動かぬ証拠が必要になると思う。証拠がないと、いくら訴えても上記のように「事実無根」と言い張られてしまう。「牧師だから誠意をもって自分の非を認めるだろう」なんて期待したら大間違いで、むしろ全力で否定し、あるいは攻撃さえしてくる。だからどうにも否定しようのない、弁明しようのない、誰がどう見ても擁護できない証拠を押さえて、しかるべき機関(警察や弁護士事務所など)を巻き込んで、訴えるのが一番だと思う
 だから必要な手続きや証拠集めは水面下で行い、相手に気づかれないようにしないといけない。

 また1人で事に当たるのは難しいから、理解して協力してくれる仲間を集めた方がいい。同じ教会の信徒がいれば共通理解を得やすいかもしれないけれど、教会にどっぷりハマっている人は、むしろ敵になりかねない。
 だから他教会のクリスチャンでも未信者の友人でも家族でも、とにかく完全にあなたの味方になってくれる第三者で、(警察や弁護士への相談や訴訟手続きを含めて)実際に行動してくれる人たちを仲間にした方がいいと思う。

 でも仲間をつくると同時に、秘密保持に注意しなければならない。証拠集めに動いていることや、警察や弁護士に相談していることが牧師側に知られると、警戒されて証拠隠滅されるかもしれない。また(実際に動く前から)思わぬ反撃を受けるかもしれない。だから準備の段階からいろいろな人に話すべきでない。相手をよく選んで、必要な人だけに絞って、相談した方がいいと思う。

 他にも細かいことが沢山あるから、もし本当に牧師から被害を受けていて、刑事や民事で訴訟を起こすくらいな深刻なレベルだったら、ぜひ専門機関に相談してアドバイスを受けてほしい。ここで度々紹介している村上密先生もその手の宗教問題を扱っているので、きっと力になってくれると思う。私個人的あてにコメントを送っていただければ(もちろん非公開にする)、個別に対応させていただくこともできる(あんまり役に立たないかもしれないけれど)。とにかく1人で抱え込まないで、どんな形であれアウトプットすることが、動き出すキッカケになると思う。

■それでも認めない人たち

 ただ1つ覚えておくべきなのは、問題牧師たちは決して自分の非を認めない、という点だ。その悪事が完全に露見し、どうにも弁解できない状態に置かれたとしても、彼らは自分が悪かったとは認めない。あるいは一部認めても、もっと悪い何かをでっち上げて、責任逃れをする。

 上記の記事がそのいい例だ。
「裁判のやり方に問題がある」
「被害者たちは被害を捏造している」
「巨大な悪が働いている」
 そしてセクハラ認定された事実さえも否定する。

  だからあなたが勇気を持って牧師の不正を暴き、正義を成したとしても、牧師は牧師で「べつの正義」を振りかざす。そして逆にあなたを責め立てるかもしれない。あなたは努力したことが十分に報われたと思えないかもしれない。むしろ無駄だったのかと感じるかもしれない。

 そのように相手は「決して認めない人たち」なので、それを覚悟した上で事に臨むしかない。
 けれどそれ以前に大切なのが、そういう被害を避けることにあると思う。教会や牧師にのめり込んで、何でもハイハイ言ってしまうようなことのないよう、気をつけてほしいと私は強く願っている。

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