2016年7月7日木曜日

「牧師城」が難攻不落なワケ

 前回に続いて難攻不落の「牧師城」について。

「牧師城」が難攻不落である理由は、前回書いた通り、その教会政治の在り方にある。 すなわち牧師の支配(独裁)体制が確立されており、役員会も監査役も傀儡でしかなく、牧師を止めるものが何一つない、ということ。
 それでも牧師が悪事をはたらかなければ、ただちに問題になることはない。けれど有事の際は、その難攻不落さがネックとなって、大変なことになる。

 たとえば教会が定期的な会計報告をしてなくて、なんとなく怪しい雰囲気があって、あなたがそれを教会に聞いてみたとする(教会会計を気にする人はまずいないけど)。
 すると、牧師はきっとこんなふうに答える。
「スタッフも自分も毎日ミニストリーで忙しくして、会計処理をしている暇がない。もちろん会計報告できたら良いだろうが、その事務処理に手間どっている間に、神の働きが滞ることがあってはならない。我らは金銭でなく、主にお仕えしているのだから」
 なんかすごく敬虔な感じで、なんとなく納得してしまいそうな言い分だけど、いやいや献金集めてやってるんだよね、それ? 自腹切ってるわけじゃないよね? 会計報告する義務あるよね? って話のはず。そのへんを突っ込んでいくと、だんだん牧師の顔つきが変わっていく。そしてこうなる。「金銭のことで神の働きを妨げるあなたは、悪魔の影響を受けてしまっている!」 
 で、まわりの人たち(役員とかリーダーとか)も、それを支持する。そして一緒になって、あなたを責めはじめる。

 先生がどれだけ忙しいか、わかってるの?
 先生がどれだけご自分を犠牲にしてらっしゃるか、わからないでしょ?
 養ってもらってるだけの一信徒には、牧会の苦労はわからないよね?
「油注がれた者」に刃向っていいと思ってる? 罪だよそれ。
 教会批判はいけない。今すぐ悔い改めなさい。
 先生だって人間なんだよ? 限界もあるし行き届かないところもあるよ。もっと寛容でないといけないよ、君。
 聖書になんと書いてありますか? 互いに愛し合いなさい、と書いてありますよ。お金のことなど二の次です。私たちは愛し合うべきです。
 などなど、いろいろ。

 こんなふうに、会計報告さえできてない自分たちの適当さを棚の上に放り投げて、あなたのことを「教会を貶める悪魔の手先」みたいに言う。つまりあたなが訴えれば訴えるほど、あなたの立場は悪くなっていく。責められ、孤立し、辛くなっていく。聖書を使ってひっぱたかれる。教会のためを思って言ったのに、その教会から、敵扱いされる。

 そうなるともう太刀打ちできる気がしなくなって、あなたは謝るか、忘れるか、教会を離れるか、他教会のクリスチャンに相談するか、とかになる。
 教会の会計状況が気になっても、酷い目にあったから、もう追及する気になれない。結局あなたは「牧師城」を前に、手も足も出ない。

 というのが、その難攻不落さの一場面。「悔しさ」の片鱗を、感じていただけただろうか。

■「牧師城」を難攻不落にしている要因:それを支持してしまうリーダーたち

 なんでそういう、一信徒の側に立たず、牧師を一方的に支持するリーダーとか先輩信徒とかがいるかというと、それが彼らにとって「神に仕える」ことだからだ。彼らは自分たちが神に仕えている、神に忠実な者だと信じて疑わない。そして牧師や教会や自分たちの信仰に対する不満や抗議にすごく敏感で、何かあれば「牧師批判は罪だ」「教会批判は罪だ」となる。逆らう者には容赦しない。あるいは寛容な態度を見せたとしても、結局はこれ。「彼(彼女)はまだ未熟だから、自分が何をしているのか、わかっていないのです(だから私が正しく導いてあげないとね。やれやれ)」

 こういう人たちが、先の牧師による支配体制にガッチリはまってしまうと、もうその難攻不落さは「たけし城」なんて目じゃないレベルになる。必ずしも牧師の目論見と彼らの目論見とは一致しておらず、彼らの方が善意を動機にしていることが多いんだけど、善意なだけにタチが悪い。
 彼らの頭の中にはこんな図式がある。

「善意からやっていることなんだから、良いものだ」
「信仰からきていることだから、良いものだ」
「聖書に精通している牧師の言うことだから、良いものだ」
「それに反対したり意見したりするのは、罪なのだ」

 という訳で、自分たちの正義が絶対だって信じてて、それを保証するために聖書を都合よく解釈している。だから教会や牧師のやり方に意見したり異を唱えたり反対したりする人を、みんなして攻撃する。

 でもそういうふうになってしまった教会には、もはや自浄作用がない。それだけは覚えておいてほしい。必ず問題が起こる訳ではないけれど、起こった時にはどうすることもできなくなる。その時、誰かが傷ついたり、被害に遭ったりする。そして信じきっていたものが、呆気なく崩壊していくのを見る。

 自浄作用のない教会とは、中を掃除できないエアコンを使い続けるようなものだ。外側はきれいで、はき出す空気もはじめのうちは清浄だ。中が必ず汚れるとも限らない。室外機の周囲の空気がきれいな限りは。
 でも汚れた時にどうするか。有害な空気をはき出すようになったエアコンを前に、エアコン自身も、あなたも、何もできないんだけど。

4 件のコメント:

  1. いつも拝見させて頂いております。
    別教会ではありますが、読むたび、うちの教会に良く似ています。
    役員もリーダーも牧師達が決めるので、イエスマンばかり。
    神の御心だと言って借金を重ねてゆきます。

    稚拙な言い訳のついた会計資料に対して、ファミリーで疑問を呈すると、
    変な空気が流れる・・。

    教会員は、普段社会人として活躍しているのに、
    このカルト教会の中では、何故思考停止してしまうのか疑問です。

    確かに何某かの霊的な流れはあるのは感じるのですが、
    これって本当に聖霊なのかわからなくなってきました。
    ただの集団ヒステリーみたいなもののような気もしてしまいます。

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    1. この教会からは離れたほうが身のためですよ。信者全員が賛成したわけでもないのに、借金を重ねているというのはゆゆしきことですので。
      何某かの霊的な流れを感じるといいますが、それは貧乏神からのものであることは間違いがありませんね。
      新興宗教系プロテスタントは今どんどん信者が減っていっていまして、このままいくと信者減少→財政破綻になるのは目に見えています。借金してまで建物を建てたり、さまざまなイベントを大々的に行っていた新興宗教系プロテスタントの教会が、借金が思うように返済できなくなってしまって、信者が資金繰りのために奔走させられたケースが実際にあります。
      このままいくとたぶんめぐみさんは、首脳部の独断でこさえた借金のしりぬぐいに奔走させられます。下手をすると「家を売ってまで・・・」というところにまで追いつめられるかもしれませんね。
      そうなる前に沈みゆくタイタニックからは逃げ出しましょう。逃げるなら今のうちですよ。この日曜日はその教会に行くのはやめることをお勧めします。

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  2. バプテスト連盟の中にも、役員を牧師夫妻の親戚だけで固めてしまって、事実上単立のような運営になっている教会があるのです。(このような教会では牧師夫妻の給料やボーナスはもちろんお手盛りです)。
    バプテスト系は周知のように、各個教会が独立した存在ということもあって、教団本部が責任をもって裁定するシステムではないため、このような教会にあたってしまった場合、いろいろと面倒なことになったとしても相談する場所すらありません。

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  3. ハハハ、たけし城、懐かしいな。
    小学校高学年から中学にかけて、テレビで観たと思います。
    たまたま家庭でテレビで観て、ただおもしろいパフォーマンスにガハガハ笑っていたかもです。
    (元気が出るテレビ、とどちらが古いのか記憶はあいまいですが)

    そうそう、教会(日基)の会計報告なんて、書面で提示されても全く分かりませんでした。
    預り金(預け主には返金なし)から、専業牧師先生にいくら支払われているかなんて全く記載なしでしたよ。
    ”恵みについての立替金”の回収が教会員には課されるのでしょうか。

    でも、”たいへんなお仕事をされている、牧師先生とその家族を養おう!”と熱心な教会員の方々もいらっしゃるのですよね。

    教会生活に合わなかったからと、あきらめないで!、大切なことは、頭である主イエス様につながっていることですから。

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