1980年代のテレビ番組『風雲!たけし城』をご存知だろうか。
たけし軍団が守る「たけし城」を攻略せんと、毎週全国から集まった挑戦者たちが体力知力を振り絞って各難関に挑む、バラエティ番組だ。けっこう人気があったと思う。私も毎週ではないけれど、よく観ていた。
参考までに、同番組の最終回の動画(youtube)を紹介する(長いので注意)。
『風雲!たけし城 第127回(最終回)』
たけし城までにいろんなステージがあって、ストロング金剛に追いかけられながら迷路を攻略するとか、不安定な吊り橋を渡りながら高速で飛んでくるバレーボールをかわすとか、けっこう無理ゲーだった。でも極めつけは最終ステージで、カートを使ったウォーターバトル。各カートに大きな水鉄砲と紙のマトが付いていて、カートを運転して自分のマトを守りながら、敵のマトを水鉄砲で射抜けば勝ち。たけしが乗るカートのマトを射抜けば、敵があと何人残っていてもその場で試合終了、見事たけし城攻略となる。
でもたけしのカートの紙のマトが、明らかに厚い。水鉄砲が多少当たってもビクともしない。あれは卑怯だろうと子供心に思ったものだ。案の定、挑戦者らは毎週ことごとく全滅させられていた。たぶん番組史上、たけしのカートが攻略された回はわずかしかない。まさに難攻不落であった。
まあ簡単に攻略されたら番組として面白くないのはわかる。難しいからこその挑戦だろう。でも子供だった私は、数々の難関をクリアしてきた挑戦者らが一矢も報いることなく散っていくのが、なんだか悔しかった。あのたけしのカートのマトの厚さ。あれは狡いだろうと思ったのを、今でもよく覚えている。
で、現代に話を戻すんだけど、それと似たような「悔しさ」を覚えることがある。教会で。以下の記事が、その「悔しさ」を想起したキッカケである。
『アベ過ぎる”勘違い牧師”の醜態』(松ちゃんの教室 ブログ)
牧師が不透明な会計処理を指摘されても何だかんだ言い逃れる。あるいは再任が否決されてもシレッと居座り続ける。あるいは役員会を自分の息のかかった人間で固めて操作し、教会全体を思い通りに動かしていく。気に入らない人間(信徒や役員)を排除しながら。
そういう話は決して少なくない。要は、牧師によって私物化されている教会が一部にある、ということ。そこでは牧師職の不可侵領域が確立されていて、誰も踏み込むことができない。つまり「たけし城」と同じ、難攻不落。
そこでは牧師がグレーなことをしたとしても、あるいは不正疑惑が掛けられたとしても、あるいは明らかな不正が発覚したとしても、牧師の立場はほとんど揺るがされない。ウソみたいだけど、本当の話。
■難攻不落な「牧師城」
カラクリは単純だ。教会の幹部が全員牧師の家族や親族だったり、そもそも教会規約がなく牧師に何の縛りもなかったり、役員会等があっても全員牧師の息のかかった人間だけで構成されていたりするのだ。皆牧師を援護し、庇いはするけれど、注意したり意見したりはしない(できない)。
カラクリは単純だ。教会の幹部が全員牧師の家族や親族だったり、そもそも教会規約がなく牧師に何の縛りもなかったり、役員会等があっても全員牧師の息のかかった人間だけで構成されていたりするのだ。皆牧師を援護し、庇いはするけれど、注意したり意見したりはしない(できない)。
だから、たとえば教会会計にかかわるのは牧師と身内だけとなり、事実上のブラックボックスと化す。不正があっても発覚しづらい。疑われても普段から会計報告なんかしてないから、後から何とでも言い訳できる。
また教会規約とか、教会の大事な決め事とかも、教会総会でなく役員会でのみ決議することが多い。でも役員会ったって牧師の傀儡みたいなものだから、牧師の希望がノーチェックで100%通ることになる。役員会で決議しました、というのは形式に過ぎない。
また全信徒が参加できる教会総会は、事後報告を発表する場だったり、すでにシナリオができあがっている決議を事務的にこなすだけの場だったり、あるいは○○の事業を始めるから献金よろしくね、みたいなアピールの場だったりする。全員で何かを決める場でははない。イコール、一信徒が教会の何らかの決議に参加することは、ない。
というように牧師の支配構造がハッキリしている教会は、聖霊派・福音派あたりになると少なくない。そこでは牧師の意に反したことを信徒がしようとすると、いろいろな障害に遭ってしまう。あるいは初めから、意に反することができない仕組みになっている。繰り返すけど、難攻不落の牧師城だから。
ただ、そういう構造の教会がイコール不正や悪事を働いている、という訳ではない。おそらくほとんどの教会や牧師は、牧師城的構造であっても、良心と公序良俗に従って、教会運営をしていると思う。だからそういう構造自体が悪いとは断言できない。
ただ問題は、牧師が不正や悪事を働いた場合だ。その際は、難攻不落であることが、とんでもない災いとなる。なぜなら牧師の不正は家族ぐるみ、仲間ぐるみで庇われ、隠蔽されるからだ。そのへんは独裁政権の歴史をみればわかると思う。一信徒や一個人では、到底太刀打ちできない。逆に悪魔呼ばわりされて、余計な被害を被ることにもなる。
だから、難攻不落の牧師城なのだ。
というわけで後半に続く。
「皆さーん沖縄にプレイヤーセンターを建てるので献金してくださーい。約束献金捧げてくださーい。」これは神様からの使命です。と呼びかけられてそこに随分と捧げたけれど、一向に建たない。それどころかそれは取りやめになったと人伝えに聞いたのだが。。。プレイヤーセンター献金として捧げたのにのこ後の献金の行方も知らん顔。約束献金として毎月決まった額の提示もしたのにそれはないぜ。。。
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