カトリックとプロテスタントの大きな違い。「人とのかかわり方」について

2016年7月3日日曜日

教会生活あれこれ

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 カトリックとプロテスタントの両方に触れて思ったことを、1つ紹介したい。

 と言ってもカトリックはまだまだ勉強中なので、教義面ではまだ何も言えない。言えるのは実際の教会生活(主に礼拝)についてになる。
 またプロテスタントと言っても幅が広くて、一概に言えない。だから私が長くかかわってきた聖霊派・福音派の話になる。ルーテルや聖公会になるとまた話が変わってくるので、そのへんを了解したうえで読んでいただきたい。

■カトリックとプロテスタントの実際面の大きな違い

 カトリックとプロテスタントの大きな違いとして、「人とのかかわり方」があると思う。

 カトリックだと、自分から動かない限り、誰も何も教えてくれない。特別話しかけられることもない。だから人とのかかわりは文字通りゼロになる。個人的に仲の良い間柄はあるだろうけれど、教会で知り合った人たちと関係を築いていこう、みたいな雰囲気はない。青年会とか婦人会とかのグループ活動もない(と思う)。(→訂正。あるみたいです)。

 カトリックに通って1年になるけれど、私はいまだカトリックの知り合いがいない。もちろんやり方次第で、誰かと知り合いにはなれると思う。ただ私個人がそれを願っておらず、話しかけることもせず、それでも通い続けられる雰囲気がカトリックにはある、ということだと思う。
 たとえばこれで周りに沢山のグループがあって、会堂のあちこちでワイワイガヤガヤやっていたら、ぼっちの私は寂しくなって、どこかのグループにいずれ入りたくなる。
 しかしカトリックのミサ(礼拝)に通っている限り、ぼっちを意識することはない。少なくともそこでは皆がぼっちであり、1人1人が神に向かっているからだ(と思う)。礼拝堂を出れば、固まって話している人たちもいる。けれどそこはもう教会とは関係ない。

 というのが私のカトリックのイメージ。自分から動かないと、何のかかわりも生まれない。

 この点がプロテスタントはまったく逆になる。
 プロテスタントだと教会に入った瞬間から話しかけられる。まず受付で挨拶され、次に隣の席の人に話しかけられる。礼拝中にまわりの人たちと挨拶する時間があり、下手すると初対面の人とハグする羽目にもなる(カトリックにもこの時間はあるけれど、頭を下げるだけでいい)。また礼拝中に立って自己紹介させられることもある。
 礼拝が終わると、初来会の場合はまず間違いなく牧師に話しかけられる。どこの誰で、どんな仕事してて、どこに住んでて、どこ出身で、どんな家族構成で、どんな事情で来たのか、とかいう個人情報を聞かれる。そしてさっそくいろいろな教会活動を紹介されて、是非どうぞ! ってなる。連絡先を教えると、いろいろお誘いをいただいたり、お元気ですか? とか脈絡なく聞かれたりする。
 また青年であれば青年会、婦人であれば婦人会など、年齢性別に合ったグループを紹介される。そこのリーダーにもいろいろ話しかけれらる。「弟子訓練」を導入している教会だと、一対一でいろいろ教えられることにもなる。またそういうグループとか師弟関係とかでなくても、誰かに個人的に気に掛けられて、願うと願わざるとにかかわらず、あれこれお世話されることもある。

 つまりプロテスタントだと、ぼっちではいられない。誰かと関係を持たざるを得なくなる。
 カトリックみたいに、礼拝が終わると皆すぐ会堂を出ていくってこともない。礼拝後は「交わり」の時間だったり、昼食会だったりして、いずれにせよ誰かと話すことになる。教会に来たばかりだと、そこでいろいろ教えられることになる。

 まあ、どっちが良い悪いという話ではない。そういう違いがあるよって話。
 しいて言うと、ぼっちでいたければカトリックは居心地がいいし、ぼっちが嫌ならプロテスタントの方が居心地がいい。かもしれない。

■プロテスタントの「かかわりすぎ」

 そういう基本理解を踏まえたうえで、プロテスタントの「人とのかかわり方」の問題点を挙げてみよう。それは一にも二にも「かかわりすぎ」というのが根本にある。

事例1
 クリスチャンになったばかりのAさん。先輩信徒Bさんが、事実上の指導係になった(頼んでないけど)。
 ある日曜の礼拝。Aさんは教会にきて、いつも通り一番後ろの席に座った。そこへBさんがやってきた。「Aさん、今日から礼拝では前の席に座りましょう」「なんでですか」「礼拝に集中できるためです」
 で、Aさんは仕方なく前の方の席へ。隣にはBさんがいる。で礼拝がはじまって、終わって、Aさんは帰った。以降来ていない。

事例2
 弟子訓練教会にて。Cさんがリーダーで、Dさんがフォロワー。Dさんは結婚について悩んでいた。結婚を考えている交際相手が、未信者だったからだ。 でCさんがアドバイスした。相手が未信者でも、ちゃんと話し合って信仰について理解してもらえれば、結婚の妨げにはならないのではないか、みたいな感じに。Dさんはちょっと安心した。
 さてCさんが牧師に呼ばれて、Dさんの教育の進捗状況について聞かれた。Cさんは結婚のことも含めて報告した。すると牧師が激怒して、未信者との結婚なんてダメに決まってるだろう! みたいな感じで怒鳴りつけた。
 そして後日、DさんはCさんに呼ばれた。Cさんは神妙な表情で、やっぱり未信者との結婚は考え直した方がいいと思う・・・と言う。
 え、どっち?
 というのがDさんの感想。

 他にもイロイロあるけれど、要するに「余計なお世話」な事例が多い。と言うか余計すぎて、不信感を抱かせたり、教会から離れさせたりしてしまうことがある。たとえ善意からだとしても。
 Aさんのケースで言えば、礼拝で座る席なんか好きにさせろって話。Dさんのケースで言えば、教える側の不一致が問題だけれど、そもそも人の結婚に教会が口を出すのがおかしいと思う。しかも未信者じゃダメだとか、昭和初期の親じゃあるまいし。
 これが分別のつかない未成年ならまだわかるけれど、大人相手にすることではないと思う。

■プロテスタントの千差万別さ

 これらは極端な例だろうけれど、プロテスタントの「人とのかかわり方」を突き詰めた結果でもあると思う。知っているルーテル教会だと、人間関係はもっとあっさりしている。もっとバランスのいいところもあるかもしれない。

 でもそういうふうに、人間関係が密だったり稀薄だったりとイロイロあるのが、プロテスタントの特徴の一つだと思う。
 だから教会と言っても千差万別なので、選ぶ際にはイロイロ見たり聞いたり試したりした方がいい。「人はそれぞれ植えられる教会が決められている」みたいな運命論を主張する牧師もいるけれど、聖書にそんな根拠はない。決めるのはあくまで自分自身。だからはじめから「ここ」って決めるより、いろいろ見てからでも全然遅くないと、私は思う。カトリックもプロテスタントも含めて。

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