クリスチャンブログを書くということ

2016年7月13日水曜日

ブログ

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 当ブログを始めて、おかげさまで3年以上になる。だからそろそろ「ブログ」について語ってもいいと思う。

 というわけで今回は、「クリスチャンブログを書くということ」について書いてみたい。

 このブログを始めたそもそものキッカケは、私自身がカルトっぽい教会を離れたことにある。それまで本気で信じていたアレコレの間違いに気づくと、芋づる式に、あれも違った、これも違った、と気づくことになり、これはもう文章にまとめておかなければ、と思った。またそれを公表することで、私と同じような間違いにハマっている人への注意喚起にもなればと思ったし、あるいは私と同じように間違いに気づいて、いろいろ整理したい人向けの情報提供になればとも思った。

 で、書き続けて3年以上が過ぎた。はじめの2年は「ほぼ毎日更新」を目標にひたすら書き続けた。3年目からは諸事情あって毎日は困難になったけれど、そのぶん一つの記事のクオリティを上げられればと、それなりに工夫を凝らしてきた(つもり)。

 書いてきていろいろ気付いたことがある。書かなければわからなかったこともある。いろいろ反省もあるし、良かったと思うこともある。クリスチャンブログを始めようと思っている人がどれくらいいるかわからないけれど、これが何かの参考になれば幸いだ。

 その前に、いつも読んで下さっている皆さんに感謝申し上げたい。コメントもいつも本当にありがたい。すべてのコメントにお返事できなくて大変申し訳ないけれど、いつもちゃんと読ませていただき、心に留めさせてもらっている。また「毒」のあることばかり書いているのに、あたたかく受け止めていただいて、本当にありがとう。私にとってここは大切な居場所、また心の内側をさらけ出せる場所となっている。それも皆さんがあってのこと。これからも、良い記事、面白い記事、問題提起できる記事を書いていきたい。

 というわけで、クリスチャンブログを書くメリット、留意点、大事だと(私が)思うこと、その他諸々について。

■とてつもなくニッチな分野だと知っておく

 日本のクリスチャンが人口の1%未満と言われて久しい。30年前にも同じことが言われていたから、少なくともここ30年の教会の平均成長率は0%ということになる。だからクリスチャンブログのニーズも相当少ない。超ニッチである。ほとんど見向きもされないことは、覚えておいた方がいい。
 HPを持っている教会も多いと思うけれど、あれも一般的にはほとんど見向きもされない。知り合いのバプテストの牧師から、教会HPのアクセス記録について聞いたことがあるけれど、1日平均20~30PVくらいらしい。聖霊派のちょっと先進的なHPでも1日100PV行けば多い方だった。まあ教会HPは頻繁に更新することもないだろうし、内容も信徒向けだったりするから、そもそもPV増加は期待してないだろうけど。私も興味がある教会のHPを見るときは、礼拝時間とアクセス方法の画面しか開かない。

 だからつまり、クリスチャンブログをやるにしても、そんなに人に見られることを期待すべきでない。そもそもニーズが少ないから。
 もし、大勢の人に見てもらいたい、月間100万PV目指したい、とか思うなら、未信者の人を対象にするしかない。そしてクリスチャンブログでありながら未信者の人が興味を持つようなコンテンツを提供していくしかないと思う。それでも月間100万PVは至難の業だと思うけれど。

 悲報を追加すると、現在、ブログは無数のジャンルに広がって無数に存在しているけれど、その8割は1日のPVが50未満(月間1500PV未満)という調査もある。つまりブログそのものが、あんまり見向きされない傾向にある、ということ。その中でクリスチャンブログをやろうというのだから、集客を期待すべきでないのがおわかりいただけるだろう。

 だから沢山の人に見てもらおう、という動機より、これは書かなければならない、という動機の方が、くじけないで済むと思う。

■とにかく続けることが肝心

 これは断言するけれど、ブログは続けてナンボの世界である。内容の面白さより、情報価値の高さより、定期的に更新されていることが一番重要な要素となる。面白くても続いていないと、1回きりで終わってしまう。私の尊敬するクリスチャンブログも久しく更新されていなくて残念だ(それでもコメントだけは入り続けるという驚異的な事態になっている)。

 もっともそれは、ブログの目的にもよる。
 たとえば、ある一定量の情報をブログに順次掲載していき、終わったところで更新自体を終了する、というスタイルもあるだろう。その情報に一定のニーズがあれば、たぶん少数だろうけれど、その後一切更新しなくても定期的な訪問があると予想される。いわゆる「山道の途中の立て看板」みたいなものだ。

 でもそこまで普遍的価値のある情報というのも少ないだろう。多くのクリスチャンブログは、個人的な聖書研究だったり、日々の「証」だったり、「ディボーション」の記録だったり、日記スタイルだったり、写真中心だったり、キリスト教関係だけでなく自分の趣味を交えた内容だったりする。そういうのはやはり更新してナンボであり、更新が止まれば見る人も(ほとんど)いなくなる。
 ブログは生物(ナマモノ)であって、動き続けるから魅力的に見える、という側面がある。つまり止まると化石になってしまう。

 というわけでブログを始めるには、更新し続ける覚悟が一番必要だと私は思う。

■書き続けることで見えてくるものがある

 文章とは不思議なもので、書いても書いても、自分の表現したかったものを余すところなく表現できた、という達成感に到達できない。いつも書き終わってから反省して、ああちょっと違ったな、表現しきれてないな、焦点がズレていたな、みたいなガッカリ感を味わう。書いている最中はいい感じなんだけれど、それは自分の頭の中だけってことが多い。つまり、いくら書いても悔しかったり不完全燃焼だったりする。

 でも同時に言えるのは、それでも書き続けることで、いろいろな表現方法を学び、いろいろな切り口を発見し、より多彩な展開ができるようになっていく、ということ。自分が表現したかったものに、より近い文章を書けるようになっていく(ような気がする)。だから諦めてはいけない。前述の通り、書き続けることに意味がある。

 また、書くことでいろいろ整理できるというメリットもある。私の場合はカルトっぽい教会についてゆっくり振り返ることができた。まだその最中なんだけれど、これはきっと自分の精神状態に良い影響をもたらしていると思う。より客観的になり、広い視野を持てるようになったと思う。
 はじめの方の記事を読むと、あまりに視野狭窄になっていて、我ながら恥ずかしい。もちろん善意や正義感から書いていたんだけど、暑苦しいし断罪的だし、あまり良い印象を与えないと思う。伝えたいことがあるなら、内容もさることながら、伝え方に注意しなければならない。自戒を込めて。
 そしてそれは、書き続けることでしか身につかない。

■ブログ収益は期待しない

 ここからはちょっと専門的な話。

 数年前、「ブログで飯を食っていこう」みたいな気運が高まった時期があったと思う。webライターになって職場の束縛から解放されよう、自分のペースで生きていこう、みたいな感じ。「ノマド」という言葉も流行って、「働くこと」の新しいスタイルが提案されたように思う。で、成功したブロガーさんたちが世に出て、彼らの本が出版された。そこから「ブロガー」という職業が新しく生まれたようにも思う。

 しかしどんな業界もそうだけれど、大きく成功するのはごく一部である。無数のブロガーがいる中、いわゆるアルファブロガーになれるのはごくわずかだ。しかも成功した人たちは、ブログ一本で食べているわけではない。ブログが元になって別のビジネスチャンスを得た、というのが大きい。
 また中にはブログ一本で食べている人たちもいるだろうけれど、彼らはプロの書き手であることが多い(もともとそういう仕事をしていた)。だからブログ記事がいくつものキュレーションメディアに紹介され、大量のPVを集め、出版するチャンスもある。本職を持ちながら余暇でブログを書く大多数の人とは、そもそも立ち位置が違う。

 で、ブログの収益だけれど、いわゆるアフィリエイトとか、google AdSenseとかで収入を得る方法はある。けれどまともに暮らしていけるだけの収入を得るには、月間PV100万は最低でも得なければ厳しい(1日にしたら3万4千PV)。しかもそれをずっと維持していかなければならないわけで、仕事としても相当厳しいものがある(普通に雇われて働いた方がそのへんは楽だろう)。

 で、はじめの話に戻るけれど、クリスチャンブログはものすごいニッチだ。少なくとも日本では、需要が全然ない。そこで月間100万PVというのは、私の感覚からしても相当な無理ゲーである。よっぽど面白いコンテンツで、未信者を巻き込まないと不可能だろう。でもそうすると、クリスチャンブログを標榜する意味がどうなのって気もする。

 だから「クリスチャンブログで食べていこう」みたいな人がいるなら、ほぼ無理なのでやめておいた方がいいと私は忠告する。 それより自分の書きたいことを好きに書いて、上記のような文章力の向上とか、頭や気持ちの整理とかを考えた方が現実的だと思う。それで余裕があるならブログの収益化をして、多少なりとも小遣いが入るようにでもなれば、万々歳ではないだろうか。

 というわけで「クリスチャンブログ」について書いてみた。まだ書きたいことがあるので、おいおい書いていこうと思う。

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