2016年7月18日月曜日

気をつけよう、甘い言葉と「終末狂い」

 去る14日の夜、フランスの独立記念日にテロが起きた。フランスは昨年11月にも同時多発テロが起きている。今月はじめにはバングラデシュでもテロがあった。ふとニュースを見ると、トルコでは反政府軍によるクーデターがあった。

■「目に見える世界情勢」と「見えない世界情勢」

 世界規模でいろいろな事件が起きている。特に最近のテロの多発や日本人犠牲者の拡大には、「迫りつつある危険」を感じる人が多いだろう。
 こういうとき、必ずといっていいほど、終末論者たちがしたり顔で語りだす。「人々の愛が冷める」とか「国は国に敵対し」とかいう黙示録的ワードを並べたてて、いつも通りの結論を導き出す。「これは終末のサインだ。目覚めなさい」

 でもそういうのは、「目に見える世界情勢」に踊らされていることが多い。あるいは人々を踊らせようと、意図的に語っている側面がある。

「目に見える世界情勢」というのは、我々が得られる情報には限りがある、という意味だ。
 各地で悲惨なテロが起きているのは事実だけれど、悲惨な事件でいうなら、たとえばアフリカ大陸や中東地域は現代にいたるまで悲惨な事件で満ちている。東南アジアの諸地域もそうであろう。しかし日本であまり報道されず、ネットでも日本語情報が少ない種類のものは、「見えない世界情勢」となる。起こっているけど、知らない事態。そのため、日本で容易につかめる情報、つまり「目に見える世界情勢」に目が行きがちで、それ「だけ」が「世界」となりやすい。

 しかし実際にはいろいろな土地でいろいろな悲惨な事件が起きている。その意味で、「愛が冷める」のも「敵対」も、もうとっくに起きている。

 だから日本でテレビやネットから簡単に(日本語で)得られる情報の中から、テロとか戦争とかの情報を取り出して、聖書をこねくり回して、「ほれ終末だ」と主張するのは、ハッキリ言って浅はかだと思う。目覚めなきゃいけないのは自分たちのほうであろう。

■あくまで主観的な「終末感」

 またこれは何度も書いているけれど、世界情勢から終末を読み解くのは意味がないと思う。聖書が終末の兆候として示す「戦争」も「地震」も人類の歴史と共にあった。また前述のように「人々の愛が冷める」のももうとっくに起きている。最近の凶悪な殺人事件の数々を挙げて、「ほら、今までになく人々の心が冷めている」とか言う人がいたら、昭和の犯罪史を学んだ方がいい。あるいは江戸時代の「捕り物」の内容とか、拷問や処刑方法なども学んだらいい。残酷な話は昔から事欠かない。

 また「終末を感じさせる事態」も歴史上たびたびあったはずだ。挙げたらキリがないけれど、たとえばホロコーストとか、2つの世界大戦とか、スペイン風邪の大流行とか、ペストの大流行とか、どれも大量の犠牲者を出していて、現場の人々には「終末的」非常事態に見えたと思う。そのまま世が終わったとしても、彼らは疑問を抱かなかっただろう。

 だから現代、自分が目にしている「一大事」をとりあげて終末云々を語るのは、あくまで主観の話でしかない。それをホントの終末と結びつける根拠はどこにもない。あるとしたら終末狂いの人たちの、「だって主にそう語られたから」とか、「霊に感じたから」とかいう言葉しかない。

■仮に終末だとしても

 仮に今が終末だとハッキリ確認されたか、あるいは終末でないとハッキリ確認されたとしよう。そのどちらだとしても、私たちクリスチャンの態度は、何も変わらないはずだ。すなわち「惑わされないように」注意して、信仰に基づいた生活を送るだけだ。終末だなんだと騒ぎ立てるべきでないし、そういう話に踊らされるべきでもない。シンプルに毎週礼拝して、あとは自分の日常を生きるべきだと思う。
 日々起きる様々な事件・事故にふれて祈るとしても、それらに特別な「霊的意味づけ」をする必要はないし、そこから終末論やら陰謀論やらなにやらを展開する必要もない。そうでなく落ち着いた信仰生活を日々続けることが、キリストのシンプルな願いだと私は思う。

「迫害の際にそんな悠長なことは言っていられない」みたいなことを言うDQNがいるかもしれないけれど、迫害時にどうするべきかという話はしていない。終末終末と騒ぎ立てるべきでない、という話だ。

■「終末狂い」の浅はかさ

 以上みたように、極端な終末論者、すなわち「終末狂い」には、実は浅はかな言動が多い。あるいは人々を恐怖で扇動し、自分に注目させようという悪意を潜ませている。だから終末をよく唱える人や、いろいろな陰謀論や「霊的世界」の話をする人には注意してほしい。口がうまいしカリスマ性があるからコロッとやられやすいけれど、そういう見た目や耳触りの良さに惑わされていはいけないと思う。

 アメリカで同時多発テロが起きて以来、「同時多発」という台詞がすっかり気に入ってしまった牧師がいて、何にでも「同時多発」を入れるようになった。
「日本のあちこちで、リバイバルが同時多発的に起こっていく!」
 とか、
「私たちが祈ることで、各地で霊的打ち破りが同時多発的に起こっていく!」
 とか、もうまさにバカの一つ覚え。結局同時多発的なリバイバルも霊的打ち破り(なにそれ)も全然起こらないままその牧師は退場したんだけど、要はそういう感じの浅はかさ。見た目や言葉に騙されることなく、そういう浅はかさを見抜ける思考力や判断力が、本当に必要だとつくづく思う。

 この注意喚起を、先の参院選で安倍首相が言ってた言葉で表現するとこんな感じ。
 気をつけよう、甘い言葉と「終末狂い」

2 件のコメント:

  1. イスラム系のテロが頻発していますせいか、終末詐欺をやって大金を稼いでぼろもうけをしようと悪だくみしている人たちが、やたらと終末をあおって、それこそ「イスラムとの闘いをしなければならない!」という攻撃的な発言までしていたりもします。もちろん新興宗教系プロテスタントの人たちですが。

    しかしわれわれが、イスラム原理主義のIS国の活動やテロを見て考えなくてはならないのは、本山のない宗教の恐ろしさではなのではないのかなあと思います。
    本山がありませんので、意識の進んでいる人たちは心配ありませんが、意識の遅れた人たちは時代の流れに適応することができず、もちろん教育される機会もないまま放置されてしまっています。
    そういった人たち(大半が反知性主義ですが)が浅慮から、さまざまなテロをやらかしてしまいます。小さなことですと、焼香や仏壇を拒否して親族との関係を悪化させる家族関係に対するテロ、大きなことですと、断ち切りの祈りをやるといって夜中に神社の境内に入って、手水鉢に向かって小便をしたり、神社仏閣に油をまいてひんしゅくを買う文化財に対するテロ行動に出たりする等であります。

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  2. ICチップ体内に入れたら、地獄におちるから絶対ダメよって、
    黙示録に書いてあるのですか?

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