「カルトっぽい教会を離れた後の話」の連載中だけれど、今回はちょっと別の話。
某トンデモ系聖霊派クリスチャンが「40日断食」についてしたり顔で書いているので、その問題点について書いてみたい。
「40日断食」そのものは聖書に出てくる。キリストが宣教を始める前、荒野で40日間の断食をして、その後で悪魔の誘惑を受けた、という有名な話である。
最初に断っておくと、40日断食するのも80日断食するのも何も悪くない。長期の断食だから健康面でいろいろ注意しなければならないとは思うけれど、べつに駄目だとか悪いとかいう話ではない。
で、某トンデモ系聖霊派クリスチャンが言う「40日断食」のポイントはこんな感じ。
(1)一つ上のステージで神様に用いられる為の準備である。
(2)神に導かれた断食であるなら、聖霊の力によって達成できる。つらくもない。
(3)40日後には神様からご褒美がある。
(2)神に導かれた断食であるなら、聖霊の力によって達成できる。つらくもない。
(3)40日後には神様からご褒美がある。
こういう話を聞いて感心してしまう人が少なくないようなので、この3つのポイントの問題点についてそれぞれ書いてみる。
(1)一つ上のステージで神様に用いられる為の準備である(←ウソ)
これは単に能力主義の話。もしくは律法主義の話。できるできない、クリスチャンとしての「レベル」、優劣、上下、とかいう話。
そもそも、一つ上のステージって何ですか? 逆に一つ下のステージって何ですか?
具体的に説明してほしい。たとえば会堂の掃除がレベル1で、賛美奉仕がレベル2で、説教奉仕がレベル3とか、そういうこと? あるいは「霊の目」の開かれ具合にレベルがあって、彼はレベル1だから全然啓示されてない、彼女はレベル2だから半分くらい啓示されてる、私はレベル3だから全部啓示されてるよ(エッヘン)とか、そういうこと?
そもそも、一つ上のステージって何ですか? 逆に一つ下のステージって何ですか?
具体的に説明してほしい。たとえば会堂の掃除がレベル1で、賛美奉仕がレベル2で、説教奉仕がレベル3とか、そういうこと? あるいは「霊の目」の開かれ具合にレベルがあって、彼はレベル1だから全然啓示されてない、彼女はレベル2だから半分くらい啓示されてる、私はレベル3だから全部啓示されてるよ(エッヘン)とか、そういうこと?
じゃあそのレベルとか優劣とかの基準は誰がどう決めるんだろうか。そして誰がどう判定するのだろうか。またその優劣はクリスチャン人生に具体的にどう影響するのだろうか。仮に絶対不変な基準があってクリスチャンの優劣が決定されるとしたら、たとえばA教会の牧師とB教会の牧師とでどちらが優れているかが決められる訳で、全国の牧師の番付みたいなものが発表されるようにもなる(かもしれない)。あるいは教会の番付とか、クリスチャンの番付とか。
そういうのを誰が望むだろうか。少なくとも聖書はそういう考え方を支持していない。
(2)神に導かれた断食であるなら、聖霊の力によって達成できる。つらくもない(←ウソ)
つらくないなら幾らでも断食できますよね? もはや食べなくてもいいのでは? とか思うのだけれど、これには体の順応性が関わっている。人体はいろいろな環境に慣れるようにできていて、特に空腹に対する補償機能は高い。ちょっと専門的な話をすると、人体の活動エネルギーであるATPを産生する機能は解糖系、ビリルビン酸脱水、素酵素複合体、TCA回路の4種類がある。そして空腹になるとこの4つが適宜機能して必要なエネルギーを産生し、生存できるようにする。逆に満腹で血糖値が上昇すると、インシュリンが機能して血糖値を下げていく(エネルギーを貯蔵する)。
わかりやすく言うと、人体には満腹に対処する機能より、空腹に対処する機能の方が多い。だから水分さえ摂取していれば、ある程度の期間は生きていられる(だからと言って長期の断食を推奨するものではない)。
また3、4日間何も食べなければ、体が「食べない状態」に慣れてくる。空腹感は減り、むしろ急に大量に食べられない状態になっていく。だから空腹感の強まる初めの3、4日を凌げば、以降は案外食べなくても平気な状態になるのが通常なのだ(もちろん、これは水分がいつでもいくらでも摂取できる状況での話であって、飢餓状態とは違う)。
そういう人体構造にしたのは創造者である神様だから、長期間断食しても生きていられるのは、確かに神様の力のおかげである。けれどそこに聖霊の力が働いて、普通の人ならできない40日断食を私は達成した、と言うのは単純すぎる。できるのは上記の意味において当然なのであって、何か特別な力を必要としていない。クリスチャンであろうがなかろうが、健康問題がなければ誰にでもできる。
(3)40日後には神様からご褒美がある(←ウソ)
何のために断食するんですか? 自分がご褒美もらう為?
もしご褒美がほしいという気持ちがあって(それがメインの狙いでなくても)断食するなら、それはもはや聖書が言う「断食」でなく、ただの「我慢」である。我慢した結果のご褒美だからだ。そういうのを一般的にご利益主義と言う。
するとそれは神様の為でなく、誰かの為でもなく、自分自身の為ということになる。自分自身の為に食事を我慢している。
それが「自分自身の為の断食」である証拠は他にもある。断食したこと、していること、する予定があることを他人にアピールしていることだ。たぶん彼らは、断食について聖書が、特に新約聖書が言っていることを知らない。断食していることを人に知られないようにしなさい、と書いてあるのだけれど。
以上、おかしなクリスチャン(?)のおかしな主張に騙さる人が減るように書いてみた。もし知り合いのクリスチャンに敬虔そうな顔で断食アピールしている人がいたら、それっておかしいよと是非教えてあげていただきたい。
するとそれは神様の為でなく、誰かの為でもなく、自分自身の為ということになる。自分自身の為に食事を我慢している。
それが「自分自身の為の断食」である証拠は他にもある。断食したこと、していること、する予定があることを他人にアピールしていることだ。たぶん彼らは、断食について聖書が、特に新約聖書が言っていることを知らない。断食していることを人に知られないようにしなさい、と書いてあるのだけれど。
以上、おかしなクリスチャン(?)のおかしな主張に騙さる人が減るように書いてみた。もし知り合いのクリスチャンに敬虔そうな顔で断食アピールしている人がいたら、それっておかしいよと是非教えてあげていただきたい。
新宿S教会のトミタSですね。
返信削除人呼んで、「強制断食マシーン」(笑)
四十日断食してご褒美がいただけるなら、頭髪をご褒美にいただいたらいいのにね。
削除そういえば新興宗教系のプロテスタントでは、「祈れば与えられる」と教えていますよね?でも私の見聞した限り、祈って頭髪が与えられたという人は一人もいませんよ。
某新興宗教系のプロテスタントの熱心な信者で、頭髪がさびしくなりかけている人にそれを指摘したことがありましたが、返ってきた返事は「そんなことは祈っていません!」というものでしたよ。しかしこれはどうみても逃げでしかありませんよね?
物事がうまくいかない人に向かって、「あなたの信心が足りない」といっている創価学会の人とそっくりですよ。頭髪が与えられないのは、信心が足りない上に祈りも足りないし、ついでに言えば献金も奉仕も足りないし、もっといえば断食の日数がたった四十日しかないからではありませんか?(笑)
考えてみれば断食をしたからといって、神からご褒美がいただけるというのは、ずいぶん安直な考えではありますよ。もしそんなもので神からご褒美がいただけるというのでしたら、北朝鮮の一般庶民は四十日どころか一年中断食しているようなものでしょうが、彼らは神から食料をご褒美に与えられることすらありませんし、もちろん自由や権利すら与えられていないではありませんか。
断食して神に自分の要求を通してもらおうという発想自体が、どうみても三歳児がただをこねて、「ぎゃあ~、ママ~、あれ買ってえ~」と暴れているのと同じことではないでしょうか。
いやいや~、頭髪を求める祈りなんてしないでしょ。(ヒントは列王記下 2章 19-25節)
削除匿名さんのところにもクマがやってくるかもしれないよ(笑)。
お気をつけあそばせww
祈れば思い通り…なわけないのにね。
利害が衝突したらどうすんだろ。
その某教会ですが、断食表(誰がいつ断食するかという予定表)が貼り出されて
削除あなたも慣れたら断食するのよ、と言われました。
某ユースパスターは、信者からの誕生日プレゼントにスーツをもらい
「ワンサイズ小さいモノを薦められた。これはこれ以上太らないという掲示だ」
なんて言っていましたが、断食ってマゾヒズムなものですか?
断食って、そんなに偉くなれるんですか?
今でもやっているんだろうな、40日断食だか「ダニエル断食」だか。
嗚呼、縁を切って良かったです。
沖縄に住んでいる某クリスチャン(?)が
返信削除ブログに書いてましたね。
ご褒美がなんちゃらかんちゃらと。
すっごい自己顕示欲ですよね~
また沖縄の例の婆さんですか(笑)。
削除婆原彰晃はブログのコメント欄でエホバの証人を批判し、かかわってはならないと主張していたのが大爆笑ものだと思いました。
異端だとか救われる人の数が決まっているとかを批判していますが、婆原教だって、焼香を拒否しないのはだめだと狂信的な教義ですし、終末詐欺もやらかしますので、エホバを批判するのは目くそ鼻くそ以外のなにものでもありません。
エホバだってこういうでしょう「焼香拒否して終末詐欺をやりまくるお前がいうな!」
新宿Sも確かに断食を話題にしていたけど、
返信削除沖縄ご一行様とはアピールの仕方は違うのでは?
噂で聞いたのは、2014年の”騒動”の際に、除名?縁を切られた?との
ことです。
主任牧師の警告に逆切れされたり、この教会が支持するB・J氏のことを
”危険”と記事にされていたとのことですから、
今は、S教会とは趣旨は異なると思われます。
このコメントは投稿者によって削除されました。
削除単立の新興宗教系プロテスタントは、どこからも援助金がもらえるあてがないことがほとんどです。この手の新興宗教系プロテスタントを経営する側にとって一番大切なのが、「太い信者」を獲得することなのです。
削除新宿S教会の教祖にとって、婆原は神に祈り求めてようやく与えられた太い信者でありました。しかし・・・太い信者には実は二種類いるのです。それは「金は出すが口は出さない信者」と、「金も出すが口も出す信者」です。
そう。婆原はまさしく後者のタイプで、これは教祖にとって人生最大の誤算でした(笑)。
最初は婆原もおとなしく教祖に聞き従っていたものと思われます。実際子供をチャーチスクールにやり、什一献金をしっかりやってくれていました。
ただ教祖にとって一番困ったのは、婆原が自分以上に弁が立ち、カリスマ性があることだったのです(笑)。
教祖は「自分が一代で築き上げた商売を、婆原にのっとられるのではないか」と内心びくびくものだったに違いありません。
この二人は裸一貫から商売を立ち上げて成功をおさめたわけですので、似通った部分もあり、婆原が新宿S教会に入信した時点では、お互いの共通点を喜び合っていたのでしょう。しかしいつしかそれは同族嫌悪に変わり、お互いの嫌な部分(それは自己の嫌な部分ですが)を見せつけあうようになってしまったのではないかと思われます。こうなるともう人間関係を良好に保つことはかなり難しいでしょう。
わかりやすくいえば「バンドやろうぜ!音楽性はこれこれ」と教祖がいったら、音楽性に賛同して婆原がやってきましたが、お互いに「ヴォーカルをやるのはあくまで自分!」と譲らないことになってしまったということです。
婆原と同じように教祖も終末詐欺をやったと思いますが、いつしか信者たちは教祖よりも婆原の話に耳を傾けるようになり・・・
もうこのころになると婆原を制御できる力は教祖にありませんでした。警告にも逆切れ(婆原にしてみれば「お前がいうか?」)する始末。教祖もさすがにここまで増長したモンスターはどうにもできません。
2014年の終末詐欺騒動は、新宿S教会と教祖にとっては渡りに船でした。太い信者を失ったのは経済的には残念でしたが、体よく厄介払いできて教祖はようやく玉座簒奪を心配しなくてよくなったのですから。
新興宗教系プロテスタントの神は、どうやら婆原ではなく新宿S教会の教祖に味方したようです(笑)。
昨年、ビル氏がイルミと契約したとして、集会に参加したS教会の兄弟姉妹達の顔写真を無断でアップしたのだとか。
削除コメント欄で非難され、「○○姉妹たちのためを思って・・」と応答していたような。
『15歳のユダヤ人少年 終末の幻を見る』のyoutube動画をアップしそうな予感
40日断食したと公言した人3人知っているよ。
返信削除李 サンヨル(韓国牧師)
ヘンリー・グルーバー (預言者)
ガジマ (死人を生き返らすアフリカ牧師)
ホントかな? 連鎖祈祷ではなきく、40日間? うーん、クリスチャンであっても信じがたい。
あの方は「霊的に高い」。
返信削除この言葉を何回聞いたことでしょう。
反吐が出ます。
私の知っている霊・幻・み声が聞けると公言している聖霊派カリスマ牧師。
削除吉田みほこ夫妻。