PKを育てる牧師の(無駄な)苦労について

2015年11月24日火曜日

教会生活あれこれ

t f B! P L
 前回は「PKの方々の苦労について」書きました。

 PK(牧師の子供)の苦労の具体例を挙げてみましたが、その原因はもちろんPK自身にでなく、その親である牧師の稼業の方にあります。それもたぶん、福音派・聖霊派あたりに特徴的にみられる「牧師業」の実態に、根本的な問題があるようと私は見ています。

 牧師業と言っても教団教派で実態は全然違うと思います。ここで想定しているのは、福音派・聖霊派あたりの、単立あるいは小規模なグループ教会で、教会運営にかかわる人たち(牧師とかスタッフとか伝道師とか長老とかいろいろ)が規模にくらべて少ない教会です。あるいは人数が多くても、相対的に業務量が多くて結果的に「人手不足」になっている教会です。

 という前提で始めますが、プロテスタントの牧師業を大雑把に挙げると以下のようになると思います。

・教会の管理と運営
・礼拝にかかわるあれこれ
・礼拝説教とその準備
・信徒のケア(訪問とかカウンセリングとかその家族への対応とか)
・伝道(新規か継続か開拓か)
・礼拝以外の集会のあれこれ
・年中行事やイベントのあれこれ
・他教会や団体とのかかわり
・その他、超教派的な活動とか新規事業とかいろいろ

「教会の管理と運営」なんてザックリすぎる書き方ですが、そこには週報作りやら会堂掃除やら楽器のメンテナスやらいろんな支払いやら会計やら、けっこう煩雑な業務があると思います。
 たぶん上記の中で一番時間がかかるのは「信徒のケア」でしょう。信徒の人数にもよりますが、アポを取って会いに行って話をするのは結構時間がかかります。中には緊急のこともあるでしょう。一度話したから解決するというものでもありません。そしてまともな牧師なら事務作業より信徒ケアを優先するはずなので、結果事務的なことが遅れ遅れになってしまって、ストレスフルな状況になるのが常かもしれません。
 それはそれで大変ご苦労なことです。そういうことを真面目に取り組んでいる牧師には頭が下がります。

 けれど、以前も一度書きましたが、「信徒のことが気がかりで睡眠薬を飲まなければ夜眠れない」くらいの状態になっている牧師もいて、それはハッキリ言って行き過ぎだと私は思います。「それほど信徒のことを愛している」と言いたいかもしれませんが、たとえばプロのカウンセラーがクライアントのことで不眠症になるとしたら、プロ失格です。クライアントのことを負いすぎない、適度な距離を置く、客観性を保つ、というのは冷たい態度でなく、対人援助の基本だからです。あるいは対人援助の分野でなくても、自分の仕事のことが家に帰っても頭から離れない、気になって眠れない、というのが常態化しているとしたら、その人は仕事をうまくやっているとは言えないでしょう。仕事に振り回されているのです。

 けれど前回書いたPKの親である牧師を見ると、いわゆる「牧師業に振り回されている人」が多いように思います。
 たとえば、「信徒の悩み相談には24時間対応する」みたいなことを言う牧師がいて、それはそれでご苦労なことですが、結果家族に迷惑がかかっているとか、教会運営に支障が出ているとか、会計報告ができなくなっているとか、大事なミーティングで居眠りしているとか、そういう状態になっているとしたら、それは牧師業をうまく回せていないのです。24時間悩み相談なんかしている場合ではありません(悩み相談がどうでもいいという意味ではありません)。

 つまり人を助けるのは大事なことですが、助けるにも限度があるということです。対人援助において重要なのは、まず援助者自身が健康であることです。自分を犠牲にしても人を助ける、と言うと聞こえはいいですが、人間はキャパを越えると途端に効率が下がるので、十分な援助ができなくなります。

 悩み相談だけでなく、礼拝にしろ伝道にしろイベントにしろ、何でも「やりすぎ」になっている牧師がいます。完璧主義なのか一生懸命なのか知りませんが、自ら仕事を忙しくしておいて、それでいて「牧師は大変」とか「命がけの仕事」とか「カネにならないけれど神からの尊い使命だ」とか言います。私に言わせれば、やっていることの大半が「余計なお世話」なのですが。

 それでその「牧師業の大変さ」の犠牲になっているのが、前述のPKたちです。


 つまり見当違いな努力の結果、家族のことを二の次、三の次にしている牧師がいて、それでいて家族(子供)に対して高いハードルを要求するので、いわゆるPK問題が起こるのではないかと思います。

 時間がないなら時間ができるように調整するべきですし、経済的に困窮しているなら少しでも給与労働をするべきです。信徒のことで不眠症になっているなら、自分自身が健全でないことを認めるべきです。毎晩眠れなくて睡眠薬をのんでいる牧師と聞いて、悪い人間とは思わないにしても、いったい誰が(牧師業者として)信頼するでしょう。信頼より不安が先立つのではないでしょうか。

 だからPK問題の本質は、牧師業の根本的な問題にかかわっていると思います。というよりむしろ、牧師業の問題がPK問題を生んでいると言ったほうがよいでしょう。

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