「狼少年」と同じレベルの終末詐欺なんだけど

2015年9月25日金曜日

「啓示」に関する問題

t f B! P L
 今日は9月23日で、某自称クリスチャンによると"CERN"で大変なことが起こるような起こらないような、って日らしい。
 それで今日は「とりなして祈らなきゃ」って話らしいけど、今のところ(15時現在)「地獄の門」が開いた感じはなく、ビッグバン級の大爆発も起こっておらず、特に危機的状況ではない。

 このまま何も起こらず一日が終わると、結局「何もなかったじゃん」って話になるけど、彼らはいろいろ言うだろう。たとえば、

A「私たちのとりなしが聞き届けられて危機は回避された(本当は危険だった)」
B「主の憐みによって危機は回避された(本当はマジ危険だった)」
C「この件に関しては沈黙を守るよう聖霊様から命じられている(私は真相を知ってるけどね)」
D「全能の主の御心は人間には全てはわかりません(だから自分にもわからないことはある)」

 みたいなこと。
 何か他の言い訳をでっちあげるかもしれないけれど、たぶんこの4つから遠くない。

 ちなみにAの場合、これは狼少年の理屈である。
「危機が迫った」
「でも大丈夫だった」
「また危機が迫った」
「でもまた大丈夫だった」
「またまた危機が迫った」
「でもまたまた大丈夫だった」
「またまた危機が・・・(以下無限)」
 このパターンの問題点は、危機の存在が証明できないことにある。詳細は「狼少年」の物語を参照。

 Bの場合もAに通じるけれど、危機の存在を証明できないのと同時に、それに対する「主の憐れみ」についても証明できない。もちろん主は憐れまれる方だと私は信じているし、たぶん多くのクリスチャンもそう信じていると思うけれど、存在自体が怪しい「危機」に対応する「主の憐れみ」は、やはりその存在自体が怪しくなる。

 Cもやはり何も証明できていない。「私は事実を知っている。でも話すことができない」と言う場合、その事実の存在は証明されない。しかも「知ったかぶり」が鼻につく分タチが悪い。実は何も知らないんだと思うけど。

 Dは謙遜を装っているけれど、要は責任放棄である。「神様が決めてるんだから私は知らん」という話だけど、普段から「御心が手に取るようにわかる」とか言っている割りにいきなり「御心はわからない」とか言い出して、矛盾だらけ。

 これらに共通しているのは「何とでも言える」だ。それらしいことをイロイロ言うけれど、結局のところ根拠はどこにもなく、ただ自分の「霊的感覚」に頼っているだけ。しかもそれがどこまで「霊的」なのかすごく怪しい。

 という訳で現在22時だけれど、"CERN"が大変なことになったという知らせはない。悪魔が溢れ出てきたにしてはいつもと変わらない時間が過ぎている。ビッグバン級の大爆発が起こったにしては地球は平和である。

 でも"CERN"も彼らにとって持ち駒の一つでしかない。次々に設定しなければならない数多くの危機の中のたった一つであって、そのうち使い古されて誰も見向きもしなくなる。そして次なる危機にその座を譲り渡すことになる。

 要は恐ろしいのは"CERN"でもなくイロイロな陰謀説でもなく、「危機」を振り回し続ける彼ら自身だ。形は変わっていくけれど、その本質は「終末」「この世の終わり」「大いなる危機」であり、彼らは絶えずそういう恐怖感・危機感を煽っている。そしてそれに煽られる人々がいて、問題を大きくしている。

 さてもうすぐ今日が終わるけれど、結局"CERN"の危機は去り、さて次の危機が訪れるまで、しばし時間が空くだろう。けれど基本構造はいつも一緒なので、賢い人は早いうちに気づくべきだと私は思う。

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