2015年9月16日水曜日

カルト被害者を襲う第二の虐待

 いくら書いても同じようなことが起こるので、めげずにまた書いてみる。

 キリスト教プロテスタントと言っても教団・教派がイロイロあって、とても一括りにできない。私が実際に知っている範囲の話だけれど、ルーテル派なんかはすごくオーソドックスで、いわゆる一般の「教会」のイメージに近いものがあると思う。礼拝なんかも伝統的なスタイルだから安心して参加できる(ルーテルが全部そうかどうかは知らない)。

 そうかと思うとペンテコステ派なんかはエレキギターやドラムなんかがギンギンドカドカ鳴り響いていて、ちょっと異世界である。都心の方の大きな教会なんか、もはやライブハウスと区別できなくて、ほんと教会ですかって感じだ(べつにそれが悪いとは言わない)。
 礼拝も誰もが参加できる形ではない。初めてキリスト教に触れる人がこういう教会に最初に行ってしまうと、ちょっと衝撃が強すぎるかもしれない。いきなり見知らぬ人たちとハグさせられたり、ノリノリで踊れないと肩身の狭い思いをしたり、そうかと思うと「あなたを愛します」の連呼を受けたり、見知らぬ人たちに囲まれて全力で祈られたりと、まあ大変なことになる可能性が高いからだ。

 という風に教会と言ってもイロイロな世界がある訳で、信仰歴の長いクリスチャンであっても「私の知らない教会世界」みたいなものはきっとある。特に一つの教会しか知らない人にとって、そのギャップは決して小さくないだろう。

 その中でも特に別世界なのがカルト化教会とか、カルト化しかかった教会とかだと思う。そこではここでいつも書いているような「信仰的虐待」の数々が毎日繰り広げられていて、信徒らは拷問に近い教会生活をハレルヤとか言いながら過ごしている。それがただの虐待だと気づいていないから。

 でもカルト化教会の怖いところはそこだけではない。「外から見るとわからない」という恐ろしさがある。牧師は外部の人間にはまともなことを言うし、気配りとは配慮を見せる。だからすごく良い人に見える。そこの信徒らも、実はすごく大変な目に遭っているのに、全部「信仰の訓練」と思わせられているから、みな外部の人には笑顔を見せる。そして神様って素晴らしい、信仰生活ってエキサイティング、試練も大きいけど全部ハレルヤ、みたいな感じでハッピーなクリスチャンを演じる(本人たちは演じているなんて思ってない)。

 でも彼らの受けている虐待は、たぶん平和な教会の平和なクリスチャンの人たちの想像を絶している。お金がなくても献金し、奉仕のために家に帰れず、ヘマをすれば怒鳴られ殴られ、でもそんな全部を「訓練」と信じて疑わない。

 そういう彼らが真実に気づくことで、被害の実態が明るみに出る。被害の程度はイロイロだけど、中には事件性の高いものもある。また事件とまで言えなくても本人の受けたダメージが大きくて、専門的な治療が必要になる場合もある。
 いずれにせよ「カルト被害者」の受けた被害は特殊で、ちょっと言葉に現せない部分があると思う。少なくともそれは「ちょっと教会で嫌な思いをした」とか「クリスチャンどうしだけど喧嘩しちゃった」みたいな話とは次元が違う。被害は周囲が思う以上に深刻で、専門的な援助を必要としている。

 そういう被害者に向かって能天気に「神様を信じましょ」とか「あなたはそれでも神様に愛されています」とか言う人がいて、正直言って萎える。

 そういう人たちは「カルト被害」についてちょっとでも勉強するべきで、ある程度理解するまで、発言すべきでないと思う。でないと単なる無礼者になってしまう。なんでも「神様」を持ち出せば解決できるように思っているみたいだけれど、被害者は根本的に神様を信じられなくなっているケースが多いのであって、まったく効果がない。むしろその能天気さが「対岸の火事」を眺めているように見えて、不愉快でさえある。

 神様は確かに全知全能だし、その気になれば何でもできる訳で、カルト被害者の傷だって一瞬で治すことができるんだと思う。でもそういう話は聞いたことがないし、現に私のまわりでそういう体験をした人はいないし、私自身もない。それに話を単純化すればわかるはずだけれど、たとえば車に轢かれて虫の息になっている人が目の前にいたらどうするだろうか。「大変でしたね。でも神様はあなたを愛していますよ」と優しく言えばその人は救われるだろうか。その人を本当に救いたかったら、今すぐ救急車を呼ぶべきではないだろうか。

 だから教会で酷い目に遭った人に向かって「神様はあなたを愛しています」とか「祈れば大丈夫です」とか「一緒に神様見上げましょ」とか言うのは、言うなればセカンド・レイプであって、さらに傷口を広げることにしかならない。ここで「そんな不信仰なことを」とか思う人は、雲の上の理想の世界の住人であって、この世界の住人ではない。だから人の痛みがわからないんだし、平気で人を傷つけるのだ。

 と、いうようなことは今までも何度か書いてきたけど、未だそういうことを言ってくる人がいるのでまた書いてみた。少しでもわかっていただければと願いつつ。

5 件のコメント:

  1. あ~ダメダメ。ほんっとに分かってもらえない。
    「あなたが経験したことは、神様の深い愛故の試練なのよ。成長のチャンス。あなたにしか出来ない証がある。クリスチャンと言えど人間だから、不完全。そんな人間に影響されるのではなく、ただまっすぐに神様に喜ばれることだけを求めれば必ず祝福してくださる(^_^)v 恐れないで群れ(教会)に繋がっていなさい。」
    はぁ、コレ耳にタコ。もう疲れた、知らん。

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  2. 新興宗教系はどこもこのようなものなのではないでしょうか。困難の中にあって非常に苦しんでいる人に向かって「祈ればなんでも解決するはず」と追いつめる話は、キリスト教だけではなく仏教でもあるのです。
    ローマ教皇の「教会は野戦病院」発言ですが、これだけ新興宗教系プロテスタントのカルト化が目立つとなると、教会だけではなく一人一人が野戦病院とならなくてはいけないのではないでしょうか。

    冒頭でちょっとルーテルについて書いてありますが、実はルーテルもいろいろで、新興宗教系のルーテルも当然あります。そういう教会ではペンテコステ派のような礼拝をおこなうところもあるやに聞いています。もちろん狂信や什一献金で問題を引き起こすこともしょっちゅうだといいます。
    ライブハウス的な教会でノリノリで踊るのは、若いうちは楽しそうに見えるでしょう。しかし人間はいつまでも若いままではいられません。ノリノリで踊ったら翌日は腰痛に悩まされることにもなるでしょう。こういう教会はなるほど若い人しかいません。信者寿命が短いので何十年のベテランがいないということで、よけいカルト化しやすい面があると思います。

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  3. 教会って本当に人間の集まりでしかない。
    宮仕えでない以上、合わなかったらさっさと出る。
    何を言われても脅されても、気にしてはいけない。
    本来福音というものは、伝えられたらそれまでのはずだ。
    あとは、自分で決めることなのだ。

    自由に生きるべし。
    偽悪になるのではなくて、

    何よりも自分に正直に、選択するべし。

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  4. まさに 昔私の通っていた教会の全貌。カルト的教会の特徴を見事に掴んでいると思う。
    これを見た人で心当たりが少しでもあるなら、疑ってみるといい。正しくない教理のもとにある教会は、どこまでいっても正しくない。まさに砂の上に家を建てるようなものだ。と見事に聖書は言っている。その意味が本当に理解できたように思う。出て最初の頃は、間違ったこともあるけれど、あたっているところもあるよな。などと思っていたが、時間がたつにつれ 押し流されていく。正しい教理と真理のうちに基づいていなければ、全てが覆される。キリストと聖書の捉え方が根本的に間違った捉え方で聖書を知っているつもり、神様を知っているつもりでいるので、そこからは 何一つ良い実は生まれない。岩の上に家を建てるの意味をもう一度考えてみるといい。岩の上に家を建てないクリスチャンがいるので神様は私たちに わざわざその例えを記したのではなかろうか。

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  5. それって、沖縄市にある 自己啓発センター教会でしょう?

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