今回の台風も、例によって主に西日本に被害をもたらした。昨夜は関西で満員電車が線路上で立ち往生してしまい、大変な目に遭った方々が多数いたとのこと。すみやかに回復されることを願う。
ところで私は学生時代から地学が好きで、気象の分野などけっこう楽しんで学習した。
だから熱帯の海上で低気圧が発生して、成長していわゆる台風になり、偏西風でカーブしながら日本にやってくる、という基本的な理屈は一応知っている。
日本は東西に伸びているから、台風はどうしても西側から上陸する。そして上陸すると衰えるから、結局東側にはあまり被害をもたらさない。だから多くの台風は西日本で猛威をふるい、東日本はそのおかげで守られる、みたいな構図になっている(もちろんケースバイケースである)。
それは地理的にそうなのであって、たとえばエベレスト山脈があるせいで日本に梅雨があるのと同じく、避けられない。けれどごく一部の牧師や教会に言わせると、「日本は歴史的にずっと東西の霊的対立があって、特に西側の罪が大きいのだ」ということになってしまう。有名で大きな神社仏閣が西日本に多いのも影響していると思う。なんの根拠があって言うのか、全然わからないけれど。
だから関ヶ原の合戦で負けたのも、原爆を落とされたのも、全て「西日本の歴史的な罪のせい」ということになってしまう。 もちろん滅茶苦茶な話である。
滅茶苦茶ついでに言うと、「東西の霊的和解を」みたいなコンセプトで「西日本伝道旅行」みたいなイベントを敢行しちゃう教会なんかもあって、中の人々はどうしてこれが大真面目なのである。
だからそういう教会の人々からすると、今回の台風11号が西日本で猛威を振るったのも当然である。「さもありなん」とか「西日本の(あわれな)人々のために祈りましょう」とか、まあ言いたい放題である。
それは地理的にそうなのであって、たとえばエベレスト山脈があるせいで日本に梅雨があるのと同じく、避けられない。けれどごく一部の牧師や教会に言わせると、「日本は歴史的にずっと東西の霊的対立があって、特に西側の罪が大きいのだ」ということになってしまう。有名で大きな神社仏閣が西日本に多いのも影響していると思う。なんの根拠があって言うのか、全然わからないけれど。
だから関ヶ原の合戦で負けたのも、原爆を落とされたのも、全て「西日本の歴史的な罪のせい」ということになってしまう。 もちろん滅茶苦茶な話である。
滅茶苦茶ついでに言うと、「東西の霊的和解を」みたいなコンセプトで「西日本伝道旅行」みたいなイベントを敢行しちゃう教会なんかもあって、中の人々はどうしてこれが大真面目なのである。
だからそういう教会の人々からすると、今回の台風11号が西日本で猛威を振るったのも当然である。「さもありなん」とか「西日本の(あわれな)人々のために祈りましょう」とか、まあ言いたい放題である。
けれど台風の話だけみても、上記のような地理的要因で西日本の被害が多いのであって、霊的要因などまったく定かでない。当然聖書に書かれているわけもなく、なんの根拠も証拠もない。ただの言い掛かりである。
彼らは「霊的」であることにこだわるけれど、結局のところ、目で見える部分でしか判断できていない。なぜなら前述の関ヶ原の戦いとか、もっと遡ると南北朝時代とか、そういう歴史的事実の積み重ねから「東西の対立がある」みたいな結論を導き出しているに過ぎないからだ。いかにもそれらしく語るけれど、神様から直接聞いたはずがない。というのも、西日本を拠点とする牧師でそういうヨタ話をする人は(私の知る限り)1人もいないからだ。仮に東西の問題が本当にあるとして、東側の人にだけ語られるというのもおかしな話ではないだろうか(もっともその前に、神様が今も直接的で具体的な語りかけをするのか? という問題があるだろう)。
仮に彼らの話が正しいとして、では東日本大震災はどう解釈されるべきだろうか。東日本の罪、あるいは東北の罪とでも言うのだろうか。西日本の罪はどこへ行ったのだろうか。
けれどそういうことを言い出すと、本当にキリがなくなる。何か悪いことがある度、その地域やある集団や歴史的出来事との因果関係が持ち出されるからだ。
たとえばある小学校に刃物男が乱入し、複数の児童生徒を傷つけるという悲惨な事件が起きたとする。それを見たある牧師は、こう言うかもしれない。「その小学校は以前、百姓一揆の首謀者らがさらし首にされた場所だった。文献には残っていないけれど、これは神に語られた霊的事実だ」
そういうことを言い出すといろいろ言えるわけで、じゃあその百姓一揆が起こった原因も、その地域のもっと古い歴史的な何かに関係しているのか、みたいな話になってしまう。けれどそれはもはや確かめようがないし、際限なく過去に遡って事実を探求しなければならなくなる。キリストの十字架で全てが贖われた、という本来の福音はどこへやら。
だいいちそれは因果応報の考え方であって、たとえば父親が罪を犯したから子がその報いを受ける、みたいな話である。けれど聖書が言うのは、親の罪で子が裁かれてはいけない、だ。まったく逆の話だ。
だから冒頭の台風被害が多いのは西日本の歴史的罪のせいだ、みたいなことをしたり顔で言う牧師は、聖書も福音も実は知らない可能性が高い。牧師なのに聖書を知らない、というのはすごく致命的な気がする。けれど案外問題視されておらず、のうのうとやってる牧師が多いのもいかがなものかと、私は常々思っている。
仮に彼らの話が正しいとして、では東日本大震災はどう解釈されるべきだろうか。東日本の罪、あるいは東北の罪とでも言うのだろうか。西日本の罪はどこへ行ったのだろうか。
けれどそういうことを言い出すと、本当にキリがなくなる。何か悪いことがある度、その地域やある集団や歴史的出来事との因果関係が持ち出されるからだ。
たとえばある小学校に刃物男が乱入し、複数の児童生徒を傷つけるという悲惨な事件が起きたとする。それを見たある牧師は、こう言うかもしれない。「その小学校は以前、百姓一揆の首謀者らがさらし首にされた場所だった。文献には残っていないけれど、これは神に語られた霊的事実だ」
そういうことを言い出すといろいろ言えるわけで、じゃあその百姓一揆が起こった原因も、その地域のもっと古い歴史的な何かに関係しているのか、みたいな話になってしまう。けれどそれはもはや確かめようがないし、際限なく過去に遡って事実を探求しなければならなくなる。キリストの十字架で全てが贖われた、という本来の福音はどこへやら。
だいいちそれは因果応報の考え方であって、たとえば父親が罪を犯したから子がその報いを受ける、みたいな話である。けれど聖書が言うのは、親の罪で子が裁かれてはいけない、だ。まったく逆の話だ。
だから冒頭の台風被害が多いのは西日本の歴史的罪のせいだ、みたいなことをしたり顔で言う牧師は、聖書も福音も実は知らない可能性が高い。牧師なのに聖書を知らない、というのはすごく致命的な気がする。けれど案外問題視されておらず、のうのうとやってる牧師が多いのもいかがなものかと、私は常々思っている。
西日本在住ですが、そんな話初めて聞きました。
返信削除そんな牧師がそんな宣教しているのも初めて聞きました。
本当に神学を修めた方なのでしょうか? いゃびっくりした。(◎_◎;)
沖縄在住ですが、台風銀座と呼ばれるほど台風の多い沖縄は、どれだけ罪深いのでしょうか。(笑)
返信削除そうですよね^^
削除牧師なのに聖書を知らない、というよりも「牧師なのにキリスト教を知らない」といったほうが正しいのではないかと。これを致命的といってもしょうがないのではないでしょうか。問題視されないのも当たり前のことです。なぜならプロテスタントの圧倒的多数を占めるのが、いわゆる新興宗教系の教会ですので、「それぞれが勝手にやっているので、そんなところにひっかかったほうがバカだ」といわれ、完全にこちら側の責任になってしまうという理不尽があるのですから。
返信削除聖書というよりキリスト教そのものの知識がない人が聖職者としてのうのうとやっている(ついでにいえばそんな聖職者ほどかなりの高給取りで、中には月給が何百万という人すらいるくらいです)事実があります。確かにこんな状況はいかがなものかとみんなが思っているでしょう。しかしプロテスタントというものは無法地帯なのです。よってそんなひどいレベルの聖職者が高い給料をとって、業界で有名人となって肩で風を切って歩き、中にはみんなから生き神様扱いされてしまうのもよくある話なのです。悲しいことに、これが新興宗教系プロテスタントの業界の現実なのです。
結局のところ「キリスト教の初歩的な知識すら持たない聖職者が仕切っている教会を選んだあなたがバカなのよ」といわれてしまうのがオチなのですから(裁判をしてもマインドコントロールが認められることはほとんどなく勝ち目もないのが現状です)、求道者には「プロテスタントは危ないから安易に行くものではない」とプロパガンダするしかないのかもしれません。
歴史の時間に宗教改革について習うときに、カトリックが免罪符を売ったから云々・・・と教えられるせいか、カトリックが危なくてプロテスタントが安全という、間違ったイメージのほうが植えつけられやすいと思います。教師自身がそう思い込んでいるケースもよくあります。まず教育現場で教鞭をとる教師たちに、プロテスタントのほうが本山がないために聖職者の養成や管理がなされずに無法地帯になっているので危ないと、教師の研修のおりに教えられないものでしょうか?
本当ですね。
返信削除簡単に言えば「カトリックは悪でプロテスタントは善だ」(その名の通り「腐敗に対抗して」出来た)と言う構図を、学校教育で通り一遍は習いますものね。
でも本当のところは、それぞれ主義主張が違い(これを強調する所が違うと言っていますが)ばらっバラに分裂をして、さらに分裂して星の数ほどに増殖して来たのが、プロテスタントの現状です。
曰く「我々こそ聖書に忠実で…」
曰く「いやいや、私たちこそ正しい教理を教えています…」
曰く「この道こそが正しい。ある教会は聖書以外のこの世の価値観を教えているんです」
曰く「いやこのやり方で無いとだめだ」
曰く・・・・・曰く・・・・・・
キリがありませんね。
それ以前に、全てのプロテスタントは、西方カトリック教会から教義やしきたり等を受け継いでおり、確かに一部受け入れていない部分もありますが、大方同じです。詳細は触れません。
特に今話題のカリスマ・ペンテコステ・福音派系統の方々に申しましたら、大反論をされると思いますが、所詮はカトリックの子供です。カトリックもプロテスタントの事を、放蕩息子のように出ては行ったが、いずれは帰って来ると考えているようです。
歴史上、どのようにキリスト教が設立されて来たのかを調べれば、非常に興味深い事や知らなかった事柄、事実を知って唖然として、到底信じ続ける事も出来なくなるような事も出て来ます。全てが正確な事とは思いませんが、その中で、冷静に慎重に、第三者や研究者、或いは社会の意見も聴く事が大切だと思うのです。
やはり「宗教の一つとしてのキリスト教」である以上、手前勝手な自己主張と我田引水、急き立てられるような勧誘行為は、周りの(隣人への)迷惑になるばかりか、組織に捧げるだけの愛の無い行為であって、とてもイエスキリストがなさったような、本当に助けを必要とする人のそばに寄り添って、出来る事をする。難しい事ではありますが、あの教えやこの教えがどうの、献金をしないとどうの、奉仕がどうの、教会に行かないとどうの・・・等など、よくよく考えたらおかしな行動は、本末転倒ではないでしょうか?
たった一度の人生。偉大な教えを述べられたイエスの言葉や行動に、もう一度耳を傾け、目を閉じてその人生に思いを巡らせる。この事こそが、今全てのキリスト者に必要な事ではないのでしょうか?
教会と言う名で商売をしている牧師さんたちに、教えを請う必要はないでしょう。
ごめんなさい。この上記匿名の投稿は、私マリックの物です。
削除出かける時間が迫っていて、急いていたものですから、誤って匿名にしてしまいました。申し訳ありません!