2015年7月11日土曜日

【雑記】残念なクリスチャンの残念な対応

 クリスチャンと言ってもいろいろな人がいて、たぶん教団教派によって基本的な立ち位置が違う。それに教理ウンヌンを度外視しても、人間としての種類も様々である。そしてそれは一般社会の一般人とまったく同じだ。
 だから中には残念なクリスチャンもいて、なかなか残念なことをしてくれている。今回は私が実際に見聞きした、残念なクリスチャンの残念な対応(行動)について書いてみる。

■あるクリニックにて

 クリスチャンであることを前面に出してクリニックを経営している人がいる。

 経営状態がどうなのか知らないけれど、もう長いことやっている。本人は「いい人」で、悪い評判は聞かない。施術の終りに時々キリスト教関係の話を振ってくる以外、いたって普通のクリニックである。何も問題なさそうだ。

  Aさんはそこで定期的に施術を受けていて、そこの経営者とは長い付き合いだった。といっても気心が知れた訳ではない。お互いクリスチャンで、教会がどこで、仕事が何か知っているくらいだ。けれどその経営者はいつも温厚だし、多少の融通は利かせてくれるし、Aさんにはそれで十分だった。

 ある日Aさんが、急な用事で予約をキャンセルした。電話で謝意を表して、別の日に予約を取り直した。経営者の方も何も言わず、特に何もなかった。
 しばらくして、また同じように急用でドタキャンすることになった。Aさんにとって不可抗力な事態で、すぐに電話できなかった。結局予約時間を少し過ぎてから電話した。その経営者のことだから、いいですよと簡単に言ってくれるはずだった。だが、その日は違った。
「Aさん、困りますよ。この予約時間はあなたの為に取ってるんですから」
「・・・はい、本当にすみません。急な用事だったもので・・・」
「この前もそうでしたよね。こんなことが続くとうちとしては大変困ります」
「すみません・・・」
「今後、こういうことがないようにしてもらえませんか」

 まるで別人のようだった。とAさんは後から思った。今まで見知ってきた経営者と声は同じだったけれど、全然違う人間のようだった。たまたま機嫌が悪かったのだろうか。それとも自分が何かとんでもない粗相でもしてしまったのだろうか。いずれにせよAさんは恐くなって、また気まずくて、以来そのクリニックには行っていない。

 後日、同じようにそのクリニックを利用しているBさんと話す機会があった。Aさんは大変ショックだったので、事の顛末をBさんに話した。
 Bさんは不思議そうに言った。「私なんて、この前予約をすっかり忘れて2回もすっぽかしちゃったんだけど。べつに何も言われなかったよ」

  あれ?、とAさんが思ったのは言うまでもない。
 ちなみにAさんは男性、Bさんは女性である。 余計な情報だけれど。

 ■注文の品を送ったけれど

 ある教会が海外から講師を招いて、セミナーを開いた。あちこちの教会から人が集まって、それなりに盛り上がって、無事終わった。

 教会はその講師のメッセージをDVDで売ることにしていて、注文書を来場者らに配った。メッセージに感動した人たちが、こぞって注文し、代金を払っていった。
 ある有名教会の牧師も注文しいった。けれど「あいにく今手持ちがない。後日振り込むから」とのこと。それで振込先を教えた。 本来なら代金と引き換えなのだけれど、教会どうしの付き合いもあるし、そこそこ有名な牧師でもあるし、カタいことは言えない。

 さて後日、教会スタッフが頑張ってDVDを発送した。例の有名牧師のところには、再度振込額と振込先を書いて送った。けれど一週間たっても二週間たっても振込まれない。担当者はすごく迷ったけれど、その有名教会に電話してみた。スタッフが電話に出たので、事情を説明した。では牧師に伝えます、どうもすみません、ということで話を終えた。

 それが数年前の話なのだけれど、いまだ支払われていないのは想像通り。

■誤解なんですけど

  ある人がブログで教会のことをいろいろ書いていたら、知り合いからメールが届いた。「私のこと書いたでしょ。何も知らないくせに、よくあんなこと書けたもんね。すぐ削除しなさい。さもないと法的手段に出るから」
 その人は返事を書いた。 「あなたのこと知らないので、何も書きようがありません。誤解じゃないですか」
 するとその知り合いから返信があった。「あんなふうに他人を貶めて、あなたの神経が理解できません」
 その人のブログの記事が他人を貶めるものかどうかはさておき、誤解したなら謝るもんじゃないのかな、と私はそれを聞いて思った。法的ウンヌンとか脅しもしたんだから。
 けれど結局、何の謝罪もなかったようである。

10 件のコメント:

  1. お久しぶりです。以前体験談を投稿させていただいたSaezawa nです。

    ブログ、読ませていただき、大変共感いたしました。未信者にも態度の悪い人はいますが、クリスチャンである分自分こそ清い、正しいと思っている人が時々いて、すごく嫌な思いをします。「私には神様がついてるから大丈夫!何をやっても祝福、ハレルヤ!」みたいな。

    自分が救われた罪人であることを、もう一度思い出すべきだと思います。

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  2. 何も比較対象出来るデータを持っている訳ではありませんが、クリスチャンと言う人種には常識に大きく欠ける人が多いと思います。
    一言目には「世の物、世の人、世の考え、世の習慣、世の価値観・・・・」等などと、自分が何かエリートにでもなったかのような(そう言う考えでいると知らず知らずに、人を馬鹿にしたような考え方になる物です)、どんな時にも自分達が正しいのだ、と言う意識に捉われて、世間一般の人と何ら変わらない人間なのだ、と言う事も忘れてしまうようです。
    まあ、宗教信者にありがちな「勘違いおじさん・おばさん」と全く変わらないと思いますけど。
    あぁ、やだやだ!@@

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    1. クリスチャンは常識に欠けていると思いますし、什一献金がおかしいとわからないのをみれば、世間一般とは感覚も完全にずれてしまっていると思います。
      世間の人を見下していて、常におかしな選民思想の塊です。「キリスト教の信者は言葉・好み・聞く音楽etc、すべて世間一般の人々とは違っていなくてはなりません」と教えている新興宗教系プロテスタントの教会があります。ここまでくるとどうみても電波です。
      クリスチャンの間違いは、自分たちは真理を知っているので、世間の人々より上であるという意識が強いことだと思います。キリスト教も巷に存在する多くの宗教の一つに過ぎない以上、キリスト教を信じたからといってSO WHAT?です。キリスト教を信じているのがそんなに偉いのでしょうか?神なら日本にも昔からいますが?その神ではどうしてだめなのでしょうか?お金も全然かかりませんし、狂信的な戒律もありませんが?

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  3. 〉すべて世間一般の人々とは違っていなくてはなりません
    マリックさん、匿名さん、ローマ書12章2節を読んでみて!
    常識はずれで、周りから浮くことを是としているクリスチャンが根拠にしている箇所だよ。周りが呆れたり迷惑がると「信仰の戦い」「迫害」なんだって。
    なんか、間違った解釈な気がするんだけどね…。

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  4. 最近思うのは、よく言われる「クリスチャンとしての成長」とは自分も含めてほぼ無いのではという事です。もし有ったとしても、神の視点からすると微々たるものです。
    善人は一人もいない、神はそれを全て分かっているからこそ、人に福音を与えてくれたのだと思います。
    自分が成長していると思った時点で勘違いであり高慢でしかありません。

    『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。』エレミア17:9

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  5. 片栗粉Ⅳ様
    Teo様

    「クリスチャンは救われたそのままでは駄目だ」等と言う、馬鹿牧師の言葉に翻弄されて、
    一般社会の常識さえも毛嫌いするような電波系になってしまう。

    何処の世界に!「そのままでは駄目だ!」等と言う文言があるのでしょう?

    ですから、ありもしない事や、漠然とした宗教観念を振りかざして、ひたすらに「お金」を求める牧師連中とは、今!この機会に決別すべきなのです!

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    1. .牧師から
      ・クリスマスツリーは降誕節の終わる1月4日(だったか)まで飾り付けなければいけないので、12日25日に片付けるの間違い。
      ・お葬式に出て頭を下げるのは不信仰。
      ・日曜は主の日ですから、反政府デモに行くのも義務です。
      ・席上献金にコインを入れるとんでもない人がいます。
      ・七五三、地域の夏祭り、獅子舞は神社が行っているので関わるな。
      ・私は子どもの運動会でも日曜礼拝を守っている。皆さんも礼拝優先を。
      ・礼拝を休む時は具体的理由を事前に届けること。用事があるでは誤解されます。
      ・献金は信仰のバロメーター。

      リベラルと言われる教会でもこんな教えでしたよ。

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    2. 「行くな!! そんな教会」 に挙げて欲しい。
      他にも教会あるから 少なくとも、時間と金の無駄使いだけは避けられそう。

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  6. 「そのままでは駄目だ!」等と言う文言は確かにありません。
    しかし、牧師がどうこういうのではなく、イエスキリストを救い主として信じ生きて行こうと思った時にキリストに倣う生き方をしたいと思うのは当然のことのはずです。
    石に書かれた掟ではなく、それぞれの心に書かれた愛の掟(第一に神を愛し第二に人を愛す)を守る(第二は第一にはなりえない)。
    でもこれは一人一人違いますし、他人には見えない。自由意思でやっていくことなので何とも言えない・・と思うのですが。

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  7. 私たちの教会はいつも、成長しなければいけないと牧師が信徒に促す。まるで成長しない私たちが悪いみたいな。あるとき,「いつまでですか?いつまでそのままでいるのですか?」とすごい剣幕でまくし立てる副牧師。呆れ果てているみたいな態度で私たち信徒に威圧を与える二代目副牧師。じゃあ、聞こう。「いつまでですか? いつ開拓するつもりですか?いつまで主任牧師におんぶにだっこでいるつもりですか?」って聞いてみたい。

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