2015年5月19日火曜日

【雑記】箱根山噴火兆候・病のいやし

 今回は小ネタを少々書く。

・箱根山の噴火の兆候

 箱根山に噴火の兆候があると報じられている。
 実際に噴火するかどうか誰にもわからないし、今の科学技術だと完璧な噴火予告はできない。

 けれど一部の自称クリスチャンはちょっと前から「関東で噴火が起こる」みたいなことを言っていて、だから今回の報道を受けて「ほらやっぱり」みたいな自慢に走っている。

 いやいや、まだ噴火してませんけど? それに本当に噴火して犠牲者が沢山出たとして、それでもまだ「預言が当たった」みたいなこと言って喜ぶ気ですか?  自分たちだけ避難して助かったとして、それを偉そうに語るのって違うんじゃありませんか?

 ということを考えると、預言大好きな聖霊派クリスチャンの浅ましさにウンザリすることこの上ない。

・病のいやし

「病のいやし」が現在もあるか? というのはキリスト教界内でも意見の別れるところだ。その論議に口を挟むつもりはない。

 けれど上記の聖霊派の皆さんに言わせれば「今もいやしは起こる」ということで、眉唾ものの「いやし体験」があれこれ出てくる。べつにそれらにイチャモンつける気もない。

 しかし深刻な病気に悩んでいる人の立場に立つならば、「淡い期待など持たせてほしくない」というのが本音だと思う。

 死を覚悟しなければならない病気に悩む人は少なくない。その中にはまだ若い人も少なくない。まだ何もできていない、まだまだしたいことがある、あれもしたいこれもしたい、そんな願いがあっても叶えられない人々に向かって、「いやしが起こりますよ」と言うのはものすごい希望を与えることになる(信じられればの話だけれど)。深刻に悩んでいる人は、藁でも何でもすがりたいと願っているからだ。

 けれどそうやって希望を与えるのはいいけれど、結局いやしが起こらないとなったら、希望を持たせた分だけ余計に絶望させることになる。その悲劇を考えて、聖霊派の皆さんにはモノを言ってほしい。

 ある教会の信徒の母親が、末期ガンだった。信徒は「奇跡的ないやし」を求めて、母親を教会に連れてきた。いやし系のイベントがある時とか、有名講師がゲストに来る時とかは特に熱心に参加していた。

 それで母親は毎回「いやし」を祈られるのだけれど、全くいやされなかった。そして数年のうちに亡くなられた。結局「いやし」は起こらなかった訳である。

 骨盤の歪みが治ったとか、骨折が早く治ったとか、アレルギー症状が改善した気がするとか、そういう「いやし」は沢山起こっても、本当にそれを必要としている人々には何も起こらない。ガンを治すことはできない。
 としたら、その「いやし」にはいったい何の意味があるのだろうか。

 ここで熱心な聖霊派の皆さんは、きっとこう言う。「いやされなかったのは○○のせいだ」
 この○○には悪魔とか、罪とか、他者を許さない心とか、まあそんなようなことが入る。

 けれどその考え方はご利益主義だ。行いによって奇跡を見ようとするからだ。つまり神様と取引関係にあるということ。そんなの恵みでも何でもない。

 それに何より腹立たしいのは、深刻に悩んでいる人々を食い物にするその下劣な根性だ。

 もっと生きたい、死にたくない、愛する人を置いて逝きたくない、と深刻に考えている人々が実際にいる。泣いても叫んでもどうにもならない、心に苦しみを負って残り少ない命を生きている人たちがいる。彼らの気持ちを考えたことがあるだろうか。考えたことなどないだろう。もし少しでもそういう想像ができるなら、「祈ればいやされます」などと簡単に言うことはできないはずだ。

 という訳でやはり、一部のクリスチャンたちの浅ましさにほとほとウンザリさせられている。

7 件のコメント:

  1. おいらの教会は回復の教会だと神様から言われていると牧師が謳っている。悪例追い出しを頻繁に行っているが、だれも癒し・開放・回復された人を見たことがない。それどころかみんな暗い顔した信徒が多いのも気になる。牧師だけが空元気なのも、気になる。きっと熱心に癒しを祈るが癒されてない現実に疲れているのだろう。

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    1. その教会ではひょっとしたら「病院にいくやつは信心が足りない」という指導なんかをしているのではないでしょうか?悪霊追い出しをやっている教会は、異常なまでに狂信的な戒律を信者に厳守させていることがおうおうにしてあります。
      信者たちが暗い顔をしているのは、献金で収入や財産のほどんとを吸い取られているとか、あまりにも狂信的な戒律を厳守しすぎてしまった結果、家庭が崩壊したり会社を解雇されたりといったことがあるからではないでしょうか?

      新興宗教系のプロテスタントではしばしば「病の癒し」がやたらと強調されることがあります。祈って献金をすれば癒されるという指導で、ガンが手遅れになって命を落とす兄弟姉妹は、今こうしている間にいくらでもいそうで怖いと思います。
      「○○兄弟はせっかくガンが治りかけていたというのに、神社の前を通ってしまった。だから悪霊にやられてしまって、ガンを癒すことができなかった」と真顔で語る新興宗教系のプロテスタント教会が現実にあるのであります。

      上岡竜太郎さんは宗教の類が大嫌いです。なぜなら母親がガンになったとき、人の弱みに付け込んでいろいろな宗教や占い師や霊能者がやってきて、いいかげんなことをいっては上岡さんの母親からやたらとお金をせしめていたからです。もちろん母親は助かるはずもなく、かなりのお金をとられた挙句にガンで苦しみぬいて亡くなっていったということです。
      新興宗教系のプロテスタントはまさしくかつての上岡家で起こったことを、今もどこかで誰かにやっているのです。

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    2. 始末におえないのは、そこの指導者(牧師)が本気で未だにそれを信じているという現実。そこで引かれていく羊たちが白とも言えず、黒とも言えず、いつもグレーゾーンで なんとなくそこに居る。傷付いた人、又はつまずいた人こそは出て行くが、何もさほどの事が起きない限り、間違った心理と悟りを教えられる現実があるということです。母親の癌というしらせを聞く少し前にそこを出たので、危機一髪母親にその被害は被らなかったが、藁にもすがりたい人たちのことを考えると、なんだかやるせない気持ちでその教会をみてる。

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  2. 初めてでコメントさせていただきます。
    私はキリストを信ずるものですが、教会にはいっていません。
    なぜなら教会の中で牧師が「先生」呼ばわりされ、
    聖徒たちが奴隷のようにされているのを見てきました。
    レビ人だからとかいう傲慢な態度は許しがたいものだし、聖書をきちんと読んでいない
    証拠だと私は考えています。
    人に寄り添うことのない、教会はすでに崩壊しているし、すでに終わったと同じだと考えます。
    結局人間性を欠いた教会が走っていくだけなので、カルト化の一方でしょう。
    聖書自体も全く誤訳が絶えないのに、「神の言葉」の剣を「権力として」ふりかざす
    教会のありさまは、反吐が出ます。
    こちらのサイトをまたフォローさせていただきたいともっています。

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    1. そういえば新興宗教系プロテスタントの教会の中には、「聖職者はレビ族である。レビ族は古来から人々の収穫の一割をもらうのが当然の権利としてあった。つまり現代では収入の一割を報酬として受け取るのが、聖職者の当然の権利である。したがって信者は、現代のレビ族である聖職者に収入の一割を献金する義務がある。」と教えていることがあるようです。
      しかしこれはかなり乱暴な話です。古代ユダヤ教の規定を現代キリスト教にも適用しようというのであれば、豚も食べてはいけませんし、割礼だってすべきですし、女の人は頭髪をそっていなくてはなりません。
      だいいちレビ族は世襲であり、先祖代々レビ族であったということです。彼らは祖先から受け継いだ土地を持たなかったがために、一般の人々のように耕作して収穫を得ることができず、彼らを支える制度として収穫の一割を提供したということだったそうです。
      でも現代ではどうなのでしょうか?平成のレビ族を主張してはいますが、教会の土地建物をはじめ、今自分が住んでいる住居も全部自分の名義になっているのではありませんか?宗教法人の名義であったとしても、その宗教法人は自分がオーナーになっているので、給料もボーナスもお手盛りになっているのです。これは事実上は法人を私物化しているのではありませんか?
      こうなるととても平成のレビ族とはいえないでしょう。レビ族はなりたくてなるものではなく、先祖代々の血統で宿命であったわけですが、プロテスタントの日本人聖職者が誕生したのは、どうさかのぼっても明治の初めであり、先祖代々というほどの歴史があるとはお世辞にも言えないと思います。(もちろん自分でなりたくてなったのです)
      しかもプロテスタントの聖職者は、カトリックの聖職者とは違って、好き放題もできるわけで、全ての面においてこんな自由なレビ族がどこにいるのでしょうか?

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    2. 要するに、キリスト教と言う物は、全てが御都合主義なんですよ!( *・ω・)ノ(笑)(。-∀-)

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  3. 同感です!

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