牧師に人生を乗っ取られる前に知っておいてほしいこと

2015年4月29日水曜日

カルト問題

t f B! P L
 クリスチャンの知り合いがいた。バカが付くほどマジメな中年男性だった。彼を仮にGと呼ぶ。

 Gは親から譲り受けた土地と家を持っていて、奥さんと二人で暮らしていた。細かい経緯は知らないけれど夫婦ともクリスチャンだった。とある外国人牧師の教会で、長らく教会生活を送っていたようである。

 Gと私はとあるキッカケで知り合った。教会が違ったけれど、時々会う機会があり、なんとなく「交わり」を保つような形になった。そしてそのまま何年か過ぎた。

 今振り返ってみると、何年経っても私はGのプライベートをほとんど知らなかった。だから結局のところそこまで深い間柄でなかったのだろう。けれど会うたび、彼のキマジメさと熱心さに私は感心させられていて、なんとなく親しい間柄になっているような気がしていた。人間関係とは難しものである。

 そんなGがある時、ひどくやつれた顔で私の前に現れた。悩みがあるのは言うまでもなくわかった。しかも一朝一夕に解決しそうなレベルでないのが感じ取れた。きっとひどく深い苦悩である。
 けれど彼の口から出るのは「感謝します」「すべてを感謝します」「素晴らしいですね」「ハレルヤ」みたいなクリスチャン的偽善ワードばかりだった。「どうしたんですか」という質問さえできないくらい、彼はポジティブになろうとしていた。その健気な努力がたいへん痛々しく見えた。

 けれどあれこれ話しているうち、大よその事態が見えてきた。まとめると以下の通り。

 お世話になっている外国人牧師の指導で、Gの自宅の敷地内に「祈祷所」を建てることになった。そして「祈祷所」が完成すると、その牧師と何人かの関係者(?)がGの自宅に居候しはじめた。事実上、G夫妻との共同生活である。そのうち牧師はGの自宅や夫婦生活にまでいろいろ口を出すようになった。そしてG夫妻は自宅にいながら牧師たちに仕え、逆に居候みたいに肩身の狭い生活をするようになった。

 多少の相違はあるかもしれないけれど、要はそんな筋の話であった。そしてGはやっぱり笑顔を作って言うのである。「これも神様のお導きなのですね。受け入れるのが信仰なのですね。それを喜べない気持ちがわずかでもある私は、まだまだ取り扱われる必要があるのですね。ああ、本当に悔い改めます」

 今の私に言わせると「バカですか?」の一言だけれど、当時はそこまで断言できなかった。つまり私もバカだった訳だ。「神様のそういう導きもあるのかな」などとアホなことを思っていた。

 残念ながらこの話にハッピーエンドはない。その後Gがどうなったか、私は全く知らない。それきり連絡が途絶え、会うこともなくなったからだ。もしかしたら牧師という名の寄生虫どもを追い出してハッピーエンドを迎えたかもしれないけれど、その可能性は極めて低いと私は思う。

 人の家に一方的に祈祷施設を作らせ、その家に住みつくのがまともな牧師のすることでないのは一目瞭然である。けれどその牧師に言わせると、「信徒が同意したからだ」という話になる。一部正しいので、まわりは何も言えない。

 これはもうマインドコントロールとか洗脳とかいうレベルの話で、キリスト教とは何の関係もない。キリスト教を騙っているに過ぎない。でも世間一般にはキリスト教の括りに入れられてしまうので、どうにも始末が悪い。

 似たような被害に遭っておられる方がこの記事を読まれて、少しでも何か感じ取っていただければと私は心底願う。信仰と思ってガマンする必要のないことをひたすらガマンすることのないように願う。あなたは自由なのである。牧師はあなたに何も強制する権限はない。たとえあなたが従わなくても、神様が怒って罰をくわえるなんてことはない。あなたが従わなくて牧師が怒るとしたら、その牧師の方が問題アリである。また逆らう余地のない牧師だとしたら、余計に問題アリである。

 訓練だろうが信仰だろうか霊的戦いだろうが何だろうが、あなたは自分の意に沿わないことをする必要はない。少しでも嫌なら拒否していいし、それは当然なのである。何の負い目も感じることなく、あなたはあなたの願う道を選んでいい。その自由意思は神様から与えられている。

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