クリスチャンのあるある的に書いてみた(教会学校の先生篇)

2015年4月20日月曜日

あるある

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 教会学校の先生の「あるある」を考えてみた。全ての教会に当てはまる訳ではないと思うけれど。教会学校の先生方、いつもご苦労様です。
 
・毎週、活動ネタを考えるのに苦労している
 
 子供たちへの毎週のメッセージは「せいちょう」みたいなテキストに沿うのが基本だと思うけれど、それ以外の活動に創意工夫する先生方がいる。劇とかダンスとか料理とか、まあ毎週いろいろ考えて準備して下さって、本当にご苦労様だと思う。子供たちは幸せです。
 
・どうしてもネタがないと暗唱聖句大会をする
 
 それでもどうしても活動を思いつかない時・準備できない時がある。そういう時の奥の手が「突然の暗唱聖句大会」である。子供たちに覚えさせて、発表させるだけで済む。ちょっとしたお菓子を景品として用意しておけば、なお良いですね。
 
・暗唱聖句の宿題をちゃんとやってこなかった子を叱りすぎて、ひそかに反省する
 
 子供思いの熱心な先生が多いと思うけれど、その分、子供たちへの愛というか指導が行き過ぎてしまうこともある。子供たちからしたらいい迷惑だけれど、先生はひそかに反省しているのですよ。全然伝わってないけど。
 
・ビデオを見せる時間がひそかに憩える
 
 ビデオを見せると大抵の子供は喜ぶし、集中する。さ、先生、今のうちに隅っこで休憩して下さい。あ、でもビデオを見ないでぐずる子もいますけどね・・・。
 
・自由時間にヤンチャな子供たちに押し潰されている時に一番「仕えている」と実感する
 
 元気な小学生男子が複数いると、フリータイムに先生に襲い掛かることが多々ある。特に若い
男性教師なんかいたら大変。叩かれ蹴られ倒され押し潰され、まるで雑巾のような扱いを受ける。でも大丈夫、先生はそういう時こそ子供たちへの「愛」を実感していますから(そのはず)。
 
・公平にしようと思っているけれど、どうしても子供の好き嫌いがある
 
 そこはやっぱり人間ですから。先生も。
 
・子供相手に熱くメッセージしてしまい、いつも時間オーバーする
 
 熱心なのはいいのだけれど、沢山語れば語るほど、子供たちの関心を失っていく。一度に教えるのは一つ、という教育の鉄則を守るべきだろう。でもそれがなかなかできないのです、熱心だから。
 
・話が長くて子供たちから嫌がられているけれど、気づいてない
 
 上記に通じるけれど、いたづらに話し過ぎると逆効果になる。人間の集中力はせいぜい30分、子供なら当然それ以下、ということに留意すべし。感覚的には「もう終わり?」と思われるくらいがちょうどいいかと。
 ただ、長く話した方がいいと信じている人っていますからね・・・。
 
・ゆっくり大きな声で話すのが癖になって抜けない
 
 これは教会学校の先生のいわゆる職業病みたいなもので、相手が大人でも子供に話しかけるような口調になってしまう。教会学校の先生を兼任している牧師が、大人向けの説教でも「はーい、では聖書の言葉を読んでみましょうねー」みたいな口調になるケースがある。まあ、気にしない人は気にしないのでしょうが。
 
・どうしても他の先生と自分を比較してしまうけれど、そんなこと誰にも言えない
 
 何人かの先生がローテーションで教会学校を担当する場合がこれになりやすい。誰が一番人気があるか、誰の教室が一番面白いか、楽しいか、みたいなことを皆ひそかに気にしている。まあそれで切磋琢磨するなら良いと思いますが、そういう感情は大抵「なかったこと」にされます。現に存在していますが。

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