2015年4月10日金曜日

ある二世牧師の残念な顛末

 自分の野望のために信徒をさんざん利用し、虐げ、逆らう者を容赦なく排除してきた牧師がいた。
 
 彼はいわゆる二世牧師。子供の頃から、親の惨めな教勢からくる不遇に甘んじていた。そしていつの頃からか心に決めていた。自分が牧師になったら、決してこんな惨めな思いはしないぞ、と。
 
 その過剰な自尊心というか、コンプレックスというか、野望というか、そういうものが彼を突き動かした。そして若くして牧師になった。親が何十年かけて育ててきた教会を横取りした。形としては「地域教会の若手主任牧師」「次世代を担うホープ」となった。
 
 彼は「次世代牧師」に多いビジネスマン・タイプで、自己啓発系の話が大好きだった。そして聖書にあるようなないような考え方ややり方を導入し、ホウレンソウとかマインドマップとかポジティブシンキングとか「良い習慣」とか、そういうのを次々と信徒に押し付けた。教会の文化にするとか言って。
 
 そして事業にも乗りだした。まあ大半が失敗か、尻切れトンボになるのだけれど。
 しかし中には軌道に乗った事業もあった。福祉系の事業だった。キリスト教メディアにも取り上げられ、少しは名を知られた。その頃から次第に鼻が高くなった。
 
 ついに子供時代の不遇を、挽回した訳である。
 
 その事業はしばらく続いた。最初のころは華々しかった。けれど、あちこちに破綻をきたしはじめた。その破綻を繕うことで新たな破綻が起こり、破綻が破綻を呼び、もはや沈没寸前となった。いやもう沈没しかけていた。その破綻の連続はまるで彼自身の人格を現しているようだった。今にして思えば。
 
 残念なことに、彼のやってきたことはキリスト教信仰とは関係なかった。口では「神様のために」とか言っていたけれど、結局のところ自分が有名になるために、教会という(自分にとって)都合のいい組織を使い倒しただけだった。自分の承認欲求が満たされることが、彼にとって全てだった。
 
 ある日突然、その教会も事業も崩壊した。
 
 まさかのタイミングであった。おそらくそれまでで一番盛んで、一番活発な時に見えたからだ。いろいろなことが新しく始まるというその時、急に足元をすくわれた。
 
 ノアの洪水を不意に食らった人々も、まさにそうだったに違いない。
 まさか今日、
 まさかこの時、
 まだこれが終わっていないのに、
 まだあれを成し遂げていないのに、
 今終わる?

 その教会は、「自分たちこそ神の御心を知る者たち」と普段から自負していた。けれど実は、御心から最も遠い人々だった。わかっているつもりがわかっていない、見ているつもりが見ていない、聞いているつもりが聞いていない、そんな哀れな人々であった。
 そしてそれは、牧師の姿そのものであった。
 
 しかしそれも仕方がない。その牧師がしていたのは初めから「牧師」でなく、「教会」でなく、「自分探し」だったからだ。神の威を借り、信仰のベールをまとい、信徒とお金と時間を好き放題に使った挙句、結局何にもならなかった。
 ちなみにその活動が崩壊したことで、「教会が終わってしまった」と言うのは正確ではない。「彼の野望が終わった」と言うべきである。
 
 そしてその「終わり」こそ、もしかしたら最大の神の恵みだったかもしれない、と私は思う。

13 件のコメント:

  1. 急に足元をすくわれた。

    何なのですか?
    何がそんなに?
    セクハラ? パワハラ?

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  2. 牧師って・・・・・
    と思いますよ。
    社会で働いて・働いて・働いて・働いて・・・・・・・・・・・・。やってみろよ!
    献金した人の金で、自己実現なんかするな!
    カトリックの神父様(「様」と呼ぶのです。誇張ではありません)のように、一人で神に仕え、人にも仕え(上司など組織に仕え、と言う事もあるでしょうね。20年前?位の上司刺殺事件などありましたから)、生き様に人間臭さがないと、イエス様だって超人間臭い(笑)存在だったでしょうに。
    それに引き換え牧師!何だお前ら!!!

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  3. 80年代頃から超教派のイベントが始まったあたりから、プロテスタント教会の牧師さんはおかしくなりましたね。超教派との名目で米韓あたりから様々なイカサマ団体が入り込んだのが原因でしょう。
    それまでは牧師さんのイメージは穏やかで善人でした。学校や慈善事業にも熱心で信頼を得ていたのに残念です。

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    1. プロテスタント教会がおかしくなったのは80年代頃からではありません。実は明治の終わりに中田重治という山師的な聖職者が、ホーリネス運動なるイカサマな新興宗教系プロテスタントのムーブメントをアメリカから持ちこんでからといえるのではないでしょうか。大正時代にホーリネスがかなり成長し、それなりに世間の注目をあびたわけですが、そんな時代でもすでにおかしな新興宗教系プロテスタントがいくらでもありました。
      ホーリネスは大正時代でもすでに終末詐欺をやらかしています。信者が街頭に出て大声で「再臨がくるぞよ~。悔い改めよ~」とやって、折伏大行進状態だったそうです。
      学校や慈善事業に熱心で信頼を得ていたというのは、新興宗教系のプロテスタントのことではありません。新興宗教系のプロテスタントは他人の褌で相撲をとるというのでしょうか、とにかく他者の功績に薩摩の守をして今もイメージ泥棒をしているのです。

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    2. 「再臨がくるぞよ~。悔い改めよ~」とやって、折伏大行進状態だった」

      映画 少年H でこの場面ありましたね。あれは日本ナザレン教団の信徒だった作者の実話です。
      ナザレンはホーリネス系でけたたましいのが特徴。弟子訓練に熱心なのが北海道や九州にありますが、なるほどですね。好みの問題としておきます。

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    3. |映画 少年H でこの場面ありましたね。あれは日本ナザレン教団の信徒だった作者の実話です。

      ナザレンの信徒だったのは、wikiによればその人の御母堂だったようですね。
      ちなみにその教会、戦争前後に日本基督教団に入り、戦後はナザレンに戻らずインマヌエル綜合伝道団の神戸教会になったというコトですが、サイトをみると新改訳聖書使用で、福音派なのですな。

      |ナザレンはホーリネス系でけたたましいのが特徴。弟子訓練に熱心なのが北海道や九州にありますが、なるほどですね。好みの問題としておきます。

      はて、それは初耳(笑)
      青年会員だったころ(20年は昔)は全国大会にも3回行ったけど、そういうやかましさは、なかった、いや、弟子訓練のコトまでは聞いてないから、詳細が知りたいですね。

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    4. ナザレンのお話が出ていますので、若干。
      北海道のある教会は、けたたましいですよ(笑)
      あのセクハラで大問題となったビュンさんとの関わりが、問題発覚以前にありました。
      あのアーサー・ホーランドが毎年来ているし(金づる)、若者向けの集会もしょっちゅう。若者が出たり入ったりしていますね。牧師の息子が後継者でしょう。
      福音派の様でありながら、教育システムが全くないサロンの様な教会です。
      市内には福音派だけの牧師会と言うのもあるのですが、今は孤立状態です。

      市内のある古い教会からは「あそこは異端だ」とお墨付き。
      また他の古い教会の人も「あそこは新興宗教だ」とお墨付き。

      教団内部では、多分異色と思われます。教団の見解で「カリスマ運動とは関わってはならない」とのお触れが出ているはずですが。
      ナザレンは、確か今はNCCの教育部に入っていますよね。

      インターナショナル・スクールに老人介護施設を、別法人ですが経営。
      10年ほど前に旧金融機関跡の建物を購入。裏の空き家を購入し駐車場拡張。そして今も、旧会堂(教団名義、インターナショナルスクールで使用)横の、とある名高い地元企業の会長宅も購入するとかしたとか。
      以前に教団の内部査察がありまして、牧師のワンマン経営を指摘して行きましたが、それを許しているあたり、どうなのか?と思われます。
      借金ですからね。すべて。また信徒に献金献金とたかるのでしょうね。

      倫理的には問題が無いように思われますが、詳細まではわかりません。

      これまた以前に、ある信徒が牧師を訴えていましたが。奥さんを取られたとか(笑)
      まじめに市内の牧師会にも教団にも、その内容を訴えていました。
      ですが、多分・・・・これは勘違い?
      各個人の名誉のために、これ以上は言えません。

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  4. 少年Hは子ども時代の記憶ですから、家族で教会に通っていたお話です。映画では母親が熱心でそれに付き合う家族の様に描かれていました。
    「カリスマ運動とは関わってはならない」とのお触れは、当時アーサーホーランドや弟子訓練を取り入れるナザレンの教会が多発し出して、心ある信徒の訴えで声明文が出たのです。しかし残念なことに、隠れて続けるところがあり「幸いな人」にはその後もナザレンの牧師名が掲載されていましたね。その教会たちは逆に犯人捜しをして正統派の教会員を追い出していったそうです。
    つまり、ナザレン教団は二つのタイプが混在していますが、総じて新興宗教系プロテスタントの勢力が強い。NCCに全面加入していないのもその表われです。

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    1. 日本ナザレン教団の二つの教会のHP
      コリアンナイトに韓国詣で。これを見ても特徴がわかりますね。

      http://yorokobinokyoukai.org/index.php/pictures

      http://www.i-nazarene.com/events/korea.html

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  5. うちの副牧師 働かないで子供5人も私立にいれている。
    くるまを2年に一回の割合で変えている。その間にバイクの免許とって、バイクも買った。
    服もいつも流行りものだ。妻よりも流行に敏感で抜かりない。
    そこの教会の誰よりも彼より良い生活と待遇を受けてる人はいないのに、それでも、その信者
    から金をむしり取る二代目牧師。

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    1. 先祖代々のお寺ですら、あまりにも目に余るような贅沢な暮らしを住職一家がしていたなら、自坊の場合は檀家が離檀してしまいますし、自坊でない場合はその住職を解雇して、本山にお願いしてまた別の人に来ていただくことになります。
      子だくさんの副牧師が贅沢な暮らしをしている教会が自坊であるならば、信者はさっさとそこから離れるのが利口ですし、自坊ではないというのでしたら、聖職者を解雇して本部に連絡を取って、「給与&ボーナスは○円。条件は・・・」と提示して、来てくれる人を探してもらうことです。(余談ですが、子だくさんの聖職者が毎年のように教育献金を取り立てるのにブチ切れてカトリックに逃げてきた人がこういっていました「もう面倒見きれない。やっぱし聖職者が家庭を持つのは間違っている!」)

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    2. 聖職者が家庭を持つことは少しも間違っていないと思います。
      その二代目牧師「僕の給料は神様が僕に与えたのだから、神様には感謝するが、
      信徒には感謝しない」と言い放った。給料以外にもサポート献金やら何やら貰っていながら、良くもそんな事が言えるよな。主任牧師の傘の下でなんの心配もなく、自分で開拓もしようとしないで、私は二代目だからって、教会を継ぐとか反対です。
      自分で切り開けるまで、訓練してきて欲しいです。特に二代目は。
      ちなみに、牧師は一人よりは家庭があって、パートナーがいるほうがバランスがいいと思っています。女牧師にしても。

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    3. 「信徒には感謝しない」って、誰が生活に大変な中から捧げたと思ってる?
      そのように言えば、「神が与えた仕事に給料だろう」とか言い始め、捧げるのは当たり前だと言うような物言いで、ふんぞり返る。
      「神が与えたから神にだけ感謝する」と言うのなら、何処か誰もいない山奥で、必死に祈って、御言葉が与えられて、お金もふんだんに土の中からでも出てきたので、ア-メンですd(^-^)とでも言ってれば良いのです!(  ̄▽ ̄)
      人のたくさん居るところで、献金しろと箱やザルを廻したり置いてみたりして、信徒には感謝しない?( ・∇・)
      お前馬鹿か?
      本当に御都合主義者だな!(  ̄▽ ̄)ボクシ

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