ある教会でよく言われる台詞。
「毎朝起きたら、『神様、おはようございます』と言いましょう。そうすると朝から笑顔で元気に一日を始められますから」
いくつかバリエーションがあって、イエス様おはようございますとか、聖霊様おはようとか、ハレルヤと叫んで飛び起きるとか、鏡に映る自分に向かって今日も○○! と言うとか、イロイロある。
要は起きがけに神様を意識することで、ポジティブなメンタルで一日を始めよう、という自己啓発的発想である。べつにキリスト教とは直接関係ない。もちろん「祈り」の要素があるなら関係なくもないが。
とにかくそういう「毎朝の掛け声」を信徒に奨励する牧師がいる。
「僕はこれをもう1年続けていますが、いやあ毎朝スガスガシイですよ~。前日イヤなことがあっても主にあってリセットされ、また新しい一日を気持ちよく始められますからね~」
満面の笑みである。朝からこのテンションかと思うと逆に周りが疲れそうだけれど。
そういう話を真面目に聞いて、よし明日からやろうと言う信徒が必ずいる。私もそうであった。それで3日くらい続けてみるのだけれど、やはり自分で自分を元気付けているだけの気がする。あるいは本心を偽って笑顔をつくっているだけの気がするのである。
それに生きてればイロイロある訳で、余裕のない朝だってあるし、気分の悪い時だってある。仕事のこととか家族のこととか気になって、とても朝から笑顔になれない時だってある。
そういう訳で私の「朝の掛け声」は全然続かなかったのだけれど、教会に行くと牧師から時々その話をされる。それで、ああ続かなかったな、自分はダメだな、もう一度やってみようかな、とか思う訳だ。
けれど、やっぱりできない。そんな繰り返しである。同じような経験をした人はきっといるのではないか。
ところが牧師は(きっと)それが毎朝できているはずだ、すごいな、やっぱり神の器なんだな、と私は尊敬の念をもって見ていた。
そんなある朝のこと。
ミーティングがあるので私は教会に向かって歩いていた。もう少しで教会というところで、向こうから一台の車が猛スピードで走ってきた。牧師の車だった。運転席には確かに牧師の顔。向こうは私に気づいていない。
何気なく見ていると、牧師の車は交差点で急停止した。自転車が通ったからだ。そのとき牧師の顔が歪んだ。声は聞こえなかったけれど、推察するに「チッ」と舌打ちしたようである。そして自転車が通過すると、また急発進して右折した。そちらに教会があるからだ。
何となく、見てはいけないものを見たような気がした。明らかに不機嫌な様子だった。講壇で「毎朝笑顔で一日を始めましょう~」と言っている人物とはちょっと思えなかった。
その他にも、朝の時間帯に不機嫌そうな牧師を見ることが何度かあった。ドアを乱暴に閉めて出てくるところとか、ブツブツ文句を言いながら歩いているところとか。
あれ、毎朝起きがけに神様に元気よく挨拶してるんじゃなかったけ? 朝からハッピーなんじゃなかったっけ?
ということで、牧師に対する尊敬の念が崩れ去ったのは言うまでもない。
・ちょっとした後日談
教会で「弟子訓練」に関するセミナーが開かれた。講師はその牧師である。
牧師いわく、
「師として、どうやって弟子を訓練するか? 肝心なのはこれです。自分にできないことは、弟子に押し付けない。弟子に言うなら自分もそれをしなければならない。当然ですよね?」
うん、確かにその通り。アンタはできてないけどね。
「おはようございます」の挨拶で思い出すのは、今行っている教会の何人か前の牧師。
返信削除私はそこの教会員ではないので、その牧師のことは知りませんが、その教会の長老がこんなことを話されていました。
「『一番最初に神様に会って、おはようございますと挨拶をしないといけないから、礼拝が始まる前に教会で兄弟姉妹と挨拶をするのは止めましょう』と○○牧師が言っていましたが、懐かしいですねぇ。」
変な牧師だと私は思いましたし、そんな牧師の主張に反対もせず従うほうも従うほうだと思いました。
愛希穂様
削除コメントありがとうございます。
「神様への挨拶が先だから兄弟姉妹に挨拶しない」というのは私も聞いたことがあります。単なる非常識ですが、信じきってしまっている人にはリアリティがあるのでしょうね。