「その1」では、クリスチャンD氏の痛々しい行動の数々を紹介した。今回はD氏に限らず、イタイ系クリスチャンの行動を挙げてみる。
■クリスチャンの痛々しい行動
「賛美チームに入りたがる」篇
たぶん教会奉仕の花形は賛美だろう。舞台に立つし、カッコいいし、仕えている感がある。くわえてスキルが必要だから、なれる人は限られている。
という条件が、イタ系クリスチャンをそそるのであろう。彼らの多くはなんとかして賛美チームに入ろうとする。そしてイロイロする訳だけれど、その努力がとってもイタイのでここに晒してみる。
・礼拝後の舞台で楽器を弾く
「自分、楽器できるんですよ」というアピールだと思うけれど、誰もいない舞台で気持ちよさそうに演奏する。あくまで個人的にちょっと練習してるだけですって顔しておいて、実は会衆の反応をチラチラうかがっている。
ちなみにそのフレーズだけ、家で散々練習してきている。
・牧師に猛アピール
「自分、ギターできるんですよ」「あ、ドラムもちょっとかじってました」「それとベースもOKです」「あ、歌うのも好きです」
結局舞台に立てれば何でもいいんでしょ?
・奏楽者が休むと代行を申し出る
たとえばギター弾く人が風邪とかで休むと、すかさずでしゃばる。「あ、自分、ギター弾けますよ。この曲もできますよ。良かったらやりましょうか?」
それで代行を頼まれると、「いやー、頼まれちゃったからさー」とかちょっと迷惑そう。でもすごい笑顔&ドヤ顔。
・祈って示されましたアピール
「このところずっと神様から、賛美をもって仕えるよう語られています」とか言ってくる。
まあそう言われたら否定できないよね。真偽を確認できないし。
あれ、でも掃除とか椅子並べとか、普段あんまりしてないよね? 本当に仕えたいって思ってる?
・オリジナル賛美を何気なくアピール
オリジナルの賛美を作って自分でレコーディングとかしてきて、CDにして持ってくる。
「あの、オリジナル賛美作ってみました。神様に示されて。良かったら聴いてみて下さい」
えっと・・・、それ聞かなきゃダメ?
■クリスチャンの痛々しい行動
「とにかく目立ちたい」篇
・代表の祈りがすごく長い
代表の祈りに指名されると、キターッとばかりに延々と祈ってくれる。御言葉をふんだんに引用し、日本とか世界とか話を広げて、何に感謝かにに感謝、とにかく長い。あの、ちょっと寝てていいですか?
・どんな奉仕にも絡んでくる
たとえばパソコンの話をしていると、「それは〇〇ですよ」とか上目線で絡んでくる。
スキットに欠員がいると「自分がやりましょうか」とか絡んでくる。
インテリアの配置を考えていると、「デザインの基本ではこういう場合・・・」とか言ってくる。
・証も長い
マイクを持たせると延々としゃべる。もはやカラオケ状態。それを信仰的とか敬虔とか思っているからもう手に負えません。自分大好き&空気読めないの典型。
・ムリヤリ相談にのってくる
「最近どうですか」とか話しかけてきて、とにかく悩みを打ち明けさせようとする。いえいえ、必要ないから、少なくとも君には話さないから。
でもしつこくて、しまいには「主があなたの悩みを聞くよう私を導かれたのです」とか言う始末。ウソつけ!
以上からわかる通り、イタ系クリスチャンの特徴は、とにかく目立とうとすること。役立つことで自分の存在価値を示そうとすること。けれどそれは神様を愛することでも仕えることでもない。
彼らの行動は一見信仰的・敬虔だけれど、実は自己中心・他人の気持ち無視である。
そういう視点で教会内を見回してみると、あなたのまわりもイタ系クリスチャンがいるかもしれない。そういう時は是非あたたかい目で、「イタイな」と思いながらも見守っていただきたい。どうせ彼らには言ってもわからないから。
あえて聞いていいですか?
返信削除みなさん、「さんび」とか「クリスチャンミュージック」って好きなンですか?
心から。
J-POPやアイドルの代わりにしてるとしたら、それはそれでマズくないかと思うし。
歌は心の表現だから、自分には嘘つかないでほしいかな。
歌いたかったら、カラオケに行けばいいしね♪
慰めはうけるときあるけど、好んでは聞かない。世の歌はそれ以上に魅力的だし、
返信削除例え教会が サタンの歌だとか、イルミナティー発祥と言われようが彼らの歌のほうが圧倒的に人々の心を捉える。海外に多少好きなゴスペルが何曲かあるが、自然と口ずさむのは圧倒的に世の曲で、小さい頃に慣れ親しんできた曲や、青春時代の流行歌など。ごく稀に賛美が出る。何しろ本当に人の心掴むのであれば、クリスチャンじゃなくてもCD売れまくっているしね。私はもっぱらマライヤキャリー世代だけど、なにか。
|例え教会が サタンの歌だとか、イルミナティー発祥と言われようが彼らの歌のほうが圧倒的に人々の心を捉える。
削除ここはこうですよね?
例え教会の牧師や信徒たちが、「セキュラーな歌」をサタンの歌だとか、イルミナティー発祥だとかと言おうが、彼らの歌のほうが圧倒的に人々の心を捉える。
それでも、ゴスペル<と言うけど、アフリカン系アメリカンのそれを福音派のひとはあまり歌わない。何故?>や「さんび」、CCMを心から好きで「さんびする」ひともいるのは、認めざるを得ませんから、
礼拝や集会で「さんび」を嫌いだから一緒に歌わないと、肉的だの御霊の器としてふさわしくないの救われてないのと山ほど言われた者としては、本当の本当に好きなのか?とあらためて問いたかっただけです。
それで、証していない、救われていない、キリスト者として砕かれていない、となればキリスト教やめざるを得ないから。
自己変革なンて一生できないから。
もう30年以上もこの考え変わってないから。
|私はもっぱらマライヤキャリー世代だけど、なにか。
オイラは、ポール・マッカートニーやホール&オーツ、マイケル・マクドナルドが好きです。御意見無用。
ユースミニストリー・リーダーやユース牧師などと言われてる人たちは基本この気がありますね
返信削除こういう方、よく見かけました。表立ってのことにはひょいひょいと乗りかかろうとする。上から目線もいい感じはしません。言動にも頭にくるし・・・。ただの目立ちたがりでしょう。
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