これをやったら痛々しい、というクリスチャンの行動

2015年3月15日日曜日

教会生活あれこれ

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 教会を転々としているクリスチャンの知り合いがいた。知り合いと言っても顔を名前を知っているくらいで、何度か挨拶しただけの間柄だけれど。

 その知り合いをDと呼ぶ。Dが信仰熱心だったのかどうかイマイチわからないけれど、いわゆる「クリスチャンっぽい活動」には熱心だった。そしてその活動がすごく痛々しく見えたので、私はよく覚えている。

 今回はDの活動を羅列することで、こういうのは痛々しいですよ、というのを紹介したいと思う。反面教師として読んでもらえたら幸いである。

■クリスチャンDの痛々しい行動

・「自分通信」を作って、いろいろな教会で配って回る

 B4用紙に自分の近況、証、お知らせ、祈りのリクエストなどを書いてまとめたものを「〇〇通信」と名付け、たくさんコピーして、あちこちの教会に配って回っていた。
 Dは基本、毎週同じ教会には通わなかった。たぶん週ごとにいくつかの教会を巡回していた。そして行った先の礼拝前とか後とかに「〇〇通信」を配って回っていた。
 渡された方は「何これ」である。先週自分に何があったとか、最近どんなことを考えたかとか、今自分にこういう必要があるから祈って下さいとか、とにかく自分アピール満載である。しかも牧師に無許可だった。

 私はもらった瞬間ドン引きであった。もちろん笑顔で受け取ったけれど。

・気が向くと踊り狂って賛美する

「今日はこの教会で賛美するよう神様に導かれました」ということで、Dが礼拝にやってきた。はい、どうぞ。
「だから最前列で最高の賛美を捧げます」と言う。はい、どうぞ。
 言葉通り最前列の中央に陣取り、初めから両手を振ったり足を振り上げたり、飛び跳ねたり「ハレルヤ」を連呼したり、とにかくものすごいハッスル加減である。みんな思わず神様でなくDに注目してしまう。
 そして礼拝後。
「いや~、これが本当の賛美礼拝です。ダビデが踊り狂って神を賛美したと書いてあるでしょう? 私はそれを体現したのです。だって神様がそう言うから」
 はい、そうですか。

・勝手に按手の祈りをはじめる

 またDが礼拝にやってきた。久しぶりの登場である。
 おもむろに賛美チームが準備しているところにやってくる。「今日の賛美リードは誰ですか」
 手を挙げた賛美リードの頭に手を置いて、祈り出す。困惑する賛美リード。でも邪険にもできない。しばらくすると祈りが終わる。Dが一言。「さ、これで今日の賛美礼拝も油注がれます」
 そして礼拝後。
 賛美リードのもとにやってくるD。「賛美、良かったですよ」
 何その上目線?

・突然の意気消沈

 またDがやってきたけれど、今度は元気がない。口数も少ない。
 愛深い信徒が話を聞いてあげると、「神様に取り扱われました・・・」と意味深なことを言うD。
 その日の賛美礼拝はおとなくしく、飛んだり跳ねたりもしなかった。一人涙を流している。

 あの、どうでもいいんですけど浮き沈み激しすぎません?

・礼拝中に証をはじめる

 礼拝説教中、手を挙げるD。牧師が何ですかと聞くと、「証したいことがあります」とのこと。
 困惑する牧師。でも結局マイクを渡してみる。
 前に出たDが、とくとくと自分の証を語り出す。しかも説教内容とは無関係。
 たぶん信徒全員、「何これ」と思っていたはず。 

 以上、何か勘違いしているDの痛々しい行動についてまとめてみた。良い子のクリスチャンは決して真似してはいけません。

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