2015年3月15日日曜日

クリスチャンが倍々で増えればいいってもんじゃないって話

「弟子訓練」を強調する教会が、いわゆる「伝道弟子訓練用テキスト」を独自に発行している。
 いつも伝道に失敗してしまう人、どうしたらいいかわからない人に、具体的伝道方法を指南するテキストだそうな。

 その内容は知らないけれど、「弟子訓練」という時点で方向性がズレているのは今までも書いてきた通り。だからどんなに素晴らしく効果的な「弟子作りの方法」が書かれているとしても、それはキリストが言った弟子とは何の関係もない。むしろ聖書に対立する考え方である。

 ということは先に書いておく。

 そこの牧師が「弟子訓練」を推奨する理由の1つに、「毎年1人が1人を導く」というのがある。
 クリスチャンが毎年1人を(救いに)導けば、(理論上は)倍々と増えていって、ごく短期間で日本中がクリスチャン化する、という話。
 それを実証する簡単な計算表も作っていて、それによると初めが50人くらいでも、毎年1人が1人を導けば、20年ちょっとで日本人口に達する。あくまで理論上は。

 実はこの表、ずいぶん前にも見たことがある。その時も「毎年1人が1人を」と言っていたので、有言実行していたなら、今は何千人規模の教会になっているはずだ。
 そういう話は聞かないけれど。

 私が思うに、「毎年1人が1人を導く」は現実的でない。
 皆さんもご自身のこととして考えてみればすぐにわかると思う。初めて知り合った相手と、1年でどれくらい仲良くなれるだろうか。どれくらいの信頼関係が築けるだろうか。
 仮に初めからウマが合って良い関係を築けそうだとしても、深く信頼し合う師弟関係にまで持って行けるだろうか。
 また導かれる側で言えば、たった1年の付き合いで、自分の人生を相手に完全に預けることができるのだろうか。

 もちろん知り合って数か月で結婚するカップルがいるくらいだから、1年ですっかり師弟になれる人たちもいるかもしれない。けれどそれは万人に当てはまることではない。むしろ少数派であろう。
 人にもよるだろうけれど、人間関係における1年は、まだまだ始まりの始まりに過ぎない。

 この理論のもう1つの問題点は、たった1年で聖書をどれくらい教えられるのか、という点にある。
 神学校で何年もみっちり勉強したって十分とは言えないのだから、互いに仕事やら学校やらで忙しい人たちが時々集まって学んだって、1年で十分とは決してならない。むしろどれだけ不足しているかって話になる。いわゆる「福音メッセージ」なら話せるようになるだろうけれど、それで聖書を知ったと言うのは、単なる「知ったつもり」だ。

 そういう聖書「知ったつもり」が、昨今の聖霊派・福音派の逸脱の温床にもなっていると私は思う。

 だから人間関係においても聖書知識においても、「毎年1人が1人を導く」は無茶苦茶な話である。

 仮にその手法が奏功し、クリスチャン人口が倍々で増えていったとしたら、そっちの方が恐ろしいと私は思う。いったいどれだけの「聖書知ったつもりクリスチャン」が増殖し、実は薄弱な人間関係を「主にあるコネクション!」とか呼ぶケースが蔓延するだろうか。

 くわえて「弟子訓練」そのものが抱える問題もある。つまり教会の権威主義化、階層化だ。以前も書いたけれど「弟子訓練」は厳密な主従関係、上下関係をもたらす。そこでは「神の言葉」より「師の言葉」の方が絶対であり、逆らうことができない。そしてそれが聖書的でないことに気づけない。なぜなら聖書を「知ったつもり」だから。

 この「毎年1人が1人を導く」が何年たっても進んでいない現状を、私は幸いに思う。
 この理論がもたらす未来は、「日本人みんなクリスチャンでハッピーな社会」ではない。知ったつもりクリスチャンが知ったつもりクリスチャンを量産する世界、全然聖書的でない上下関係と権威に支配された世界、である。いわゆる中世的封建社会、理不尽な暴力がまかり通る社会への逆行と言ってもいいかもしれない。

 いったい誰がそんな世界を望むだろうか。

11 件のコメント:

  1. 弟子訓練は日本には全然合わないと思うのです。なぜなら日本人はまじめだからです。
    日本の国民性に弟子訓練が入ってしまいますと、下手をすると宗教団体の中はポルポト政権下のカンボジアになってしまいますよ。
    韓国で弟子訓練をやってもそれほど悲惨な状況にはなりません。なぜなら韓国人はちょっと気に入らないとすぐに「ならいいよ。他に行くから。教会なんていくらでもあるしね。」となってすぐに逃げていってしまいます。日本とちがって石の上にも三年という美徳はなく、転がる石には苔は生えないをよしとする文化なのです。よって日本人のように「しんどい弟子訓練だが忍耐に忍耐を重ねて・・・」となることはありませんので、韓国では新興宗教系のプロテスタントの教会でどれだけ弟子訓練を導入しようが、日本のような悲惨な状況になど絶対になりえないのですよ。
    新興宗教系のプロテスタントが弟子訓練を導入するのをよしとするのであれば、信者側のほうも「韓国人のように、ちょっと嫌だと思ったらすぐに逃げていく。」を決行しないとだめではないでしょうか。

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  2. なるほど 一理ある。

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  3. 日本が未だに(笑)クリスチャン人口が1%未満であるのは、ただただ本当に幸いな事であって(これぞ神の思し召し!)、決して福音主義・聖霊派新興宗教プロテスタント教会が言うように「霊的に目が閉ざされている」事はありません!
    この点で、我々日本人はしっかりした「芯」を持っています。宗教など表面上の事、どの様な教えであっても結局は、その団体の「商売」であり、その詐欺には引っ掛からない。
    けれども、おれおれ詐欺、振り込め詐欺、還付金詐欺等など、愛する「子供」のためにはたとえ「詐欺」っぽく感じても、「盲目」になる。
    しかしこれは、「家族」と言う絆をどれほど大切にしているかを表していないでしょうか?そしてその行動が、いとも簡単に詐欺に利用される事になってしまうのですが。
    振り返って、くだらない「宗教の商売」に加担し身銭を切って働き、妄想と願望に身をやつし、憔悴しきって現実の「生きる」事に適当になると、基盤を失って取り返しのつかない事になります。
    宗教は人の誕生・結婚・葬儀、そして生きる上での処方箋を提供すればそれで良いのです。
    くだらない「金儲け」のための教育などは即刻止めなさい!

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    1. マリックさんに同意します。
      なにかにつけて「リバイバル!」「リバイバル!」といいますが、彼らの言うリバイバルが日本で起こったらどうなるのでしょうか?彼らにとってはそれは理想の社会だというのかもしれませんが、こんな社会が本当に理想といえるのでしょうか?

      ・日曜日はサービス業でもクローズなので買い物も散髪もできない。だいいち公共交通機関自体が動いていないので、車で親戚や友人の家に行くくらいが関の山。
      ・救急医療体制が機能していないので日曜日に大けがを負ったり子供が高熱を出したり年寄りが倒れたらお陀仏。
      ・結婚式場や葬祭場がクローズしているので祝い事も不祝儀もできない。
      ・役所も完全にクローズで出生・死亡・婚姻等の重要な届出ができない。
      ・伝統的な文化がすたれる。
      ・偶像崇拝につながるものはだめとISなみに狂信的な信者が紅衛兵のようになり
      仏教美術が全て破壊される。

      ・・・書いていくときりがないのでもうやめます。新興宗教系プロテスタントでいう「リバイバルが起こった理想の社会」は、文化大革命時代の中国の復活です。毛沢東語録が聖書に変わっただけで、国民総紅衛兵化でしかありません。反知性主義ですのでインテリが弾圧され、最悪「はだしの医者」が復活して医療機関にかかるとかえって危ないでしょう(笑)。
      新興宗教系プロテスタントは聖職者も信者もプロテスタントのことが全然わかっていません。プロテスタントは数で勝負するものではなく質で勝負するものですので、教会や信者の数を増やすことはできませんし、またやたらと増やそうなんて考えは持たないほうがいいものなのです。
      現実にプロテスタントの数を誇っている国をみれば、ろくなことになっていないのは誰が見ても明らかではありませんか。アメリカは反知性主義の伝統からホーリネスや聖霊派を生んだ新興宗教系プロテスタントの揺籃です。そして韓国はといえば・・・もう語りたくもないほどの新興宗教系プロテスタント銀座です。
      新興宗教系プロテスタントの聖職者は基本的な知識すら持っていない人が現実におり、キリスト教の僧侶としては全く使いものにならない人が多いと思います。こんな愚劣な人間を生き神様として仰ぎたてまつっている信者は、悲しいまでに愚かであるといえるのではないでしょうか。

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    2. リバイバル~~(T^T)!
      と言う掛け声で始終しているのが、今の新興宗教系プロテスタントでしょう。
      そもそもリバイバルとは、と言うコメントを何方かがしておられましたが、これは欧米のキリスト教の伝統が根付いている国々が言えることであって、日本には全く当てはまらないのです。
      ですから彼等は、全く的外れな事を言い、お祭り騒ぎのキャンペーンをしているに過ぎないのです。
      商売ですよ(笑)(。-∀-)
      そして、日本には間違っても彼等が言う所のリバイバルなど起きないのです。
      …最も勘違いの混乱と悪霊のリバイバルなら、彼等の中で起きているでしょうけれど。

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  4. 「リバイバル」なんて言葉 聖書のどこにも出てこない。
    ましてや、黙示録のどこにも、「リバイバルがおきる」みたいなそんな約束みたことがない。
    それどころか、生きにくい世が来るのかなぁと解釈している。
    むしろ、騙す牧師、預言者、騙される(羊)クリスチャンが沢山だから、目を覚ましていなさい。と警告しているとさえおもっている。

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    1. 全くその通りです!!^^  ・・・無いんですよ。実は!・・・

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    2. 起こって欲しいのですが、実は・・・(リバイバル)
      「どーせリバイバルが来るんでしょ、伝道しても、しなくても。」的な思い込みで家族や友人に伝道を省くのがサタンの策略だったりして・・・なんて考えたりしなくもない。

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    3. ありませんから。

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  5. ない根拠はなんですか?

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    1. 聖書に「リバイバルが興る」などと、一切書かれていません。
      むしろ「信仰が後退し、背教が興り、沢山の人がそれについて行く」と言う事ははっきりと書かれています。
      もちろん、聖書の一節、または特定の箇所を引き合いに出して「いや、リバイバルは書かれている」と言う人、そこを題材に説教したりその様な運動をする団体がありますが、それはその昔にあった特定の教理の焼き増しでしかなく(いわゆる聖霊の第3の波・レストレーション・ペンテコステ運動等など)、説明すると大変長くなるので専門の方が必要ですが、簡単に言うと、異端教理・背教教理が背景にある、と言う事です。
      そこを土台として、偽教師・偽預言者が、キリスト教世界に侵入し、多くの信徒や牧会者を手玉に取っている、と言う認識です。
      騙されている教会が非常に多い、と言う現状です。
      だからキリストは「目を覚ましていなさい」と言われたのです。

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