2015年2月26日木曜日

これ言ったら要注意クリスチャン認定、な台詞を考えてみた

 これを言ったら要注意クリスチャン認定だろう、という台詞を考えてみました。つまり教義理解とか聖書解釈とか信仰の姿勢とかがおかしいだろう、と思われるような台詞の数々。
 以下、箇条書きにしてみます。

・「私が祈ると、主が聞いて下さるんです」

→自分が祈ると全てその通りになる、自分の祈りは特別だ、と勘違いしている人の発言。自分のことを「とりなし手」だと自負しているケース多数。祈りが実現しないと、「悪霊が邪魔している」「まだ時でない」とか都合のいいことを言ってごまかすのが特徴。

※類義語
「主が私に祈らせるんです」
「夜中に突然目が覚めるのは、主が祈れってことです」
「主が私にとりなすよう言ってくるから仕方なく・・・」(←イヤなら祈るな)

・「これは主からの特別な啓示です」

→神様が自分だけに特別に真理を現されました、でもこれは多くの人にシェアすべきと思いますので語ります、ということで聖書の「新解釈」を披露するための発言。でもそれを言い出すと、聖書は何千通り、何万通りの解釈ができる気がしますが。

※類義語
「真理の回復」
「後の雨の祝福」
「神様の秘密」
「裏啓示」(←なんだそれ)

・「目覚めよ!」

→「霊的覚醒」をしている(らしい)人が、まだ覚醒していない人に向けた言葉。けれど実際は、これを言う人の方が目覚めてません。逆にお前が起きろよって話。

※類義語
「wake up!」(英語にしただけ)

・「日本に新しい季節がやってくる!」

→季節は定期的にやって来ます。珍しいことではありません。
 もちろん「霊的な意味でだ!」ということでしょうが、それを言う人は10年前にも20年前にもいました。この間、べつに「霊的」な変化などしていませんが?
 それに「新しい季節」ってどういう意味ですか? 具体的に、未信者でもわかるように説明してもらっていいですか。

※類義語
「夜明けがやってくる」
「義の太陽がのぼる」
「新しい時代の到来」
「新しい風が吹く」
 ちなみに、これを言った人の方が吹き飛ばされちゃったって実話もあります。

・「次世代が鍵です」

→本質的には間違っていませんが、「次世代」を強調しすぎです。次世代以外の世代だって大切です。そしてたとえば、次世代(若者)が高齢世代を導くというのは現実的でありません。単に元気で従順な若者を釣りたいだけでしょう。
 逆に高齢世帯を釣りたい場合は「人生の先輩方、黄金世代が鍵です」とか言う。

※類義語
「ユース世代」(カタカナにしただけ)
「next generation」(英語にしただけ)

・神様を友達感覚で呼ぶ

 神様との親しさ、親密さをアピールしたいのでしょう。たとえば「天パパ」(←天のお父さんという意味)「ダディー」「ダーリン」「聖霊っち」(←たまごっちかよ)など。
 聖書に「アバ、父よ」という表現があるので、親しく呼ぶこと自体は問題ないかもしれないですが、そういう人たちが神様と「親密」とは考えにくい現状があります。だから彼らのそれは「親密さ」というより「不遜」でしょう。

・「主は選択の自由を与えられましたが、それは私たちが主に喜ばれる道を選択する為です」

→これのどこが悪いの? と思われるかもしれませんが、これは逆に選択権を放棄させる為のレトリックです。たとえば「今、主がこれをあなたに願っている。あなたは従うか、従わないか?」みたいな究極の2択を突きつけておいてから、上記の台詞の言うのです。言われた方にはもはや選択の自由はありません。真面目なクリスチャンであればあるほど。
 もっとも、そこには「牧師の言葉=神の言葉」という前提がありますが。

※類義語
「せっかくの主の祝福を逃すのですか」
「この選択はあなたの人生における重要な分岐点です」
「うわべだけのクリスチャンは、ここ一番という時に主を選べないものです。あなたはどちらですか?」

・「世の終わりが近いと思いませんか?」

→世界情勢だけ見て決めつける発言。聖書的根拠があるようでまったくない。
 世界情勢、とりわけ中近東情勢に詳しいのをアピールしたいだけのような気もしますが。2014年10月あたりにも「これはもう間近だ」と深刻そうに言っていた人がいましたが、どこに行ったんでしょうね。というかそういう人はいつの時代もいるようですが。

 以上、これ言ったら要注意クリスチャン認定、な台詞。
 また思い付いたら書きます。

3 件のコメント:

  1. うりぼう
    初めてコメントさせていただきます。

    私はキリスト教業界で異端とされている
    某なんとかの証人で、聖書研究や伝道活躍に関わっていた経験がある者です。

    途中で、なんかおかしいなと思い、
    行かなくなりました。

    その後、正当な(?)キリスト教の教会で洗礼を受けたのですが、
    引っ越しなどもあり、違う教会に行ったらそこは
    使徒的・預言的というフレーズをよく耳にする集まりでした。

    そちらも、いるうちに「なんか変」と思い、自然消滅しました。
    今は近所の穏やかな教会にいます。

    長い自己紹介になりましたが、
    コメントを書かせていただこうと思ったのは、
    某異端、聖霊派と呼ばれるどちらの集まりでも、
    こちらのサイトで書かれていることが常態化していると思ったからです。

    自分や自分たちの集まりを特別視したい願望があるんだろうな、と個人的には思います。

    今回の記事、読みながら笑いました。
    (笑い事ではないのかもしれませんが)

    またこれからも読ませていただきます。

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  2. 匿名様
    初めてのコメントありがとうございます。

    「〇〇〇の証人」と「使徒的教会」の両方を経験されたのですね。
    ゲームで言うとイージーモードのつもりがハードモードだった、やり直したらまたハードモードだった、みたいな感じですね(すみません、笑いごとじゃないですよね)。

    でもその「なんか変」という感覚が非常に大切かと思います。そうやって気づける人ばかりでないのが現状ですから。

    仰る通り、彼らにとって重要なのは優越感、特別意識、選民思想みたいなものです。簡単に言うとプライドでしょうね。もちろん彼らはそんなこと絶対認めませんが。

    そのプライドが「スゴイ」と思われるならまだしも、「イタイ」と思われてしまうのが現実で、そのへんのことに彼らは「目覚める」必要があると思います。

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  3. 以前、自分の通う教会でこんなことがありました。ある信徒がリーダーがいるのに会議の場を勝手に仕切りはじめ、リーダーもそれをとめられなかったとのこと。そして議題の途中で話が途切れてきたら、突然「神の思いをきくために今一斉に祈りましょう。」とその信徒が言い始め、参加者は祈ったそうです。その後仕切りだした信徒が「何か感じ取りましたか」としつこく参加者に聞きまわったとのこと。当然参加者はあきれました。結局仕切り役がいろいろと提案をだして会議をむりやり終わらせたとのこと。会議とはいえリーダーを押しのけて自分の提案を押し付け結局自己満足でおわったようです。秩序を乱すこと自体が許せないのです。

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