今月12日、渋谷区が同性カップルに対して「結婚相当証明書」を発行する条例案を発表した。3月の区議会に提出され、可決されれば4月から施行される予定とのこと。世田谷区も同様の施策を検討しているようだ。またその発表を受けて、さっそく渋谷区に転入した同性カップルがいるらしい。
これは事実上、日本初の同性婚を認める動きであろう。非常に画期的だと思う。アメリカでは2004年にマサチューセッツ州で初めて同性婚が認められ、以降急速に拡大し、今では50州のうち30州までに達している。アメリカで起こることは数年内に日本に飛び火すると聞いたことがあるけれど、これも同様の現象かもしれない。あるいは時代の要請だろうか。
同性カップルはこれまで婚姻関係を認められない、つまり家族と認められないことでイロイロと不都合を受けてきたようだ。たとえばパートナーが緊急入院した場合、入院先を確かめようと電話しても、家族でないから教えてもらえない。面会までこぎつけても、病状説明など聞けない。手術が必要な場合、同意書にサインできない。パートナーとして同居し、生計を共にしていても、法律的には赤の他人でしかなかった訳だ。
そういう不都合が少しでも解消されるなら良いと思うし、これを機に同性婚に対する理解が広まっていけば良いと思う。という訳で私はこの施策に賛成なのだけれど、気になることもある。
というのは、いわゆるLGBTの方々がマイノリティであって、そういう風に証明書を受けなければならない立場にある、ということだ。もちろん証明書がないよりあった方がいいけれど、そもそもなんでそんな証明が必要なんだ、という話ではないだろうか。
つまり証明書そのものが、その二人の関係を「通常でない」と表明している気がするのだ。「通常でないけれど、昨今の時代の流れを鑑みて認めましょう」と言っているに過ぎないのではないか。
社会福祉の分野では「インクルージョン」という言葉が使われ始めているけれど、それと同じように異性婚も同性婚も自然に存在するカップルの形として認識されるのが、本来ではないかと私は思う。こういう人もいればああいう人もいる、という多様性が自然に受け入れられているなら、そもそもパートナー証明など必要ないだろう。
繰り返すけれど「結婚相当証明書」は日本社会にとって前進であり、同性カップルに対するグッドニュースであるのは間違いない。けれど証明書を持っていないとカップルとして認められないとう状況から、私は映画『シンドラーのリスト』を思い出した。
第二次世界大戦下、ナチスによって強制移住させられたユダヤ人たちにとって身分証明書は命綱だった。携帯するのを忘れたらどんな目に遭うかわからない。それは証明書があって良かったねという話でなく、証明書がないと生きられない異常事態である。
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