中高生向けの集会自体は、星の数ほどあるだろう。けれどここの斬新さは、単に「中高生向け」なのでなく、中高生が運営し、中高生がリードし、中高生がメッセージを語る、というスタイルにあるという。つまり「十代の十代による集会(礼拝?)というコンセプトだ。「中高生にもできることがあるから、なにも大人になるまで待つ必要はない」という考え方があるようだ。そしてその考え方を補強するため、エレミヤの例が使われている。
「まだ若い、と言うな」
高齢な牧師がいつまでも現役でいて、若い人に機会を与えない、という話はよく聞く。自分がやらねばダメだ、若い者には任せられない、みたいな使命感に燃えて老体に鞭打つ牧師先生も立派だけれど、いつかはどうしても後任に引き継がねばならない訳だから、引き際を考えるのは重要であろう。そういう意味で、「若者にチャンスを」という上記の試みは、意味があるように思える。
けれど、こういう「十代の十代による・・・」みたいな活動を「新しい試み」と捉えるのは、ちょっと違う。確かに規模は大きいかもしれないけれど、同様の試みは、あちこちでずっとされてきた。そして良いも悪いも含めて、いろいろな結果を生んできた。だから上記の活動を見て「日本の(キリスト教界の)未来も明るい」とか考えるのは、やや時期尚早である。
べつにそういう活動を否定する気はない。若い人には頑張ってほしいと私も思う。けれど以前も書いた通り、キリスト教会が始める何かは、長いスパンで見なければ、その本質はなかなか判断できない。単発で終わるのは論外だけれど、1年や2年は人の努力や勢いで調子よく続けられる。信仰でなくてもできる。問題は、勢いがなくなった時、困難になった時、飽きた時、やる意味を感じられなくなった時、に訪れる。
そしてその時、簡単に頓挫してしまうようなら、その活動は初めからホンモノでなかったとわかる。
しかしこれは、なにも若者たちだけの話ではない。クリスチャン、教会、関連団体の全てに当てはまる。「信仰」を掲げて始めるのだったら、その活動は徹頭徹尾、信仰で貫かなければならない。それができないなら、単に「やりたかっただけ」と評されてしまう。それが嫌なら、初めから「信仰」とか「御心」とか言わない方がいい。厳しいようだけれど。
で、「十代の十代による集会」だけれど、基本的には悪くないと思う。ただ、いろいろと危険が多いのは否定できない。
若者がもっとも陥りやすい落とし穴は、傲慢であろう。ちょっと目立ったから、ちょっと活躍したから、ちょっと役に立ったからと、過剰に自信を持ってしまうことが多い。自信を持つのはいいけれど、持ち過ぎは良くない。それを放置すると、「大人どもより自分らの方が良くできる」みたいな錯覚に陥り、目上に対する尊敬とか、敬意とかを簡単に投げ捨ててしまう。
けれど彼らは頭がいいので、そんな態度は表立って見せない。誰に対してどんな態度を取るべきか、大半の若者たちはよくわかっている。そしてそういうことを知らない大人は「なんて素晴らしい若者たちだ」と手放しで称賛してしまう。しかしそういう考えなしの称賛は、若者たちの為にならない。
もちろん、本当によくできた若者たちもいる。ただ、若さとそういう危険性とは、表裏一体の関係と言ってもいいくらい密接だ。
また、「若者たちにチャンスを」という意味でエレミヤの例を挙げるなら、1章の、まだ何も始まっていない箇所だけ挙げるのはフェアでない。その後エレミヤがどんな歩みをし、どんな困難を受けて苦しんだかも語らなければならない。たぶんエレミヤの生涯を知ったら、「エレミヤみたいに若くても主に仕えます」とはなかなか言えない。言うことはできても、誰が最後まで実行するだろうか。
なのに、「これから主に仕えていくんだ」という「輝かしい希望」だけぶら下げて若者たちを釣るとしたら、それはハッキリ言って詐欺と同じだ。羊頭狗肉とはこのことであろう。
それと、「若者たちの活躍」という話になると、たとえば幕末の志士たちを取り上げて、「若者たちが日本の未来を創ったのだ。だから君たちも!」みたいに言う教会リーダーたちがいる。それで若者たちは盛り上がってしまうのだけれど、志士たちが実際にどう生きたか(どう死んだか)はあまり知らない。だから「献身」したら華々しい人生が待っている、と思い込んでしまう。
べつに若者たちを悪く言うつもりはない。彼らが次代の担っていくのは間違いない。しかしだからこそ、その教育には細心の注意が必要だと私は思う。「若者たちにチャンスを」というコンセプト自体は良い。けれど大切なのは、チャンスを与えることより、その後どうフォローするかだ。
だからこの「十代の十代による集会」の結果は、彼らが1年後、5年後、10年後、どんな人物に成長するかにかかっている。今回の集会がどれだけ盛り上がったか、何人集まったか、どんなインパクトがあったか、なんて全然関係ない。そんなことは皆すぐ忘れてしまう。それは歴史がハッキリと証明している。
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