教会の「健康状態」の見極め方・その3

2014年10月30日木曜日

教会の「健康」

t f B! P L
 教会の「健康状態」について、3回目。

 前回まで、主任牧師の「夫人の精神状態」が教会の健康状態を表わす、と書いてきた。他にもイロイロ指標はあるけれど、これが一番だと私は思っている。
 もちろん、牧師より夫人の方が発言権が強いとか、そもそも(牧師夫妻より)役員会の方が発言権が強いとか、そういう教会もあるだろから、全てには適用できない。けれど私が書いているようなケースの場合はかなり正確だと思う。それも根本的なところを突く結果になるだろう。
 牧師が夫人をどう扱うか、あるいは信徒らが夫人をどう扱うか、その態度が「教会」そのものなのだ。と私は考えている。

 という前提のもと、それ以外の指標について考えてみたい。以下、箇条書きしてみる。

・会計

 良くも悪くも、金銭には人間の本性が表れる。
 教会会計がオープンで、毎月とか隔月とかで会計報告が出されているのは、基本である。献金や寄付を集めて運営している以上、それは当たり前のことであって、やっているから褒められるというものではない。捧げた献金が何にどう使われているか、いくら残っているか、今後どうしていくのか、は全ての信徒に知る権利がある教会には公開する義務がある

 宗教法人なら、法的強制力のゆえ、会計をしっかりしているところが多い。問題は牧師の個人事業の場合だ。「神に仕える牧師が不正をしないのは当然だ」と牧師自身が主張し、会計報告を出さないところがあるけれど、そんなの何の根拠にも証明にもならない。そもそも「不正をする・しない」と、「会計報告をする・しない」は関係がない。信徒は鵜呑みにしてはいけない。

 また、「ウチは健康的な教会をめざしています」と言いながら、会計報告がいい加減な教会がある。ちゃんと紙面で出さない、スクリーンにちらっと映すだけ、マイクで読み上げるだけ、みたいなのは、会計報告とは言わない。

 それと、会計報告があってもまだ安心できない。内容が肝心である。会計報告は後から計算して出すものだから、辻褄合わせの操作ができる。だから会計担当者が牧師の親族なのは危険だ。身内の感情で、操作を許してしまう可能性がある。そして一度許すと、次第に大きな隠蔽につながっていく。

 会計担当は複数の第三者がすべきだ。それに監査も入るべきだ。そして定期的に、公に書面で報告すべきだ。
そこまでやるのは大変だ。教会は忙しいんだ」と言うかもしれない。いやいや、他人のおカネでやってるんでしょ? なんか勘違いしてません?
 

・信徒

 信徒の様子が教会の健康度を表わす、というのは一理あるけれど、実は怪しいと私は思う。
 なぜなら信徒群の雰囲気が教会の雰囲気になる訳だから、「教会のイメージ」を大事にする牧師は、それをも操作しようとするからだ。
 たとえば什一献金があって、奉仕も忙しくて、信徒を拘束しがちな教会が、「これこそ信仰だ、神に喜ばれている、あなたがたの受ける報いは大きい」と常日頃から教えていると、信徒は貧しくて忙しくても、案外イキイキして喜んでいる。むしろ幸せそうにすら見える。けれどそれが健康的かと言うと、そうではない。

「教会は人が集まってナンボ」と考える牧師は、人集めを最優先する。だから良い雰囲気、居心地の良さ、楽しさ、明るさを気にするし、信徒らがそういう雰囲気になるように努力する。
 けれどそれは表面の話だ。本当の健康状態は測れない。むしろ不健康の証かもしれない。たとえば重病を必死で隠して笑顔で踊る人が、健康だろうか。

・おまけ
 牧師の子ども

 牧師の子どもの(見た目の)元気さは、教会の健康とは関係ないと思う。
 あくまで一般論だけれど、牧師の子どもには苦労が多い。両親がいわゆる長時間労働で、休みでもいつ呼ばれるかわからないとか、知らない人と突然同居する羽目になるとか、大切なオモチャを他の子にあげさせられたとか、教会では模範的に振る舞わなければならないとか、イロイロある。それで子どもなのだから、当然不満も募る。

 そういう牧師の子どもが、一切不満を見せず、教会でイキイキ元気にしているのは、逆に心配ではないだろうか。むしろちょっと不満そうで、だるそうにしている方が、本当なのではないかと思う。そしてそういう姿を臆面なく見せられる子どもは案外幸せではないかと思う。
 そういう教会の方が、健康的かもしれない。

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