ものすごい「手のひら返し」

2014年9月18日木曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 都内のある教会が最近、公に声明を出した。「当教会は、教会として携挙の日を特定することはありません」という声明だ。

 んな当たり前でしょ、という内容の声明だけれど、理由がある。教会内の一部で、携挙の日や月を特定する発言があったからだ。教会が公にそういうことを言っていると取られたら問題になる、と判断したのだろう。それで教会としての立場をはっきり表明する必要があったのだ。
 
 そこのメンバーに、「携挙の日を神様から教えられた」と主張する人がいる。そして自身のブログやら何やらでずっと、その日付をほのめかしてきた。
「携挙の日は『父だけが知っておられる』と聖書に書いてあるけれど、だから知らなくていいとか、知っていたらカルトだとか、そんなこと書いてありません」というような(ワケのわからない)主張をしていて、いわゆる「携挙事前特定可能説」を展開してきた。
 
 けれどその人も、上記の教会の声明発表に合わせて、「携挙の日を特定していません」という文言をブログに掲載した。ものすごい「手のひら返し」である。かなり威勢よく、自信満々に携挙の日はどうのこうのと今まで書いていたけれど、どこ吹く風だ。
 そしてブログ内のある箇所で「世界情勢を見れば、艱難時代は今年の○○月から始まるとわかります」と書いていて、すなわち携挙月をはっきり特定していたのに、その箇所はいつの間にか削除されている。よっぽど都合が悪かったと思われる。
 
 どういう圧力でそういう事態になったのかわからないけれど、いずれにせよ良かったと私は思う。携挙日特定という、聖書的でもなく何の必要性もない「空想話」が諌められ、止められたからだ。依然としてその人の周辺でそういう話が盛り上がるとしても、それが公に広められるのが阻止されたのはやはり良かった。

 その人は「これはサタンの攻撃だ」とか言っているけれど、まあ「霊の戦い」で簡単に打ち破れるだろうから、問題ないのではないだろうか(←皮肉です。念のため)。
 
 教会として上記の声明を出すことができたのは、まだ教会に自浄作用が残っているということではないかと思う。もちろん私が偉そうに言うことではない。けれど、自浄できない教会もあるから、やはりそれは貴重なことだと思う。

QooQ