2014年9月19日金曜日

立場によって変わる善悪。映画「母なる証明」ネタバレ篇。

 韓国映画「母なる証明」の紹介に続き、今回はネタバレ篇。未見の方は注意。
 前回の紹介記事の続きとして書くので、未読の方はそちらもどうぞ。

・母子の過去

 理由は(確か)明かされていないけれど、この母子には父親がいない。ゆえに苦労したと思われる。それでトジュンが5歳の時、母は心中を図って彼に農薬を飲ませた。けれど弱い農薬を選んだため、死には至らず、結果的にトジュンに知的障害を残すことになった。
 トジュンは記憶障害もあるため、その件は覚えていなかった。けれど拘留中、アジョン殺害事件について思い出そうとするうち、その心中事件を想起してしまう。それで母を拒絶する。その息子の拒絶が母を更に追いつめることになる。

・アジョンの抱える闇

 殺害されたアジョンは認知症の祖母と二人暮らしで、生活費のため売春を繰り返していた。米や餅でも客を取ったため、「米餅少女」とあだ名されていた。
 理由はよくわからないけれど、彼女は売春相手を全員、密に写メに残していた。終盤になって、その携帯電話が見つかる。その写メを使ってアジョンが売春相手を脅そうとし、逆に殺害されたのではないか、という推理が浮上した。つまり写メの中の誰かが真犯人かもしれなかった。
 ちなみにアジョンは時々、急に鼻血を出すことがあった。それが「真犯人」逮捕につながる伏線ともなっている。

・写メの一人、廃品回収業の男

 母がアジョンの携帯を発見したのと同じ頃、トジュンも拘置所で、事件の夜現場の廃屋に男がいたのを思い出した(ここの演出が、前回書いた『ツインピークス』である)。その男はアジョンの携帯写メにも写っていた。
 男は廃品回収業をしていて、母は一度見かけたことがあった。母は町はずれのボロ屋に赴き、この男こそ真犯人と確信して話を聞く。が、彼は事件の夜、廃屋で休んでいた時にたまたまアジョン殺害を目撃したのだった。

・真相(核心に触れるので注意)

 事件の夜、トジュンがアジョンに声をかけるシーンがあるけれど、何の会話もなく、何もないままトジュンが現場を去る、という場面だった。だから当然トジュンは犯人ではないと観客は思ってきた。けれどカット編集が入っていて、実は二人は会話していた。
 アジョンは売春のせいで男嫌いになっていて、声をかけてきたトジュンを冷たくあしらった。そして大きな石を投げつけて「バカ」と言い捨てた。バカと言われて逆上したトジュンは、石を投げ返す。石はたまたまアジョンの後頭部を強打した。動かなくなったアジョンを見て事の重大さに気づいたトジュンは、動揺しつつ、彼女の遺体を屋上で「洗濯物みたいに」手すりにかけた。「誰か早く病院に連れて行ってやってくれ」というメッセージを込めたのだった。

・真相を隠蔽する母

 真相を聞いた後、唯一の目撃者である男を、母は衝動的に殺してしまう。そしてボロ屋に火を放ち、火災事故に見せかけた。警察の捜査が怠慢なのか、この殺害が日の目を見ることはなかった。
 程なくして、トジュンは釈放された。祈祷院を脱走していたジョンパルが見つかり、服の血痕を調べたらアジョンのものだったので、警察が真犯人として逮捕したからだ。ジョンパルは「アジョンの鼻血だ」と主張したが、警察には聞いてもらえなかった。
 ジョンパルは写メにも写っていたので、当然アジョンと関係があった。だから鼻血を出しやすいアジョンが彼の服に鼻血をつけたと考えるのは自然なのだけれど、それは観客だからわかることだ。

・解釈

 結局のところ、トジュンが犯人だと証言できる唯一の男は死に、状況証拠的にトジュンより怪しいジョンパルが見つかったことで、トジュンは冤罪扱いになった。

 他のレビューを見てみると、このジョンパルが本当にアジョンを殺した犯人で、トジュンは初めから冤罪だった、という意見もある。けれど廃品回収業の男の証言を真実と取るのが自然であり、映画の文法的にみても、トジュンが犯人だと解釈するべきだと思う。
 つまりこういうことだ。
 我々観客がずっと無罪だと思ってきたトジュンが、最後の最後で実は有罪だとわかった(第一の衝撃)。けれど母が殺人まで犯してそれを隠してしまった(第二の衝撃)。そこへジョンパルが現れ、無罪なのに有罪とされ、逆にトジュンが有罪なのに無罪となってしまった(第三の衝撃)。
 この三段構えの衝撃が、この映画のミソなのである。これがもしジョンパルが真犯人で、トジュンが冤罪だとしたら、ただの母子愛映画で終わってしまう。

 しかし観客からしたら、これは全然正義ではない。真犯人が解放され、無罪の者が捕えられてしまったからだ。無実の証言者の殺害も、まったく明るみに出ない。「正しい」ことが何一つ行われない訳である。
 けれど母は、息子の無事のためなら手段を選ばない。正義も常識も関係ない。母の愛は強い。子どもを守ることが母にとって「正義」であり、それを阻むものは警察だろうが目撃者だろうが関係者だろうが、「悪」なのだ。
 という、理不尽ながら説得力のある主張を、この映画はしたかったのだと思う。

・おまけ

 前回の紹介記事で、「事件の真相は初めから象徴的に提示されている」と書いた。それをちょっと説明してみたい。
 第一の象徴は、トジュンの立ちション。通りの壁にトジュンが立ちションし、母はそれを黙って見ている。用が終わるとトジュンは立ち去り、母はその跡を板切れ(?)で隠す。
 第二の象徴は、ベンツに当て逃げされた後の顛末。ベンツに当て逃げされたトジュンは、親友のジンテと一緒に、ベンツの連中に「復讐」する。が、暴行事件になって警察沙汰になる。そのトジュンを迎えに来た母は、署員に栄養ドリンクを配り、ベンツの弁償を負う。
 二つに共通するのは、息子の不始末を母が引き受け、隠そうとする点。アジョン殺害事件でも、同じことが行われている。

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