「普通でない」母子愛の物語。映画「母なる証明」について。

2014年9月16日火曜日

映画評

t f B! P L
 韓国映画「母なる証明」をDVD鑑賞した。
 2009年の作品だからちょっと古いけれど、けっこう話題になった作品だ。「最後のどんでん返しがすごい」ということで、こちらの記事にも取り上げられている。

・あらすじ

 トジュンは5歳の時の事故以来、知的障害を抱えている。大人になっても母親の保護が必要で、仕事にも就けず、夜は母と一緒のベッドで寝ている。
 母(名前は出ない)はそんなトジュンに過保護に接し、食事の世話から立ちションの後始末までする。トジュンに疎まれても、息子のこととなると見境がなくなる。
 ある夜、そんな二人の住む町で殺人事件が起こる。被害者は女子学生のアジョン。遺体は廃屋の屋上に晒されていた。
 トジュンはその夜、現場付近でアジョンに声をかけていた。その際持っていたゴルフボールを落としてしまったらしく、犯行現場に残った証拠として、トジュンに容疑がかけられてしまう。そして母の目の前で、警察に連行されてしまう。
 トジュンの障害は主に記憶にあり、事件当時のこともはっきり思い出せない。警察の強制的な尋問もあり、トジュンの犯行だと簡単に断定されてしまう。
 母の必死の懇願にも警察は耳を貸さない。ゆえに母は、息子を救う為、たった一人で事件の真相に挑むことになる。

・すごいところ

 一見、普通の母子愛の映画である。
 息子の無実を証明しようとする母が、時に懇願し、時に強引に、時に騙し、時に金を積んででも、関係者から真相を聞き出していく。そして被害者アジョンの抱える闇が明らかになり、その向こうに真犯人の姿が見えてくる。この流れが映画の大半で、観ている私たちは「お母さん頑張れ」と痛々しくも応援している。最後はクリント・イーストウッドの「トゥルークライム」みたいに冤罪が晴れて、めでたしめでたし、となるのを期待している。
 けれど一方で、この母子に対する「何か変だな」という違和感みたいなものも感じている。その違和感は次第に強くなっていく。ちょっとネタバレすると、トジュンは「バカ」と言われるとすぐキレる性格なのだが、その暴力性がちょっと異常なレベルだったり、実は5才のトジュンを母が殺害しようとした過去があるのがわかったり(その結果トジュンに障害が残った)、それ以降の母の息子愛がちょっと常軌を逸していたりと、とにかく「不穏な雰囲気」なのである。

 そして最後の20分くらいだと思うけれど、母の苦労が実り、遂に真犯人に辿り着く。違和感はあっても、やはりトジュンの冤罪は晴れてほしい。何故なら事件の夜のシーンで、トジュンがアジョンを殺していないのは観客にとって明らかだからだ(もしやトジュンが殺したのでは? という疑惑はここで排除されている)。
 そんな期待を込めて観ていると、なんとも驚きの真相が明かされる。この衝撃を未見の人に伝えるのは酷なので、ここでは書かない(旧作で安いので是非レンタルしてみていただきたい)。
 ここへきて、これが「普通」の母子愛の映画でないことに気づく。

 さて、すごいところは、事件の真相は初めから象徴的に提示されている、という点だ。2回目に観て気づくのだけれど、トジュンが立ちションするシーンとか、ベンツに当て逃げされた後の顛末とかに、この殺人事件の構造が明らかにされている。要は、母と子の関係である(気のせいかもしれないけれど)。

 また、ちょっとネタバレになるけれど、真犯人につながる人物が、事件の夜のシーンに一瞬映り込んでいる。知っていて観ると、確かにいるのがわかる。昔一世を風靡した「ツイン・ピークス」の映画版(確か)と同じ手法なのだけれど、これがまたビックリさせられる。
 細かいところまで、よく作りこまれている。

・結末について

 この結末をハッピーエンドと取るかどうか、意見が分かれるところだろう。
 私には何とも判断できない。それを判断するには、この母子にとって幸福とは何かという議論が先になされるべきだと思うからだ。事件が起こっても起こらなくても、この母子はずっと不幸だったのかもしれない。あるいはそれなりに幸福に生きていたのかもしれない。事件を通して、より絆が深まったのかもしれない。
 そんなことをしばらく考えさせられた映画だった。

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