ハロウィンを悪魔崇拝と決めつけるクリスチャンの浅はかさ。

2014年8月5日火曜日

キリスト教信仰

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 ハロウィンを取り上げて「悪魔の祝日だ」と主張するクリスチャンがいる。例によって聖霊派・福音派の方々だ。

 子どもが通う保育園(キリスト教系)でハロウィンパーティーが計画されていると知った母親(クリスチャン)が、保育園に乗り込み、「子どもに悪魔崇拝させるんですか」と詰め寄った。結果、保育園側は「ハロウィン」を取って、ただの「パーティー」にして事なきを得た、という。母親は「ハレルヤ。主の勝利」と満足した様子。
 保育園側が単にトラブルを回避しようとして、「大人の対応」をしたのではないかと私は想像している。まあ、真相はわからない。

 ハロウィンの起源は、ヨーロッパ地方の収穫祭にある。それがアメリカに渡って民間行事となり、ジャック・ランタンとか、魔女の仮装とか、trick or treatとかが後付けされていった、というのが通説である。ヨーロッパでは宗教(キリスト教)との結び付きがあったらしいが、アメリカでは宗教色のないお祭りになっていて、それが日本に輸入され、近年ではハロウィンパーティーを開く日本人も多くなってきている。まだまだメジャーとは言い難いような気がするけれど。

 ジャック・ランタンの禍々しいイメージとか、魔女の衣裳とか、そういうのに悪魔っぽい雰囲気があると言うのだろうか。あるいは「ハロウィン」というホラー映画とか、同名のヘビメタバンドとか、同名のホラー漫画誌とかが、悪いイメージを与えていると言うのだろうか。よくわからない。
 しかしもっとわからないのは、ただの子ども向け仮装パーティーが、なぜ悪魔の祝日とか、悪魔崇拝とかになるのかということだ。

 千歩か一万歩ゆずって、それが実は悪魔崇拝パーティーだったと仮定しよう。当然参加する子どもたちは何も知らない。そこで飲んだり食べたり、ゲームで遊んだり、大人からお菓子を貰ったりして過ごす。時間がくると、ああ楽しかったね、ということでお開きになる。それぞれ親に連れられて帰宅する。
 さて、いったいどこに悪魔崇拝があったのだろうか。知らないうちに悪魔崇拝をさせられていたと言うのだろうか。

 しかし、礼拝とか崇拝とかいう行為には、本人の明確な意図と意志が必要だ。礼拝しようと思って礼拝するのが礼拝なのであって、その意志のない人がたとえ教会の礼拝の中にいたとしても、それはただ「居ただけ」である。だから逆接的に、たとえ悪魔崇拝の場所にいたとしても、その意志がないのなら、崇拝したことにはならないのではないか。
 このことは、イエス・キリストが「霊とまことによる礼拝者」について語る文脈にも支持されている。つまり心からの礼拝が真の礼拝なのであって、そうでない礼拝は礼拝でない、ということだ。

 それに、子どもたちを楽しいパーティーでうまく騙して悪魔崇拝させてやろう、と企む悪魔がいるとしたら、なんともチンケでバカ丸出しな、アホ悪魔ではないか。露骨過ぎて何の工夫もない。まるで映画「ホームアローン」の泥棒コンビみたいだ。人類はそんなアホにしてやられたのだろうか。悪魔を擁護する気はまったくないけれど、もうちょっとマシなイメージを与えてやってもいいような気がする。

 ところで、保育園側の善意と好意によるパーティーの企画に水を差し、趣旨を変えさせて喜ぶ親を、何と言うかご存知だろうか。それは一般的には「モンスターペアレント」と呼ばれる。そして今回のケースは、その更に上をいく「新興宗教型モンスターペアレント」である。
 保育園の皆さんのご苦労が、何らかの形で報われることを蔭ながら願っている。

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