「エンパワード21」に個人的に抱く疑問

2014年8月4日月曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
「エンパワード21」というペンテコステ運動がある。昨年10月に集会が開かれて、聖霊派の教会はずいぶん盛り上がったようである。今年も開かれるようだ。

 私はその中身をよく知らないので、日本語のHPを見てみた。それによると「エンパワード」の目的は、「聖霊から力を受けて」、「信仰が若返る」ことにあるようだ。Renewal Movementとか表現している。どうやら「聖霊のバプテスマ」が中心にあるようだ。

 ところで「信仰が若返る」とはどういうことだろうか。私には全然意味がわからない。HPによると、「元気になる」ことのようだ。けれど、なんで「若返る」と「元気になる」がつながるのだろうか。若くないと元気になれないのだろうか。それと、信仰が「若返って」「元気になる」とはどういうことなのだろうか。それに、なんで信仰が「若返って」「元気に」ならなければならないのだろうか
 けれど、そのへんの説明はない。どうやら彼らの中では、それらが単純につながっているようだ。

 そして、ペンテコステ運動に属するクリスチャンが増えている、とも言っている。その発表によると、世界のクリスチャン人口20億のうち、3割がペンテコステ運動に属しているという。各地域別の統計も出している。けれど、なぜか日本の統計はない。日本で「増えている」という実感は私には正直ないから、是非とも日本の統計的データを見たいのだけれど。

 まあ統計はともかくとして、彼らには信仰が「若返って」「元気になる」ことが重要なようだ。
 けれど「若さ」と「元気」は人間の一側面でしかない。あるいは一時期のことでしかない。他にも「成熟」とか「冷静」とか、「忍耐」とか「自制」とか、人間としての側面は沢山ある。なのに「若くて元気なこと」だけを至上とするのは、だいぶ偏っている。年を取るからこそ、熟練するからこその利点をまったく無視している。
 それに、「若さ」は「脆さ」と「愚かさ」を含んでいる。人間はいつも「元気」ではいられない。そういうことに対する配慮も感じられない。

 確かに、その運動の定義は単純でわかりやすい。「若さ」と「元気」を取り戻せ、という至極シンプルなテーマだ。
 けれど、それだけだ。

 こういうことを書くと、彼らは「幼子の信仰」を持ち出して、「信仰はシンプルが一番だ」とか主張するだろう。けれど、それは論点をずらしているに過ぎない。彼らは信仰を「若さと元気」に限局しているだけだからだ。それは「シンプルな信仰」でなく、「いろいろなものが欠落した信仰」なのである

 それに、人の心はそんな単純にはできていない。物事には単純化した方がいいものと、そうできないものとがある。なのに信仰というベールに被せて、全てをウヤムヤにしようとするのは、はっきり言って愚かなことだ。人間という存在を無視している。

 と、いろいろ好き放題書いてしまったけれど、余裕のある方には是非エンパワードのHPを見ていただいて、ご自分なりに考えてみていただきたいと思う。

QooQ