「エンパワード21」というペンテコステ運動がある。昨年10月に集会が開かれて、聖霊派の教会はずいぶん盛り上がったようである。今年も開かれるようだ。
私はその中身をよく知らないので、日本語のHPを見てみた。それによると「エンパワード」の目的は、「聖霊から力を受けて」、「信仰が若返る」ことにあるようだ。Renewal Movementとか表現している。どうやら「聖霊のバプテスマ」が中心にあるようだ。
ところで「信仰が若返る」とはどういうことだろうか。私には全然意味がわからない。HPによると、「元気になる」ことのようだ。けれど、なんで「若返る」と「元気になる」がつながるのだろうか。若くないと元気になれないのだろうか。それと、信仰が「若返って」「元気になる」とはどういうことなのだろうか。それに、なんで信仰が「若返って」「元気に」ならなければならないのだろうか。
けれど、そのへんの説明はない。どうやら彼らの中では、それらが単純につながっているようだ。
そして、ペンテコステ運動に属するクリスチャンが増えている、とも言っている。その発表によると、世界のクリスチャン人口20億のうち、3割がペンテコステ運動に属しているという。各地域別の統計も出している。けれど、なぜか日本の統計はない。日本で「増えている」という実感は私には正直ないから、是非とも日本の統計的データを見たいのだけれど。
まあ統計はともかくとして、彼らには信仰が「若返って」「元気になる」ことが重要なようだ。
けれど「若さ」と「元気」は人間の一側面でしかない。あるいは一時期のことでしかない。他にも「成熟」とか「冷静」とか、「忍耐」とか「自制」とか、人間としての側面は沢山ある。なのに「若くて元気なこと」だけを至上とするのは、だいぶ偏っている。年を取るからこそ、熟練するからこその利点をまったく無視している。
それに、「若さ」は「脆さ」と「愚かさ」を含んでいる。人間はいつも「元気」ではいられない。そういうことに対する配慮も感じられない。
確かに、その運動の定義は単純でわかりやすい。「若さ」と「元気」を取り戻せ、という至極シンプルなテーマだ。
けれど、それだけだ。
こういうことを書くと、彼らは「幼子の信仰」を持ち出して、「信仰はシンプルが一番だ」とか主張するだろう。けれど、それは論点をずらしているに過ぎない。彼らは信仰を「若さと元気」に限局しているだけだからだ。それは「シンプルな信仰」でなく、「いろいろなものが欠落した信仰」なのである。
それに、人の心はそんな単純にはできていない。物事には単純化した方がいいものと、そうできないものとがある。なのに信仰というベールに被せて、全てをウヤムヤにしようとするのは、はっきり言って愚かなことだ。人間という存在を無視している。
と、いろいろ好き放題書いてしまったけれど、余裕のある方には是非エンパワードのHPを見ていただいて、ご自分なりに考えてみていただきたいと思う。
元気であることにより価値が有るという信仰の姿勢が間違っていますよね。幼子のような信仰とは、文化背景を研究すれば、純粋なことではなく、自分を無にする信仰のことです。そういう信仰に、「より価値が有る」などという視点は不要で無用なのです。
返信削除ペンテコステ運動に属するクリスチャンが海外では増えているのかもしれませんが、日本の統計が出ていないのは日本はそうではないと物語っているとみていいと思います。
返信削除実際にリバイバル新聞はとうに廃刊になり、現在は月刊誌の舟の右側として細々とやっていると聞いています。クリスチャン新聞も百万人の福音も以前ほどではないといい、新興宗教の信者の大幅な減少により、売上が全然になってしまったとはいえるでしょう。
シンプルな信仰心とか元気とか創価学会と同じコンセプトです。エンパワード21を見てみましたが、新興宗教で最も評判の悪い教祖様のオンパレードではありませんか!よくもここまで宗教詐欺師が勢ぞろいしたものと爆笑してしまいました。
私が今所属している教会の牧師も興味があるようで、以前何かの折に話題にしていました。困ったものです。何も知らず、調べようともしない。
返信削除疑ってかかるという事を知らない。
例によって、好き放題・断定的に書かせて頂きます。でも嘘ではありません。
この運動はアメリカ由来の物で、アメリカを中心として各国のとんでもない連中が中枢を占めています。
お金・女性のスキャンダルに事欠かない連中です。
何故、これらの運動が流行るのか?
答えは簡単だと思います。受け取る側から見た話ですが、
まず、興味を持って開けて見るのは「牧師」だという事です。
長年キリスト教をやっていて、1年365日マンネリになって来る。
「日々新しく」という言葉どおりに毎日更新したい。なぜか?
それは、牧会上信者を育成して組織に捧げさせるため(言葉上は皆さんの信仰が、成長が・・・とか何とか言いますが)、目新しい事がないと自分自身もさることながら(説教その他)、信者が盛り上がらない。
それゆえ今までも、聖霊のバプテスマに異言・預言・知恵の言葉・知識の言葉だの、ヤベツの祈りだのセルグループだの、顕現された息子(マニフェスト・サン)にヨエルの軍隊だの、フィージーのリバイバルだトロントリバイバルだのブラウンズビルリバイバルだの、QTだの何だのと枚挙に暇がありません。
ベニーヒンだのビリーグラハムだのフレーソンだのアナコンディアだのケネスコープランドだのケネスへーゲンだのチョーヨンギーだの・・・嫌になって来た。
これらは全て「商材」です。その背後には必ずTEXT等・集会参加=献金・DVD・本など、購入物が存在します。そして、それらを「卸して・商売」をする牧師=宣教団体のための物です。
集団催眠状態です。クリスチャンが嘘をつく筈がない。悪い人はいない。疑う事をしない。それでいて「貴重品はお手元から放さないようにしてください」と
アナウンスしています。
あくまでも聖書の真理に則った正しいキリスト教の中の「新しい風」とか何とか言って、ムーブメントでリバイバルをリバイバルをと叫びます。
特に怪しい(本当に神から来た物かどうか?ほんのわずかの「悪魔の混ぜ物」により変な世界へ誘導される。誘導している人達がいる!)教えや運動は本当に注意が必要です。
所属教会の牧師がよく説教で「リバイバルが来たら・・・・来た時には・・・・大勢の人が教会に来ます・・・その時にそれらの人を養うために今、訓練と準備か必要だ・・・・」と、毎日神の前に祈り・聖書をよく読み・勉強し・訓練を受けて行く事が必要だとのたまっています。
私はいつも思います。果たして、彼らが言うような「リバイバル」と言うものが本当に来るのでしょうか?
今年ビリーグラハムの息子フランクリングラハムが来て、大々的な集会を行って行きました。かつて説教中心だったそのグラハム大会も、今はプロのゴスペルグループや子供向けの集会や、色々盛りだくさんだったようです。
教会も積極的に参加を推進していました。
しかし、このフランクリングラハムは、数年前に当時のイラクとの紛争時に「必要であれば大量破壊兵器を用いて敵を破滅させる」や「イスラム教の神はユダヤ・キリスト教の神とは違って、邪悪だ」とか、戦争を正当化し、しかも一般アラブ人さえ巻き込むことなのに、平然と集会の最中に言ってのける男です。まあ、アメリカの原理主義的教会はおかしな教会ばかりですから、我々日本人には理解できないでしょうが。
問題は、そんな男の集会に平然と参加を推奨している牧師の事です。
見分けが無い・考えない・反対意見を聞かない・自分はただしいいと思っている・・・本当にあきれて物も言えないです。
例によって、NCC系の教会は、全国揃って反対声明を出している所が多かったですがね。
エンパワードからすっかり脱線しました。
弟子訓練・セルチャーチ・小グループ・トロントブレッシング・ベニーヒン・力の伝道・繁栄の神学・・・今までどのくらいのムーブメントが新興宗教の業界を駆け回っていったことでしょうか。そのたびに信者たちは翻弄されました。ある者は全財産をとられ、ある者は会社を退職し、ある者は学歴を犠牲にし、ある者は・・・もうたくさんです!
返信削除新興宗教系プロテスタントではこの手のムーブメントは金儲けの手段として常にあります。そしてこの手のムーブメントをどうしても必要とするのです。それはなぜでしょうか?答えは「選挙」です。
創価学会は地方選挙でも国政選挙でもとにかく大イベントで、信者は票集めに奔走します。選挙は彼らにとって時間とエネルギーを思いっきりそそぎこむイベントで、精神が高揚するものなのです。
選挙は信者がみんなで心を一つにして、学会候補の○○さんを当選させると意気込んでやれますし、恋の花咲く遊説隊といって選挙カーにのってウグイス嬢のお嬢さんと知り合えるチャンスもあります。
でも新興宗教系プロテスタントは政治政党を持ちませんので、一つの目標に向かって一致団結する機会は人工的に作り出さないとありません。
宗教というものは基本的には常に大いなるマンネリです。新興宗教はただ騒いでいるだけで教義に深みもないので、宗教活動だけではすぐに飽きてしまいます。信者寿命も短いですし、信者が洗脳状態にあるうちに時間も金も労働力もしぼりとって、しっかり金儲けせにゃあというところではないかと思います。