簡単に想像できてしまう、「霊性の高い人」の「主からの啓示」

2014年8月10日日曜日

「霊性」問題

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「霊性の高さ」にこだわるクリスチャンの問題について2回目。

 自分は「霊性が高い」と主張するクリスチャンのアピールポイントの一つとして、「主からの啓示」がある。こんなふうに言う。

「祈っていたら、主からこんな啓示をいただいた」
「この時事問題には、こういう深い霊的意味があると教えられた」
「こんな夢を見たけれど、こんな解き明かしが与えられた」

 といった具合だ。
 その背景には、「そんなふうに神様から直接いろいろな啓示を受ける自分は、霊性が高いのだ」「他のクリスチャンにはわからない神の奥義を私は知っているのだ」「だから自分は特別なのだ」というような心理がある。もちろんそれを明言することはない。自分で認識さえしていないかもしれない。

 それを否定したり、疑問を投げかけたりすると、例によって「あなたは霊性が違う(低い)から、言ってもわからないでしょう」というような詐欺師的な問答に持ち込まれる。

 では実際に、そういう人たちは、どれだけすごい「主からの啓示」を受けているのだろうか。一例を挙げてみる。

「イスラエルを取り巻く状況が逼迫している。これは明らかに終末のはじまりだ」
「夜、霊の戦いのため〇〇神社に入ったら、非常に禍々しく重苦しい雰囲気だった。あそこは明らかに悪霊の棲家になっている」
「天使の羽が降ってくる夢を見た。いつもは白い羽が、今回は赤かった。その理由を主に尋ね求めていたら、赤は十字架の血潮を現しているのだと悟った」

 しかしこれらの「啓示」は、「主からの奥義」にしては、どれも人間の想像の範囲内にある。それもすぐに思いつくようなことばかりだ。

「イスラエルの危機=終末」
「神社=悪魔の棲家」
「赤=十字架の血潮」

 これくらい、クリスチャンなら誰だって連想する。わざわざ啓示される必要などない。これが主からの秘密の啓示だとしたら、神様は私たち人間のことを、ちっとも想像力の働かないバカだと思っておられることになる。

 ためしに、彼らの言う「主からの啓示」を検証してみることを勧める。どれも想定内のことばかりだからだ。誰も予想できないような突飛な内容など、まずお目にかかれない。

 くわえて、「神社=悪魔の棲家」のところでわかるように、彼らの判断は、「見た目」に大きく影響されている。夜の静まり返った神社に入れば、なんとなく不吉な感情を抱くのは当たり前ではないか。
 ハロウィンの記事に対して「ハロウィンはどう見ても暗いお祭りです」というコメントがあったけれど、それだって単なるイメージの問題だ。どう見えるか、ということで判断している。そしてそれは、「人はうわべを見るが主は心を見る」という聖書箇所に当てはまる「人間らしい視点」だ。「神の視点」ではない。そして神の視点でないことが、「神からの啓示」であるはずがない

 というわけで、「これは主からの啓示です」と言うクリスチャンにも警戒が必要だと私は思う。鵜呑みにする前に、その「啓示」を徹底的に検証すべきだ。
 その検証の第一歩は、「簡単に想像できることでないかどうか」だ。そして残念ながら、彼らが言う「主からの啓示」の大部分は、ここで落とされる。
 ずいぶんと「高い」霊性である。

追記)
「神社=悪魔の棲家」は、特に聖霊派クリスチャンにとって自然な連想であろうと思うけれど、あくまで連想しやすい事柄の一例として挙げたまでである。そこに本当に悪魔が住んでいるかどうかは、また別の議論があると思う。

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