イスラエル人とパレスチナ人の「イメージ」から起こる問題について

2014年8月2日土曜日

キリスト教信仰 時事問題

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 京都大学教授の岡真理さんがガザおよびパレスチナについて書いたMLが公開されている。今回、なぜハマスがイスラエルの停戦案を受け入れなかったかのか、背景を含めて解説されていてわかりやすい。
 それとは別に、ガザ地区が置かれた状況についての講演の動画もある。
 
 知らなかったことばかりなので、こういう情報を発信していただいて私は感謝している。
 
 イスラエルとガザ地区、パレスチナ人の現状をどう考えるか、どう位置づけるかは、現代のクリスチャンにとって大切な問題だと思う。もちろん遠い国の関係ない出来事とすることもできる。けれどそこは聖書の舞台であり、その古い歴史を私たちクリスチャンは知っている。また旧約においてイスラエル民族が神の民として扱われてきたことも知っている。だから彼らの動向は、決して他人事ではないと私自身は思う。
 
「イメージ」に左右されて物事を判断してしまっている、ということが私たちにはある。
 たとえば聖書を見ると、イスラエル人は「神の民」として登場する。彼らは多くの失敗をするけれど、モーセとかダビデとか、英雄的な活躍をする人物がいる。だから現在のイスラエル国家にもそういうイメージが重なって、正義の存在、神の側の存在、というような印象を、私たちは意識的にか無意識的にか持っている(と思う)。
 一方でパレスチナ人は、語源的には「ペリシテ人」ということもあって、どうも聖書の時代からの偶像崇拝者、イスラエルの敵、しいては神の敵、というようなイメージが重なってしまうと思う(もちろんそれは誤報だ。現在のパレスチナ人はアラブ系であって、聖書の時代のペリシテ人の末裔ではない)。
 けれど現在、パレスチナ人はイスラエルと敵対関係にある訳だから、前述の「イスラエルの敵=神の敵」が想起されやすい。酷くなると「邪悪な存在」、「排除すべき存在」、「滅ぼすべき存在」などと思われかねない。
 それにアラブ系というだけで近年のテロリズムと結び付けられることも多く、いわれのない差別を受けることもしばしばあると聞く。

 現在キリスト教界(の一部)に蔓延しつつある「ユダヤ主義」には、そういうイメージの影響が関係していると思う。すなわち現存するイスラエル国家を盲目的に擁護し、その敵であるパレスチナ人を事実に反して「悪」と決めつける、という影響だ。
 しかしこの考え方は、イメージ優先で事実に反しているというだけでなく、新約聖書が言う「新しい契約」にも反している。福音はあまねく全人類に語られるべきだし、イエス・キリストはユダヤ人の為だけでなく、全人類の為に十字架にかかられたのだ。そこにはパレスチナ人も当然含まれている。だからイスラエル人もパレスチナ人も、日本人も何人も、神の民なのである。

 そういう新約聖書的視点、クリスチャンなら当然持っているべき視点が、欠落している人が少なくない。そういう人は霊的にどうだとか、神がこう語られたとか、「イエス様とデート♪」とか言う前に、もう一度基本から学び直すべきではないかと私は思う(かくいう私も学ぶ必要があるけれど)。

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