昨今、「弟子訓練」によって訓練されるクリスチャンが(一部で)増えている。けれど、その「訓練」によって得られる成長は、聖書が言う成長とは違う、ということを前回書いた。
今回はホームスクール、チャーチスクールでの「成長」について書きたい。特に後者についてだ。
チャーチスクール推進派牧師に言わせると、チャーチスクールは、子どもたちの「霊的成長」にとって重要な位置を占めている。幼いうちから、日曜は教会、平日は教会が運営するスクール、土曜は教会奉仕、という具合に「教会三昧」で過ごすなら、子どもは目覚ましい霊的成長を遂げる、という。そこに家庭の協力もあって、たとえば家での「ディボーション」とか、見るテレビ番組とかが監督されるなら、子どもはまさに24時間「主の教育」漬けという訳だ。
そういう徹底教育の結果、子どもたちはダニエルのような優秀さを身に着け、「この世」に大きなインパクトを与えられるようになる、そして彼らの世代が日本を変えていくのだ、というのが牧師の「ヴィジョン」だ。
その是非は別として、この構造は前回書いた「弟子訓練」と同じだ。もちろんスクールだから教師と生徒という関係だけれど、実情は師弟関係である。師匠が弟子をみっちり訓練する。それも平日も週末も関係なく付きっきりになるから、時間量で言えば、一般社会人が受ける「弟子訓練」より圧倒的に長い。そこまで徹底するなら、一定の成果も得られるというものだ。逆に得られなければおかしいだろう。
そういう状況下、児童期から少年期、そして青年期にかけて、子どもが成長していく。牧師や教師らはそれを見て、「霊的成長」を実感する。しかし冷静に考えてみれば、子どもは小学校から高校にかけて、かなり大きく成長するものだ。身体はもちろん、思考力も判断力も一人前になっていく。そのあたりは公立学校かチャーチスクールかの差なんて、ほとんどないだろう。
そして思春期に入ると、誰でも人目を気にするようになる。自分がどう見られているか、どう振る舞うべきかと考えるようになる。チャーチスクールの生徒で言えば、どういう言行が信仰的に見られるか、どうすれば教師や親を満足させられるか、と少なからず考えるようになる。だから教師や親から見た「霊的成長」が、本当にその子の「霊的成長」なのかどうか、わからないはずだ。
子どもを霊的に敏感に育てたい、と張り切る親がいるけれど、それにも同じことが言える。成長した子どもが見せる「霊的敏感さ」に、作為が含まれていないとどうして言えるだろうか。
もちろん、すべての子どもがウソをついていると言いたいのではない。純粋に信仰に生きたいという子もいるだろう。しかし子どもにしても大人にしても、人の心とは、単純に白か黒かに分かれるものではない。誰もが正しい部分と、そうでない部分とを持っている。信仰的な人にも真実でない部分があるし、普段不信仰と見られる人にも真実な部分がある。
それは人として当たり前のことだ。しかし、日曜は教会、平日はチャーチスクール、土曜も教会、家に帰れば親が聖書の話、という徹底した状況下で暮らすとなると、多くの子は自分の暗部をさらけ出すことができなくなる。それをひた隠して、立派な信仰の持ち主であるように見せようとする。そうしなければ、生きられないのだ。
その結果、キリスト教界で生きていく分には不足のない青年へと、成長していくかもしれない。しかしその「成長」が人間として健全なものなのかどうかは、議論の余地があるだろうと思う。
以前にも投稿させて頂きましたが、我が家では3人の子供たちを、当時所属していました教会が新しく始めたチャーチスクールに入れました。
返信削除所謂1期生ですが、態度が悪かったのか言うことを聞かなかったのか、その辺の事情で結果的に自主退学をして、ホームスクールとなりました。
牧師はホームスクールには懐疑的で、「囲ってどうする?」と言われました。結局公立の普通の学校に行けと言う事なのでしょう?
ご自分の子供たちは普通の公立の学校を出しておいて、結局は自分の夢の実現に教会員を利用しているだけ。
そこは他にも老人介護施設もやりはじめ、母を入所させるように勧められて入れまして大変お世話になりましたが、1昨年容態が悪くなり、別の病院付属の(長年病気でした)施設に移しました。しかし昨年なくなりました。
件の教会施設にお礼の連絡をしましたがなしのつぶて………。なんと言う対応でしょう!
人間として最低です。
しかも例のスクールは、女子ジャンプで有名になった、T ・Sさんが所属していた学校なのです。
あまり書くと何処から伝わるかわかりませんので、この辺で。
しかしながら、1年365日教会漬けと言うのは、子どもにとって最悪だと思います。自分から願ったのであれば良いでしょうが、親やましてや牧師だの教会関係者など、神に造られた一人の人格を一体何と思っているのでしょう?
いずれ申し開きしなければならない時が来ると思います。