"Fight Church"について思うこと

2014年6月27日金曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 "Fight Church”というアメリカのドキュメンタリー映画がある。
 
 「戦う教会」とでも訳すのだろうけれど、予告編を見る限り、戦うのは教会でなく牧師だ。筋肉ムキムキのマッチョ牧師たちが、総合格闘技MMAに挑戦し、教会では「戦いの教え」を語る。
 

 Fox Newsの記事によると、この映画は、「自らを愛するように隣人を愛しながら、その顔に思いきり膝蹴りを食らわせることができるのか?」と問いかけている、とのこと。
 
 これだけ聞くと、なんだかセンセーショナルなテーマな感じがする。アメリカでは賛否両論別れているようだ。
 けれど私がこの疑問に対して単純に思うのは、いやいや、単なるスポーツでしょ、ということだ。総合格闘技を楽しむ牧師や教会が少なからずあって、牧師とかクリスチャンとかいう肩書を前面に出して活動している、というだけの話ではないのだろうか。
 スポーツをする以上、あくまでそのルールに則ってプレイしなければならない。総合格闘技ならキックやパンチを相手に当ててポイントを稼ぐのがルールな訳で、隣人愛とか聖書とか、そもそも関係ないような気がする。これが何かの問題になるのなら、じゃあアメフトが好きな牧師がアメフトの試合に出たら「愛する隣人にタックルを食らわせられるのか?」とかいう話になるのだろうか。
 公式サイトが言う「宗教と暴力の結びつき」というのは、かなり大袈裟な気がしてならない。
 
 もっとも、制作者側はそういう問題提起として制作した訳でなく、あくまで客観的事実を語っているだけらしいけれど。
 
 この映画を制作したブライアン・ストーケル監督によると、総合格闘技を「男性向けの教会活動の一環」として取り入れている教会は多いという。教会内で教室を開いたり、観戦イベントを開いたり、敷地内で実際に試合をしたりしているそうだ。
 日本の教会にも、空手教室とかサッカー教室とかを開いているところがある。まあそれで地域に貢献できて、教会会計も潤うなら、問題ないのではないか。
 
 ただ私が問題に思うのは、予告編で一人の牧師が言う言葉だ。「キリスト教主流派の教えは、男性を女性化させるものだ
 確かに、特に日本の教会は男女比で言うと女性の方が多く、傾向として女性的文化が目立つのはあると思う。けれどそれを理由に「男らしさ」が殊更に強調され、逞しい男でなければならない、戦わなければならない、という体育会系なメッセージばかりになるとしたら、バランスを欠いている。礼拝の説教で「戦い」ばかりが語られたら、信徒としてはたまったものではない。
 教会は「癒しと回復」だけの場所でなく、「逞しさと戦い」だけの場所でもない。両者が程よく共存しているのが理想だろう。
 
 もっとも、日本の教会に「男性向けの活動」が少ないのは、個人的には頷ける。その意味で、格闘技教室とか観戦イベントとかがあるのは楽しいかもしれない。まあ、楽しいから教会に行くって訳でもないけれど。
 
追記)
 ちなみに、総合格闘技の試合や練習以外で、愛する隣人に膝蹴りを入れるのはもちろん許されない。しかし残念ながら、カルト化教会では許されてしまう。

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