ホームスクールの究極的な目的は、親がその子の教育の責任を持ち、最善と思われる行動を取る、という決意にあると思う。そしてその結果、公立の学校に通わせるという選択になることもあれば、ある期間をメドに、家庭で親が学習をみるという選択にもなる(これがいわゆるホームスクールという形態だ)。厳しすぎるのでなく、甘すぎるのでもなく、その子にとっての最善を常に検討し模索するというその姿勢は、私は良いものだと思う。
では何が問題かと言うと、一つは、教育の全期間をホームスクール形態で過ごさせると初めから決めていて、変更の余地がないという姿勢にある。それはホームスクール至上主義、あるいは公教育完全否定主義とでも言うのだろう。初めから公教育を悪とし、有害とし、子どもを堕落させる害毒に満ちているとする。一方でホームスクールは神の召しであり、神が一緒にいるから親が不十分でも大丈夫で、かえって最高の教育を施す唯一の方法だ、と信じている。
一つのことを堅く信じて疑わない姿勢そのもは大したものかもしれない。けれど、そこに何の変更の余地もないというのは、なんだか窮屈だし偏狭だ。信仰とも違う。
それに、ホームスクールが最高の教育だという保証はどこにもない。実際に18年間か22年間やってみないとわからない。「そこは信仰だ、疑ってはいけない」というのは敬虔な発言に聞こえるけれど、話のすり替えでしかない。べつに疑うとかでなく、「これでいいのだろうか」「もっと良い方法はないのだろうか」といつも検討すべきだという話だからだ。
だいいち、そこには子どもの一生が掛かっている。親なら安易な選択はできないはずだ。
ホームスクールが困難になる一つの例を挙げると、学習面がある。中学校後半から高校にかけて、学習は明らかに高度になる。普通なら両親だけでは対応しきれない。父親が日中いない家庭も多い。それで通信教育を利用するにしても、モチベーションの問題もあるし、理解力の問題もある。進学の問題もある。それらの問題を全て解決できるケースは少ない。それに解決できたとしても、それが最善とは限らない。
「勉強は二の次、信仰が大事だ」と言う理屈で学習面を軽視するのは、子どもの可能性を狭めるだけだ。基礎的学力がないと、聖書もしっかり読めない。すると結局のところ、信仰さえ成長できないことになる。
そういう諸々を考えると、公教育を利用するというのも十分にあり得る、効率的な、親にとって無理のない選択肢だということがわかる(だから公教育が絶対だという訳ではない)。なのにあくまでホームスクールに拘り、その形態を維持することに固執し、何が何でも公教育を排除するのが最優先なのだとしたら、それはもはや子どもの為というより、親のエゴでしかない。
そしてその教育は、子どもの為でなく、親の為のものだ。
はじめまして。いつも拝見していろいろ考えさせられております。
返信削除みなさんはご存じないかもしれませんが、プロフットボールNFLにホームスクールで育ったという選手がいました。昨年シーズン途中でカットされてその後は消息を聞きません。デンバー・ブロンコス、ニューヨーク・ジェッツにいたティム・ティーボゥという選手です。
彼の登場までホームスクールというものを知りませんでした。
たしかに公教育を否定して独自の教育を望むのは親としては当然かもしれません。しかし人間は一人では生きられません。さまざまな人たちとかかわりをもち、いろんな葛藤やぶつかり合いを経験してみえてくるものもあります。
いくら教会の信仰が大事だといっても、子どもの可能性を、学習面を軽視するのは信仰以前に親のエゴだと思うのは、わたしだけでしょうか。
チャーチスクールやホームスクールは親の自己満足にすぎません。キリスト教の教育を受けたいなら、伝統宗教が明治時代に設立したミッションスクールに幼稚園や小学校からお受験して入るほうが、コストパフォーマンスからみても賢明だと思います。
返信削除現在CSやHSでわが子を教育している親は、青山や聖心をお受験するために子供を塾に通わせて必死になっている親をバカにしています。「青山がなんだ。聖心がなんだ。」といって。子供がまだ勉強をしている年代ならいいでしょう。でも物心ともに多大な苦労をしてお受験をして、初等科から青山や聖心に入れて、エスカレーター式に大学まで出た子供は、就職するときに何の問題もありません。しかしCSやHSはどうでしょうか?大学はありません。行くとしたらアメリカの新興宗教系の団体が運営している大学で、とれる資格は新興宗教の聖職者の資格くらいです。アイビーリーグ等の有名大学はともかくとしても、アメリカの大学はかなり怪しげなのが多いと企業の採用担当者はよくわかっていますから、新興宗教系の団体が運営する無名の大学を出ても学歴にはなりません。よって就職といっても新興宗教系の企業および団体か、教団の職員か聖職者になるしかないのです。一般企業に勤務しょうとしても世間一般では、そんな大学でとった学士号は何の価値もありません。もっとも新興宗教のほうで「一般企業だと?世の仕事は肉的だからそんな企業に勤務するなど愚の骨頂というでしょうが。
戦前はかなり自由だったのでしょうが、こんなことができたのは資産家か芸術家のような特異な階層の人たちだけで、会社員の家ではたとえしたいと思ったとしてもほぼ不可能であったと思われます。
返信削除現代においてCSやHSを支持する人たちは芸術家ではなく、ほとんどは会社員ではないでしょうか。会社員の家は資産家ではないことがほとんどで、普通教育を受けさせなかったら子供の人生はもうおしまいです。
フランスでもカルト認定の項目のところにCSやHSに該当するようなものがあります。子供を新興宗教の業界に死ぬまで監禁するために、普通教育をあえて受けさせないのは児童虐待です。
ちなみにこういう教育をやっている教会に関して非常に興味深い事実があります。教祖や牧師の子供で、成人するまでCSやHSで教育を受けたという人は数えるほどしか存在しないという事実を覚えておいていただきたいと思います。彼らが成人してからCSやHSを始める教会がよくあると付け加えておきます。
本当に「親のエゴ」ですね。
返信削除それしかない。他の方法は世的で不信仰だから、と。それに正当性を持たせるような理論や知識まで登場して、武装させる。世に敵対させる。
実は、このCS &HSムーブメントを日本国内で推進したキリスト教系のある団体の創設者であり、今も代表者である方は、知人なのです。それゆえ大きな声では言えません。
実際、その方の運動と信仰に心酔した事による影響が大きくて、家内も子供たちをそう言う道に進ませたのです。
元々メディア関係に居られたので、渡米後、向こうで盛んなこの運動を日本に導入するために、様々な分野の方たちに取り入り、精力的に活動しています。
他の部分にコメントいたしましたが、私達は今、CS& HS を卒業。子どもたちも大学、高校、中学と進む事が出来ましたが、親は本当にしっかりと子供たちの事を考えて行動しないと、大変な目に遭います。
経済力のある実業家や資産家や医者でもない限り、自分で子どもを教育するなど、笑止千万です。
しかしながら、ファンダメンタリズムの中毒になると、周りが見えなくなります。その主義主張に浮かされ、お花畑が見え、全て「この世がこの世が」「クリスチャンはクリスチャンは」と言う病気になります。社会性が消失し、何時も二心で生きて行かなければならない事になります。
人間社会で生きて行く者として、もう二度と御免被ります。