教会のカルト化を防ぐためのヒント

2014年5月16日金曜日

カルト問題

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 キリスト教会のいわゆる「カルト化」が、問題視されるようになってきている。問題提起する声も、まだまだ小さいけれど、徐々に増えてきている。この流れは歓迎すべきだと思う。

 けれど、「じゃあどうしたらいいか」という対策については、なかなか明確になっていない。私自身もそうだ。このブログでもいろいろ問題提起してきたけれど、どうしたらいいかと考え始めると、霧の中をさまようことになる。
 
 日本の「カルト化教会」の現状を具体的に知るのは難しいだろう。現在、どれくらいの教会がそういう状態に陥っているのか、あるいは危険性が高いのか、あるいは将来そうなり得るのか? 日本中の教会を片っ端から調べて回る訳にはいかないから、全容をつかむことはできないだろう。それにカルト化している教会は、外から見てそうだとわかるものでもない。

 しかし、カルト化教会の共通点みたいなものは、だんだん明らかになってきている。今回はその共通点の中から、私が特に同意している一項目を挙げてみたい。このことで、わずかでもカルト化防止対策のヒントが見えてきたらいいと思う。
 
■共通点:その牧師を指導する権威者がいない
 
 これは単立教会の宿命みたいなものかもしれない。
 何の後ろ楯もなく、支援もなく、牧師一人で開拓した単立教会というのは、いわゆる自営業型教会と言える。当然、その牧師をあれこれ指導する権威者はいなかった(助言をくれる先輩や仲間はいたかもしれない)し、今後も現れない。
 苦労して教会を開拓したこと自体は素晴らしいし、本当に頭が下がる。けれど、指導者がいないという状況は、そして全ての決定権が牧師に集中するという状況は、牧師が独断で好き勝手にやりだすという危険性を大いに孕んでいる。そしてそうなった場合、止めるものが何もない。最初はわずかだった逸脱が、どんどんエスカレートして、大きくなってしまう。やがて聖書を逸脱し、常識を逸脱し、人の道を逸脱するようになる。最後は逸脱が過ぎて不祥事をやらかし、それが発覚して教会ごと崩壊する。
 これは、カルト化教会のわかりやすい典型例だ。
 
 けれど、じゃあ単立教会はダメで、教団教派に属していれば大丈夫かとういうと、決してそんなことはない。
 ここで私が書いてる「指導する権威者がいない」というのは、形式的な意味でではない。たとえ牧師を指導する立場の人間がシステム上いたとしても、それは何の保証にもならない。牧師がその指導を聞き入れないとか、無視しても通ってしまうとか、システムがちゃんと機能していないとかであるなら、その指導はないも同然だからだ。
 
 たとえばある単立教会の牧師は、内外の有名牧師や宣教師を指して、「彼らは自分のメンターだ。私は必要に応じて彼らから指導を受けている」と言っていた。要するに、自分はちゃんと偉い人から指導を受けているんだぞ、というアピールをしていた。
 けれどその「メンター」とやらが来るのは、年に1回とか数か月に1回とかだ。普段の牧師や教会の様子については何も知らない。ただ来た時に、牧師のみから話を聞かされるだけだ。
 だからそこに本当はどんな問題があるかとか、信徒らが本当はどう思っているかとか、そういうことはメンターの耳にはいっさい入らない。それで、一体どんな指導ができるのだろうか
 
 牧師を指導するには、その人格やら能力やらといった諸々をある程度正確に把握していなければならないし、どんな教会を形成しているか、ちゃんと見ていなければならない。間違っていることは間違っていると、ハッキリ言えなければならない。そしてそれを改めさせる実行力が、なければならない。
 
 つまり、構造的にその牧師に「上の人間」がいるかどうかが重要なのではなく、その牧師が素直に「はい」と従える、権威があって良識もある人間がいるかどうかということだ。
 
 人間とは弱いもので、牧師も例外ではない。自制にも限界がある。その自制が足りない時、確実に自分を止めてくれるブレーキ役がいるかいないかでは、結果は大きく異なる。
 教会のカルト化を防ぐには、まずは牧師の逸脱を防がなければならない。しかし、どうやって防ぐのか。それはまた別の話であろう。

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