運命によって欠点を直される幸い(与沢翼氏の「ご報告」を読んで)

2014年4月30日水曜日

生き方について思うこと

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 与沢翼氏が、自身のブログに掲載した「ご報告」が、主にネットで話題になっている。私も読んでみた。
 本人が公式に言うのだから事実だと思うけれど、どうやら事業の経営に失敗してしまったようだ。それを「反省」しての、今回の発表に至ったらしい。
 
 与沢氏の顔と名前は知っていたけれど、どんな人で、どんな事業をしているのか、私は全然知らない。秒速で何億稼ぐ、みたいな本を出しているのは電車の宙吊り広告で見て知っていたけれど、まったく興味がなかった。だから今回の件に直接、私が言及することは何もない。
 
 ただ私が読んで感銘を受けたのは、与沢氏が「ご報告」の中で引用している、ラ・ロシュフコーの言葉だ。
 
運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる」(ラ・ロシュフコー「箴言集」より)
 
 頑として直らない自分の性格的欠点は、人生の中で否応なく起こる不測の、絶体絶命の、悲惨な、過酷な出来事を通してでしか改められない。そういう意味であろう。
 与沢氏にとって今回の経営破綻は、そのどうにも抗えない「運命」となったようだ(その経営破綻が偶然だったとか、運が悪かったからだとかいう意味ではない)。なぜなら同記事の中で、
 
「もはや物や金、見栄、プライドに対する執着を完全に消失しています。
 ロールスロイスを売った時、自分の中で、これまで絶対に正しいと考えていた価値観が雪崩のように崩壊していきました。」
 
 と書いているからだ。今回の件が起きなければ、自身の中のいわゆる物欲は破壊できなかった、という意味だと思う。そしてそれは、「不幸中の幸いなのかもしれません」と本人が言っている通り、決して悪いことではなかったのだろう。
 
 このことは真理を含んでいるように思う。ダビデも詩篇の中で言っている。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」(詩篇119編71節・新改訳)
 私自身、教会(というより牧師)を通して、嬉しからぬ事態に遭遇したことがある。それまでの人生とか信仰の在り方とかが、全て否定されたような経験だった。だから与沢氏の言わんとすることが、何となくわかるつもりでいる。
 そしてその経験は、与沢氏やダビデ王と同様、私にとっても決して悪いことではなかった。
 
 この「運命」に遭遇してもなお、その欠点を改められないとしたら、それこそが真の不幸なのではないだろうか。反省できること、謝れること、自分の間違いを認めて改められることは、良いことだ。とてつもなく良いことだ。そしてそれは人間の素晴らしさの一つだと私は思う。
 
 

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