「現代のノア」を気取るクリスチャンについて思うこと

2014年3月23日日曜日

「終末」に関する問題

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 極端な終末思想を持つクリスチャンや教会がある。彼らは終末の到来を危機感をもって語る。そしれそれがすぐにでも起こるから、備えなければならないと警告する。

 その姿勢そのものは間違っていない。私たちクリスチャンはおそらく誰もが、いつ終末が訪れても神の前に悔いることのない生き方をしていたいと願っている(もちろん、まったく罪がないとか失敗がないとかいう意味ではない)。

 しかしそういう極端な終末思想の中には、あきらかに排他的な選民思想が含まれている。自分たちは真実を知る数少ない、特別なクリスチャンであり、他のすべてのクリスチャンや教会らは、そのことに「目覚めていない」。だからそれが訪れた時、自分たちは救われるが、他のすべては過酷な状況に置かれて泣きをみることになる、という。
 つまり、自分たちを旧約聖書のノアだと思っているのだ。

 ノアは神から、箱舟を作るように命じられる。神は地上の生き物をすべて滅ぼすことを計画したけれど、正しい人であったノアとその家族、そして全動物をつがいで生き残らせようと考えたからだ。はたしてそれは実現して、神を敬わない、そしてノアの言うことを信じない全ての人々は、洪水に飲み込まれた。

 終末思想のクリスチャンらは、それと同じようなことが近々起こると考えている。大患難時代が訪れたとき、「備えていた」自分たちは救われるが、自分たちの警告を無視した人々は苦しめられる、と。
 しかし彼らは一体、どれだけ周囲に警告しているのだろうか。どれだけ危機感を持ち、同胞に対してその危機を語っているだろうか。私が知る限り、彼らは教会内でまことしやかに語っているだけだ。そして自分たちは特別だと、ひそかに自慢しているだけだ。
 しかしそれはかなり排他的、優越的、かつ根拠のない選民思想でしかない。自分たちは神と特別に親密で、神から直接的に真理を解き明かされていて、しかしその真理は万民が受け入れられるものではないと思い込んでいる。他の可能性について考慮していない。つまり、自分たちが間違えてる、勘違いしているという可能性については。

 彼らは「今年か来年は要注意だ」と言う(つまり2014年と2015年のことだ)。しかし数年前に、まったく同じセリフを言っていたクリスチャンらがいた。彼らがどうなったか私は知っているので、特にこういう極端な終末思想について、問題視しているのである。

「現代のノア」を気取るのは勝手だけれど、それが間違っていた場合のこともよくよく考えるべきだ。でないと、失うものがとてつもなく大きくなってしまう。

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