それは神のペースか、誰かのペースか。牧師に虐待された「彼ら」へのメッセージ。

2014年2月5日水曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 かなりの時間を捧げてキリスト教会に仕え、牧師に仕える信徒がいる。
 彼らは日曜や水曜だけ教会にくるのでなく、フルタイムかそれに近い頻度で教会で働いている。彼らは「スタッフ」とか「献身者」とか、「インターン」とか「伝道師」とか、「神学生」とか呼ばれる。その勤め先は教会である。彼らは教会から幾らかの給料をもらったり、あるいは教会に養ってもらって生計を立てている。
 彼らは24時間365日、神様に仕えて生きていける「特権」を与えられている、と評されもする。そしてそれは基本的に間違いでない。しかし、大きく間違えてしまっているケースもある。牧師に信仰の名のもとに虐待されているケースである。

 私は彼らの気持ちが痛いほどわかる。だから今回は彼らに向けて書きたいと思う。
 ところで「彼ら」と言ってもその呼び名は、上記の通りいろいろである。だから何と言ったらいいかわからない。ここでは上記のような状況にある全ての人を、この「彼ら」に含めたいと思う。

・「彼ら」へ
 あなたは「神様の為に」という一心で仕えてきた。あなたが仕えてきたのは、あくまで神ご自身である。しかし見えるところは、牧師の言うことに従って働いてきた。牧師は教会のリーダーだし、あなたを導く人間だし、神の言葉を預かる人でもあるからだ。その牧師に逆らうことは、神に逆らうことに等しい(とあなたは信じている)。だから牧師の一言一言に、神からのメッセージを感じ取って、信じて、あなたはそれに従ってきた。
 その結果がどうであるかは、実はあまり重要ではなかった。あなたにとって最も重要で最もわかりやすいのは、神に仕えているかどうかの一点に尽きるからだ。

 あなたにとって人生とは訓練である。生涯をかけて、自分を捨てて神に従うことを学び、あらゆる不都合の中で「はい」と答えることを学ばなければならない。また失敗することは信仰の足りなさの現れである。だから失敗することで牧師に叱責され、罵倒されるのは当然のことだ。そしてそれを通して「成長」し、決して失敗しない「ダニエルのような優秀さ」を身に付けることが課題とされている。だからあなたがそのように「成長」できるよう、牧師は「心を鬼にして」「やむなく」あなたを叱責するのである(とあなたはは信じてきた)。

 例えばあなたは、牧師からいろいろな仕事を割り当てられてきた。それらを終わらせる為には、昼も夜も働かなければならなかった。しかも自分のペースで働けない。突然牧師に呼ばれ、ミーティングへの参加を強制されたり、別の仕事を最優先でしなければならなくなったりする。しかし当の牧師本人はミーティングに大幅に遅れたり、来なかったりする。あなたは頼まれた仕事は期限内に絶対に終わらせなければならない。けれど牧師は、どれだけ仕事が遅れても、すっぽかしても、誰からも責められない。

 しかし、それは仕方のないことなのだ。牧師は「神の御心」や、神からの「急な要請」を敏感にキャッチしているから、それ以前の仕事が終わっていなくても、新しいことに向かわなければならないからだ。牧師がやり残した仕事は、あなたがやるしかない。

 神は忙しい方なのだ。絶えず新しい何かを提案し、仕事を作り、愛する者(あなた)を忙しくさせる。しかしそれこそが、「神の愛」なのだ。あなたが「成長」できるよう、わざとあなたのペースを乱し、混乱させ、疲れさせ、途方に暮れさせる。

 しかし、そんな風にあなたが信じてきたことのほとんどは、残念ながら、まったくの間違いである。

・その間違いに気づいた「彼ら」へ
 大変な損失を被った、とあなたは思っているかもしれない。
 しかし、そのことに気づけただけでも大きな収穫である。

 おそらく何人かの心優しい人々は、あなたを慰め、励ましてくれる。
 しかしおそらく、あなたはそれを心から受け止められない。
「今までのことは無駄ではなかった」と言われても、あなたはそうは思えない。
「あなたは確かに神に仕えてきたのです」と言われても、あなたはそうは思えない。

 神なんかいない、とあなたは思うかもしれない。
 しかし、神がいるからあなたはそこから助け出された、とも言える。

 これからどうしたらいいかわからない、とあなたは思うかもしれない。
 しかし、それを決めるのはあなた自身である。

 誰にどう言われようと、「人生を無駄にした」とあなたは思うかもしれない。
 しかし、それを本当に無駄にするのはあなた自身である。

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