「戦い」と聞いたら、誰でも構える。人によっては恐れを抱く。緊張したりひるんだりする。しかし牧師は言う。「大丈夫、この戦いは『主の戦い』だから、主ご自身が戦われる。私たちは恐れずに立ち、御名を宣言すればいい。私たちには既に圧倒的勝利が与えられているのだ」
そして、旧約聖書のイスラエルの数々の戦いの記録が引用され、補強される(やはり、彼らが根拠とするのは旧約聖書が多い)。
だったら戦う必要があるのか、というツッコミもあるし、それはそもそも「戦い」とは呼ばない。ひとこと宣言するだけでいいのだから、時間もかからない。それに、一度宣言すればそれでいいはずだ。何も恐れる必要はない、ということになる。
しかし実際の「霊の戦い」を見てみると、何度となく同じ戦いをしているし、そのたびに物凄い怒鳴り声で悪霊を叱りつける。まるで声が大きくないと勝てないみたいに。
そういう「霊の戦い」の本当の問題点は、大きく2つあると私は考えている。
1つは、イエス・キリストの十字架の贖いと勝利を無効にしている点だ。十字架だけでは不十分で、クリスチャンが戦わなければ、悪霊たちを打ち負かすことができない、つまり救いは不十分だ、という主張がこの背景にある。
生涯をかけて罪と戦う、という点では、それは真実を含んでいる。しかし神様が「悪霊に勝利した」と言っているのに、「まだまだ戦わなければ終わらない」と言うのは、明らかに聖書に反している。
もう1つは、次々と新手の悪霊たちが登場する点だ。毎週登場する仮面ライダーの敵よろしく、殺人の霊とか拒絶の霊とか、甘えの霊とか偽りの霊とか、この建物を縛る霊とかこの町内を縛る霊とか、そういう悪霊たちが再現なく登場する(牧師によって紹介される)。
それを聞かされる信徒はどう思うだろうか。まだ自分の知らない悪霊が大勢いて、今もそれらの攻撃を知らず知らず受けてしまっている、という絶望的な恐怖に陥る。敵の全貌がわからなくて、戦いようがないからだ。そしてそこから救われるには、牧師の言う通りにするしかない。
しかしその信仰生活は、もはやイエス・キリストも創造主も関係ない。悪霊博士になるくらい悪霊について勉強したり調べたりして、あらゆる種類の悪霊を見つけ出し(あるいは作り出し)、全ての敵に対して、自分で勝利を得なければならないからだ。誰がそんな信仰生活を送りたいと願うだろうか。
この原理に支配された「霊の戦い」は、人に恐怖をもたらす。神の救いの対局に人を追いやる。それはもはやキリスト教でなく、キリスト教を語る新興宗教でしかない。
イエスではなく、悪魔に25年間使えていて、最後にイエスに救われた人の証です。
返信削除ご参考までにどうぞご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=s2skdsTp3Zc
http://www.youtube.com/watch?v=vg4aEdoIDMk
夜中の神社で手水鉢に向かって小便とか、霊の戦いとか断ち切りの祈りとか、狂信的な活動をやっている新興宗教系プロテスタントの業界では有名な教祖様が、1日の明け方おかくれあそばしたそうです。
返信削除この教祖様はいつも「病気になったら祈って治す」とか調子のいいことをおっしゃっておられましたが、先月に肝臓がんがみつかって入院し、一か月もたたないうちにみまかりました。
これは最大のギャグでしかありませんよね?