『エンダーのゲーム』鑑賞後

2014年1月29日水曜日

映画評

t f B! P L
『エンダーのゲーム』を劇場鑑賞。原作未読。前情報ほどんどなし。後半にネタバレするので注意

・あらすじ
 50年前、地球は「フォーミック」と呼ばれる昆虫型生命体の侵攻を受け、壊滅の危機に瀕した。しかし戦闘機パイロット、メイザー・ラッカムの英雄的犠牲により敵を撃退、地球は辛くも守られた。
 それから50年、人類はフォーミックの第二次侵攻に備え、世界中から選抜した優秀な少年兵たちに、「バトルスクール」で厳しい訓練を施していた。
 ウィッギン家は長男ピーター、長女ヴァレンタインともスクールに送り出したが、どちらも能力はありながら途中で落第となっていた。残る次男のエンダーは兄姉をも凌ぐ才能に恵まれ、かつ兄姉の落第理由であった暴力傾向などからバランスが取れた人格を有していた。
 艦隊のグラッフ大佐は早くからエンダーの能力に注目し、バトルスクールにスカウトする。エンダーはスクールで見る見るうちに頭角を現し、仲間の尊敬を集め、トップの成績を残す。
 エンダーは惑星エロスの前線基地にある「コマンドスクール」へ異動となる。そこでは実際のフォーミックの母星を観測しており、敵が軍備を増強しているのを確認できた。それを基に再現されたシュミレーション映像による、実戦さながらの訓練でも、エンダーは勝利を重ねる。
 そしてエンダーはいよいよ卒業試験を迎える。このシュミレーションに勝てば、エンダーは司令官として実戦に臨むことになる。しかし、自由時間にやっていた「マインドゲーム」でフォーミックの「女王」と対面していたエンダーは、「フォーミックは自分に何かを伝えようとしているのではないか」と疑問を抱いていた。

・爽快感の連続、少年版『半沢直樹』
 エンダーは見た目にはキャシャでひ弱な少年で、行く先々でいじめを受けている。しかし訓練を通して段違いの能力を発揮し、周囲をアッと言わせ続ける。その逆転劇とどんどん昇格していく様が、実に爽快である。私は『半沢直樹』を思い出した。そのエンダーを見て喜ぶグラッフ大佐(ハリソン・フォード)もまた面白い。「ほら、私が言った通りだろ!?」とでも言わんばかりの喜びようである。

・SF戦争ものというより、少年の成長記
 本作の大部分は、厳密に言うとスクールの中の出来事である。ガキ大将にいじめられ、助けてくれる女の子がいて、ちょっとずつ仲間ができて、訓練の中でガキ大将らを倒していく。その繰り返しの中で、エンダーが成長していく。物語の中心はそこにあって、バトルスクールでもコマンドスクールでも、エンダーの戦いは「ゲーム」であって実戦ではない。その意味で、この映画に本物の戦争シーンはない。しいて挙げれば、冒頭の50年前の戦争シーンくらいである。

映画の予告篇はこちら。

・ネタバレ(見たくない人は注意)

・実はメイザー・ラッカムは生きていた。50年前の戦闘時、彼はサーモグラフを通して敵母艦内のフォーミックの女王の位置を知り、自機をぶつけたのだった。衝突寸前に、彼自身は脱出していた。
・フォーミックに第二次地球侵攻の計画はなかった。人類に敗北したフォーミックは、地球からの逆襲を恐れ、自衛のために軍備を増強していただけだった(だから50年間何の動きもなかった)。
・それに対して地球艦隊側は、何としても先制攻撃をしかけ、「未来の戦争」を防ぎたかった。
・エンダーの卒業試験は実は「実戦」で、全て実際に艦隊を動かし、実際にフォーミックの母星を攻撃・壊滅させたのだった。その際、艦隊の最終兵器である「リトル・ドクター」を守るため、他の全ての艦隊を見殺しにし、全ての戦闘機を盾にしなければならなかった。実戦でそこまで非情な選択がエンダーにできるかどうか、艦隊側はわからなかったので、あくまで「シュミレーション」という名目でコトを進めさせたのだった(と思う)。
・勝利の後に真相を知ったエンダーは激怒するも、惑星エロスにフォーミックの女王が残っていることを知る。女王が生み残した新たな女王の卵を携え、エンダーはフォーミックのために、新たな星を探す旅に出かける。

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