牧師の指示はすべて神の御心だから、多少理不尽でも仕方がない…のか?

2014年1月29日水曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
 牧師の指示により、午前0時過ぎに遠出する。行った先では、早朝からスケジュールがビッシリ、明日の夜まで休めない。そんな毎日が続く「ミッショントリップ」とか「アウトリーチ」とか「宣教旅行」とかが、あとからあとから企画されていく。一つが終わっても、連れ出される信徒は休む間もなく、次の準備をしなければならない。
 なぜそこまでしなければならないのか?
 牧師いわく「主が求めておられるから。イエス様の弟子たちがどれほど忙しかったか、考えてみさない」

 牧師の指示により、礼拝賛美のリハーサルが行われる。朝から夜遅くまで、一日中、会堂にこもって牧師の叱責、罵声、怒号を聞かされる。同じフレーズを何度も何度も繰り返させられる。一人反省会をさせられる。牧師が納得するまでリハーサルは終わらない。
 なぜそこまでしなければならないのか?
 牧師いわく「神様に最高のものを捧げるべきだから。天地万物の王に向かって、中途半端なものを捧げてはいけない」

 牧師の指示により、やりたくないこと、得意でないこと、嫌いなことをさせられる。案の定、失敗して惨めなことになる。それを人前で一番笑いの種にするのは、当の牧師である。
 なぜそこまでしなければならないのか?
 牧師いわく「主への従順は完全でなければならないから。従わないことは不信仰であり、神から遠く離れることになる。ルシファーの顛末を見なさい」

 牧師の指示により、若い女性ばかりが牧師の「研修旅行」に同伴させられる。なぜか出発は深夜。周囲はその研修の予定も必要性もよくわかっていない。が、漠然と「主の働きなんだ」と思い込んでいる。
 牧師いわく「これこれの仕事には彼女の能力が絶対必要だから。そしてこの仕事は、神様が今もっとも求めておられることだから、仕方がない

 上記のいずれのケースにおいても、信徒、牧師、神様の誰かがウソをついている。いったい誰だろうか。

QooQ