なぜそこまでしなければならないのか?
牧師いわく「主が求めておられるから。イエス様の弟子たちがどれほど忙しかったか、考えてみさない」
牧師の指示により、礼拝賛美のリハーサルが行われる。朝から夜遅くまで、一日中、会堂にこもって牧師の叱責、罵声、怒号を聞かされる。同じフレーズを何度も何度も繰り返させられる。一人反省会をさせられる。牧師が納得するまでリハーサルは終わらない。
なぜそこまでしなければならないのか?
牧師いわく「神様に最高のものを捧げるべきだから。天地万物の王に向かって、中途半端なものを捧げてはいけない」
牧師の指示により、やりたくないこと、得意でないこと、嫌いなことをさせられる。案の定、失敗して惨めなことになる。それを人前で一番笑いの種にするのは、当の牧師である。
なぜそこまでしなければならないのか?
牧師いわく「主への従順は完全でなければならないから。従わないことは不信仰であり、神から遠く離れることになる。ルシファーの顛末を見なさい」
牧師の指示により、若い女性ばかりが牧師の「研修旅行」に同伴させられる。なぜか出発は深夜。周囲はその研修の予定も必要性もよくわかっていない。が、漠然と「主の働きなんだ」と思い込んでいる。
牧師いわく「これこれの仕事には彼女の能力が絶対必要だから。そしてこの仕事は、神様が今もっとも求めておられることだから、仕方がない」
上記のいずれのケースにおいても、信徒、牧師、神様の誰かがウソをついている。いったい誰だろうか。
牧師=「宗教家」よ!
返信削除あなたが自分の夢・希望・主張を実現するために、また自分の能力を高めるために、
ビジョンと呼ばれる物を追求するために「教会」(=「会社」)と言う組織を運営し、同調する者たちを手足のように使うのであれば、「対価」=「給与」を支払いなさい!
あなたたちは、「信者」(=「従業員」)に対して「給与」を支払わないばかりか、「十一献金」を支払わせ(寄付させ)、その上「奉仕」と称する無償の「仕事」(ボランティア)を要求する。全ては「主の御心」「神に捧げる」と言う名目で!
我々は、多少の違いはあっても毎日、朝早くから夜遅くまで働いて働いて・・・・・・・・。
せっかくの貴重な「お休み」を、「奉仕」「主の働き」・・・・・・・。
聖書に書いてあるからとか、主が言われるからとか、どんな言い訳・教理・教条でも何でも、ご都合主義的に編み出されるのが「宗教」です。それは当のイエス様が一番嫌われる事ではないですか?