イスラエルのシャロン首相の死去に伴い、終末が迫っていると主張するクリスチャンらがいる。同首相の死が終末の合図になる、とかいう「預言」があったらしい。その根拠はまったく確認できないけれど。
彼らは「終末がいつかは誰も知らない」という新約聖書の言葉に対して、「イッサカルは時を悟ることができる部族」などの旧約聖書の言葉を持ち出して、「神は親しい者にはそれが起こる前に知らされる」と主張する(そういえば、その手のクリスチャンらはやたら旧約聖書を好んで引用する)。
また彼らが根拠とするのは、アダムの誕生から現在までが6000年くらいで、やがてくる「1000年王国」を足せばピッタリ7000年で、キリがいい、「7」は完全数でもあるからなお都合がいい、だからやっぱり今は終末なんだ、というようなものだ(実際のユダヤ歴は西暦2014年1月現在で5774年だから、彼らの計算と200年以上の誤差があるけれど)。
くわえて、天地創造が7日間だったことから、「千年は一日のよう」という聖書の言葉を引用し、一日千年で合計七千年、だからこの世界はやっぱり七千年なんだ、と持論を補強(?)している。
さらに星の運行にまで話は言及し、何百年か何千年かに一度しか起こらない天体現象が近々起こることになっていて、その日がユダヤの何かの祭りの日付と合致する、だからやっぱり終末は近いんだ、と付け足す。
けれどその計算も発想も、単純すぎる。星の運行とユダヤの祭りの関連に至っては論理的飛躍でしかない。しかもそういうのは人間の頭で容易に想像できるレベルだ。それを「神様から特別に教えられた真理」とするのは冒涜に近い気がする。
そういう人間的単純発想を駆使するなら、終末に関しては何とでも言える。都合のいい聖書の言葉を引用し、都合のいい事象を利用し、都合のいいタイミングを使えばいい。
しかしこういう「終末予想ゲーム」は、根本的に方向性を間違えている。私たちに必要なのは終末がいつかを知ることでなく、それに向けてどう生きるかだからだ。終末について尋ねられたイエス・キリストの答えも、そういうことを言っているのだと思う。「人に惑わされないように気をつけなさい」(マタイ24章4節・新改訳)
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