「カイロスが遅れている」のか、もともとカイロスでなかったのか

2013年12月1日日曜日

キリスト教信仰

t f B! P L
「カイロス」と「クロノス」という、どちらも「時間」を意味するギリシャ語がある。
 細かいことはよくわからないけれど、クロノスは普通に流れている時間、カイロスは「神の時」をそれぞれ意味していると聞いたことがある。用例としては、ある必要の為に500万円が与えらえるよう、継続的に祈っている時というのはクロノスで、実際に500万円が与えられた時というのがカイロス、ということになる(それが本当に神が働かれた結果かどうかは別問題である)。

 イスラエルの為に祈ろうとか、ユダヤ文化を取り入れて、例えばスコットの祭りをしようとか、そういうユダヤ回帰的な活動をしている教会に、これらの言葉を使う傾向があるようだ。もちろん、それらは全然悪いことではない。

 ただ一つ気になるのは、「カイロスが遅れている」というような表現に関してだ。それはつまり、「祈ったことが思ったように実現しない」という意味だろう。その理由として、「悪魔が妨害している」とか「私たちの奉仕が足りない」とか「私たちに何かが不足している」などが挙げられるのを聞くと、そういうことがあるのだろうか、と私は疑問に思う。

 例えば、「神様がそう語られた」という理由で、教会がある高価な買い物をしようとする。その価格が5000万円だとして、支払期限が9月末だとする。当然信徒は「神様が必ず与えて下さる」と信じて、祈ったり献金したり、寄付を呼びかけたりするだろう。けれど、期限が迫っても与えらえる様子がなく、献金額も全然達していない。よく「支払当日に必要が満たされた」とか「期限ギリギリで思わぬところから必要額ピッタリの寄付があった」とかいう感動談を聞くけれど、今回はそういうことも起こらないとする。そして期限前日、おそらくその発起人に言えるのは、「カイロスが遅れている」というようなセリフだろう。理由は前述の通り。

 そのケースの場合、その買い物がそもそも御心であったかどうかを検討する必要があると思う。「神様にそう語られた」のなら実現するはずだからだ。それに悪魔に邪魔されて実行できないとしたら、ずいぶん頼りない神様だということになる。そしてともあれ、買い物はひとまず断念するとか、保留にするとか、そういうのが現実的だと思う。
 けれどそこで、あくまで「カイロスが何らかの理由で遅らされているんだ」と主張するのはどうなのだろうか。

 それは一つには、神様に対する責任転嫁が考えれられる。「語った通りに実現してくれない神様だ」という、「当たり屋」的な言いがかりだ。
 もう一つは、教会に対する不足の指摘が考えられる。「祈りが足りない」「捧げきれていない」ということで、更なる祈りや献金を、事実上強要する。

 それで信徒が、徹夜で祈ったり、なけなしのお金を捧げたり、家族に借金したり、キャッシングに頼ったりしてお金を工面し、それで必要額が満たされたとしたら、その「時」というのは本当にカイロス(神の時)なのだろうか。人が頑張っただけで、神様はどこ吹く風ではないだろうか。

「カイロス」とか「クロノス」とかいうギリシャ語を持ち出すと、何となく信仰的に聞こえるし、ユダヤ関連っぽく聞こえるし、神様が働かれているように思える。それど、それが正しい意味で使われるならいいけれど、人を利用するための言葉遊びであるなら問題だろう。
 そういう問題が正される時が来たとしたら、その時こそがカイロスではないかと私は思う。

QooQ