「この教会から日本のリバイバルが始まる」かどうかは時間が証明してくれる

2013年11月23日土曜日

キリスト教信仰

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「私たちの教会から日本のリバイバルが始まるんだ」
 というようなセリフは、私が知っているだけでも、複数の教会が言っている。単なる努力目標なのかもしれないけれど、それぞれの教会の真意はよくわからない。けれど、私がよく知っているある教会のそれは、まさに本気だった。本気の本気で「私たちがやらねば日本は救われない」みたいなことを信じていた。

 もちろん、ある個人のビジョンが、国レベルの変革を起こすということはある。多くの歴史上の人物がそうだし、今活躍している企業家の多くもそれぞれ立志伝を持っている。少し前にテレビで、かの有名な「チキンラーメン」を発明した安藤百福氏のドキュメンタリーを観たけれど、彼もまさにそういう「世界に影響を与えた個人」の一人だと思う。

 だから、ある小さな地域教会の牧師のビジョンが、やがて国をも動かす大変革につながるということはあるかもしれない。そういう意味で、「この教会が日本を救う」というのは、なくはないだろうと思う。

 ただ、一つ気をつけなければならないのは、例えば前述の安藤百福氏が初めから「日本を救うんだ」なんて大それたことは思っていなかった、ということだ。彼はあくまで「戦後の食糧難と栄養不足を何とか改善したい」と願っていただけだった。それは非常に具体的、かつ的が絞られた願望だった。そしてもう一つ彼を即席麺開発に駆り立てたのは、借金苦による生活苦だった。

 他の企業家たちにも、そういう傾向はみられる。ホンダを創業した本田宗一郎氏もしかり。もちろん単に金持ちになりたいだけの企業家もいるだろうけれど、それでも一事に励んで事業の発展を成し遂げたという事実は変わらない。おそらくそういう人物や団体に共通するのは、「一事に集中する」「具体的な目標を持つ」「具体的に行動する」というようなことだと思う。

 そういう視点でキリスト教会を見ると、どうだろうか。何か具体的で、的が絞られた方策があっての「日本を救う」発言なのだろうか。
 
 私のよく知っている教会で言うと、いろいろ試そうとしていたのは間違いない。けれど結果的に信徒を疲弊させるだけの、どれも尻すぼみで終わってしまう素人事業でしかなかった。あれもこれもやろうとして、結局、一事に励むという一番シンプルで効果的な努力ができなかった。

「この教会からリバイバルが始まるんだ」と言うのは自由だけれど、それを言い出す動機や背景はよくよく吟味されるべきだと私は思う。熱い賛美と祈りの中、気分が高揚して勢いに任せて言ってしまったのだとしたら、それは本物ではないような気がする。
 逆に具体的な方策があるなら、すでにその通り動いているだろうし、いちいち「この教会から~」なんて言う必要もないような気がする。

 もっとも、それが本物かどうかは時間が証明してくれると思う。真に日本に変革を与える教会であれば、やがてそれは実現するだろう。しかし本物でなければ、ある程度発展することはあっても、決して実現はしない。そこに曖昧さはない。
 だからそういう大言壮語を語るなら、どちらかと言うと努力目標みたいにして、謙遜に振る舞うべきだろうと私は思う。

追記)
 ちなみに、私の知っている教会のそれが本物でなかったのは、その教会が今すでに存在しないという事実が証明している。

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