それで、クリスチャンで何が良かったかを書いてみたい。
・常にモラルを意識できる
これは未信者であっても当然のことかもしれないが、とにかくどんな些細なことに関しても正しくあろうと努め続けてこれたのは、クリスチャンだからだと思う(もちろんたくさんの失敗があり、今も成人君主ではないのは言うまでもない)。
聖書が示すモラルの基準は、基本的に高いと思う。殺人とか姦淫とかは一般常識的にも悪とされているけれど、聖書はある事柄について「心に思うだけ」でも罪だとしている。だから法律に触れなければいい、ばれなければいい、訴えられなければいい、とはいかない。もし真剣にキリストの教えを守ろうとするなら、何を心に思って生きるかまで注意しなければならない。
そういう基準がなければ、私などは簡単に「ちょっとくらいいいだろう」的な考えになると思う。例えば、苦手な人との接触は極力避けたいものだ。けれど聖書が「敵を愛しなさい」と言うので、私は神様に従おうする手前、何とかその苦手な人を克服しようとする。
それは動機がなんであれ、人間関係の再構築に努めるという意味で、悪いことではないと思う。どちらかというと正しいことのような気がする。
・一定の指針が与えられる
これは上記にも通じるが、聖書が示す指針に従って生きることが推奨される。愛することとか許すこととか沢山あってここでは書けないが、そういう指針のもとで生きるというのは、シンプルで一貫した人生を実現すると思う。もちろんその指針が良いか悪いかという議論はあるし、そもそも一貫性が必要かどうかという意見もあるだろう。けれど、毎年3万人以上が自殺を選ぶほど生きづらい社会にあっては、そういう指針が拠り所となる人々は少なからずいると思う。
・一定の指針が与えられる
これは上記にも通じるが、聖書が示す指針に従って生きることが推奨される。愛することとか許すこととか沢山あってここでは書けないが、そういう指針のもとで生きるというのは、シンプルで一貫した人生を実現すると思う。もちろんその指針が良いか悪いかという議論はあるし、そもそも一貫性が必要かどうかという意見もあるだろう。けれど、毎年3万人以上が自殺を選ぶほど生きづらい社会にあっては、そういう指針が拠り所となる人々は少なからずいると思う。
・大家族を経験できる
教会内の密な人間関係は、「神の家族」というにふさわしいと思う。年輩の方から幼子まで、皆が祖父母であり、両親であり、兄弟姉妹であり、子どもであり、孫である。皆当然のように助け合うし、支え合う。そこで受けた恩恵は小さくないし、自分も誰かの役に立つことができる。
もちろん他にもあるだろう。「永遠のいのちが与えられた」というのを第一に挙げるべきかもしれない。けれど教会の解散に係るいろいろを目にしてきた今は、それを短絡的に言うのは差し控えたいと思う。
他にも「クリスチャンで良かったこと」があれば書いてきたいと思うし、何か良い案があれば教えていただきたいと思う。
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