大阪の公立学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立しなかった教諭がいて、教育委員会から処分を受けた。その処分を不服とした教諭が先月、大阪府を相手に訴訟を起こした(ニュース記事はこちら)。
起立しなかったのは、「クリスチャンであり、信仰上の理由から」だと同教諭は言っている。それに対して「宗教と国歌斉唱は関係ない」という意見が多数出ているようだ。
以前の私なら、この教諭と同じように国歌斉唱に対して起立しない、歌わないという選択をしたと思う。そして「宗教と国歌斉唱は関係ない」という意見に対しては、「何もわかってないな」とか「霊の目が開かれていないな」とかいう傲慢な考え方をしただろうと思う。
こういう「信仰上の理由から〇〇しない」という姿勢は、基本的には真面目な信仰者の姿なのだと思う。一般信徒であるなら、教会で教えられたことに忠実に従っただけかもしれない。
その心理的根拠は、例えば旧約聖書のダニエルの3人の友人たちの「金の像を拝むくらいなら死にます」という殉教的態度とか、17世紀の禁教時代の「踏み絵」を拒んで処罰された人々の精神とか、そういうところにあると思う。
確かに聖書は、偶像を拝んではならないと言っているし、そういうことで殉教する人がいるとも言っている。ペテロが主を否定してしまったことも、信仰者の失敗例として扱われているだろう。
けれど現在日本で行われている国歌斉唱は、殉教に至るほどの究極的試練だろうか。あるいは信仰か不信仰かを判別する材料だろうか。式の最中、学校長が「国歌を歌わなければ死刑だ」と宣言する訳でもないし、そもそもキリスト教や他の宗教を否定したい訳でもない。
それに上記の教諭が処分されたのは、自身のキリスト教信仰を貫こうとしたからではなく、職務命令に違反したからだとされている。とすると、処分を不服とする理由に信仰を挙げるのは、お門違いというものだろう。
国歌斉唱とか国旗掲揚、はたまた仏式葬儀での焼香とかは、クリスチャンとしてどうするかが問われるところかもしれない。しかしそれらで信仰か不信仰かを問うているのは、実のところ一般の未信者の人々でなく、教会内の人々、特に教職者たちではないだろうか。国歌斉唱を「信仰の戦い」とし、勝利するには迫害を受けねばならない、しかしその報いは大きい、として信徒たちをそういう行動に駆り立てる、ということが、一部であれ教会で行われていると思う。しかしその結果が冒頭のような訴訟問題となるなら、かえってキリスト教を貶めることになるのではないか。
信仰を貫くのは大切なことだろうが、その方法はよくよく考えねばならないと思う。それは時に不利なこと、損なことかもしれない。けれど決して失礼なこと、儀礼的に見て非常識なことではないはずだ。
どうも、特に福音派等の方々は(私もそうですが)、「偶像礼拝」=「日の丸」「君が代」「焼香」「死者に対する礼儀」と捉える傾向にあります。実際、教会内でそのような暗黙の常識があったり、そのような「当たり前の事」として指導がなされたりしています。
返信削除以前は私もそのように思い、考え、行動していました。
しかし、これは大きな間違いです。はっきりと言えます。これは間違いです。
そして、私たちクリスチャンは、証にならないとんでもない行動をしているのです。
非常識であり、失礼極まりない人間に成り下がっています。
欧米の習慣とわが国の習慣は大きく違います。ですから、宣教師として来られた欧米の方々は、わが国の習慣を見て「偶像礼拝だ」と結論付けて、それが神学校・牧師に伝わった。一方、日の丸・君が代については、わが国は敗戦国であり、GHQによって国・国民全体が「戦争極悪人」と徹底教育をされ、「一億総懺悔」をさせられてしまったのです。その結果です。
過去の歴史を正しく紐解くなら、いとも簡単に、どうしてこの国が、そして教会がこう言う事をしているのかが、はっきりとわかってきます。
マリック様
返信削除コメントありがとうございます。
この記事を書くとき、歴史的観点というのは考えていませんでした。確かに、その国の文化風習と歴史を考慮せずに宗教をとらえてはいけないですよね。
ただ、そういう行動をするクリスチャンの方より、そう教え指導しているリーダーたちの方が責任は重大だろうと思います。
ありがとうございます。
削除まじめに、本当に心から、主イエスがこの日本と言う国を愛しておられ、私たちをそのナショナリズムの急先鋒に選んでおられると思います。
国歌斉唱が信仰の戦い???日の丸は偶像礼拝???
聖書の一部を取り出して、もっともらしく正当化する。
国を愛しそのために祈り、国のために神に祈る。それが「駄目!?」
例を挙げるならば、アメリカと言う国ではクリスチャンは教会で国旗を掲揚し、心から国を愛して祈るのに、日本ではどうでしょう!
日の丸・君が代は駄目!!日本国はおかしい???それこそ「おかしい」ではないですか?
まさに「反日勢力」が跋扈し、この国を貶めようとしているとしか考えられないです。共産主義による地方分権などの「国家解体」の精神です。
すみません。ちょっと偏りすぎましたね(笑)
新約聖書には「カエサルのものはカエサルに」という話もありますからねぇ。
返信削除神への信仰は神に、日本国への義務は日本国に返すというのも宗教者として正しい行動でしょう。
「エホバの証人」とかになると、国歌どころか校歌も歌いませんし、生徒会選挙にも参加しないそうです。そこまで私生活を律しているなら、卒業式に国歌を歌わないのもわからないではないのですが、夏の甲子園野球大会の開会式やオリンピックとかでの「君が代」が平気だったりするのは、単に卒業式で不起立したいだけなんじゃないの?と勘ぐってしまいます。